410 森林迷宮
軍隊蟻の行進を知らない人はまずいないだろう。ひとたび進軍すれば辺りの生き物を根こそぎ狩り尽くす侵略戦争。
多ければ一日に五十万の生物を殺害するというその行進は蟻という生物の恐ろしさをまざまざと見せつけられる。
だが。
「まさか敵が数の暴力で挑んでくるとはなあ」
樹海西部の森林地帯に差し掛かる直前の平原。
それを埋め尽くすほどの大軍――――推定三百万。恐ろしいことにこれでさえまだほんの序章に過ぎない。後続にはこの数倍におよぶ敵軍が待ち構えている。
ただしその行軍は決して楽なものではなかったのだろう。擦り切れた衣服にぎりぎりの食料。時折発生する病魔。
まっとうな軍隊ならもう瓦解していてもおかしくないほど困窮していただろうが……奴らはそうでない。
目に希望が満ち溢れ、目的のためならば全てを投げ出す覚悟がある。いや、むしろその覚悟があったからこそここにいるのだろう。土地も、財産も、恐らくはここに来るまでに命を落とした家族さえも踏み越えてようやくここに来た。
忌まわしい蟻の居城、樹海へと。
高らかに聖旗を掲げ、祈りを唱和する彼女らに恐れなどない。いかなる敵をも討ち滅ぼし、救いをもたらす一助となることだけを希求する。
そうして樹海に足を踏み入れた彼女らは今――――道に迷っていた。
うっそうと茂る森。日の光はまばらにしか届かず、足元には魔物ではないが、蛭やコバエなど不快にさせる小動物が蠢いている。時折ぬかるんだ地面に足を取られ、ジメジメとした暑さがより神経をささくれ立たせていく。
だがその不快と労苦は大幅に低減した。何故か森の只中に道を見つけたのだ。丁寧に石を敷き詰められたその道はとても通りやすく、荷物を載せる手押し車なども楽に通れた。
しかしその道は別の問題も発生させていた。
「またか! また行き止まりか! くそ!」
道を進めばとても通れる道に繋がっていないことが珍しくなかった。
奇妙な話だが、道を見つけるまでは一度も迷ったことなどなかった。というより、道があったからこそ今まで進んでいた森が侵入者を拒む迷宮のように感じられてしまい、立ち止まってしまっているのだ。
何度目かの立往生を繰り返し、彼女たちは疑問を感じ始めた。
「妙じゃないかしら。こんな森の中に道があるなんて」
「うむ……この辺りは未開の地で誰一人として足を踏み入れたことがないはず。なぜこんな道が……?」
いぶかる彼女たちは今一度辺りを見回す。
森を貫くように舗装された道は明らかな人工物でありながら違和感がなく、森と調和しているようにも見える。
この道のおかげで随分と進軍が楽になった。便利なのだから使う。当然ではあるのだが、なぜこんなところに道があるのかという疑問は尽きず、答えは出なかった。
だがしかしここに一つの回答にたどり着いた司祭がいた。
「ふむ、この道が何故あるのか。それは……」
「それは……?」
司祭に随伴している信徒たちが固唾を飲んで視線を集中させる。
「神が我らの為に作りたもうたに違いない!」
感嘆の声をあげ、顔を輝かせる信徒たち。司祭の純粋な信仰心によって疑問はたちまち氷解した。
「ですが司祭様。この道は神が作りたもうたならばあまりにも行き止まりが多いのでは?」
「それこそが悪魔の罠でしょう。神聖な神の御業を邪悪な意思で穢そうとしているのだ!」
あまりにも無慈悲な悪魔の所業に怒りの声をあげる信徒たち。士気はまだまだ下がりそうになかった。
「だ、そうだがどう思う樹里?」
「話になりませんね」
全くもって同感。
これらの道は数年かけてじっくりと作り上げたエミシの物流の生命線。生物にとっての血管とも言える。
主に樹里が担当し、七海もたまに手伝っていた。
それだけに敵に利用されるのは憤懣やるかたない。道を整備することはこちらにとって有益だけど、敵に利用されるリスクもある。
実際に古代の国家の中にはあえて交通網を整備しなかった国もあったらしい。
オレらの場合樹海が本拠地だから整備しなきゃまともに物流を動かせないからやるしかないんだけどね。
ただもちろんオレたちも無策じゃない。敵の樹海進行が明らかになった時点で手は打った。
袋小路になっている偽の道を作ったり、道が途切れているように見せかけたり。もともと見通しの悪い樹海ではちょっとした工夫で迷わせることができる。
もちろんこっちには正しい地図があるし、女王蟻がナビをすることだってできる。
これが地の利を生かすってことだ。
敵に少しでも頭の切れる奴がいれば地図を作るなりなんなりするだろうけど、それを許すほどあいつが……千尋が甘いはずはない。
敵が道に沿って移動するのなら、敵が通る場所と時間はおおよそわかる。
そして森は蜘蛛にとって自分たちの魔法を全力で活かすことのできる環境だ。さて、神とやらはお前たちを助けてくれるかな?




