406 枝垂れ座頭
「聖女様」
背後から美月に声をかけられて体を震わせる。そろりと機嫌を窺うように振り返る。罪状を読み上げられる小悪党のように顔を引き攣らせるサリに対して美月はどこまでも無表情だった。
「ミツキ、これは……その……」
言い訳をしようとするサリに美月が向けた表情は……満面の笑顔だった。
「大変でしたね聖女様」
「え……?」
「こんなに話の分からない女がいるなんて。聖女様が怒るのも無理ありません」
美月が声を蒼白だった顔に赤みが差す。
「そうね、そうよね! 本当に困ってしまうわ!」
自分には責任がない。すべてこの女性のせいだ。
その論理はサリにとって最も受け入れやすかったのだろう。
「はい。後のことは私に任せてください」
ぺこりと一礼する美月。
「そう? ありがとう。それでは私は失礼するわ」
あくまでも慇懃な美月の態度に気をよくしたサリはすっかりいつもの自信を取り戻し、ちらりと未だに蹲る女性を一瞥すると堂々とした足取りで小屋から出ていった。
その足音が遠ざかることを確認して、
「何て醜い生き物」
美月はそう長くない人生で最も醜悪だと感じた生き物がたった今出ていった扉をにらみつける。
笑顔は消え失せ、その顔には軽蔑と侮辱しか浮かんでいない。
「あの……」
ぼろ雑巾のようになった女性が痛む体をおさえて言葉を発する。
それでようやくまだこの小屋に他人がいたことを思い出した。
「何か?」
「付き人様……私は聖女様のご不興を買ってしまったようですが……何がいけなかったのでしょうか。どうかご教授ください」
想像もしていなかった言葉に虚を突かれた美月は口を開けて呆けてしまう。
「呆れた。あんなことをされたのにまだあいつのことを聖女って呼ぶんだ」
「……? 当然ではないですか。私に何か至らぬ点があったのでしょう。出なければあの御方があれほど怒るはずもありません」
あれだけ殴られても未だに銀の聖女への信仰心は揺らいでいない。その事実に驚きながらも冷静に計算を巡らせていく。
「ちょうどいいわ。紫水は作戦がバレた時の反応も知りたがっていたみたいだし、あなたにしましょう」
「そんなことがあるはずがない!」
今回の作戦のあらましを聞いた女の第一声だった。
頑なにサリを信じようとする女を白けた顔で見下す。
「はあ。あなたも見たでしょう? あの女がどんな奴かもうわかったでしょう?」
「銀の髪があるのだ! あの方が聖女に決まっている!」
「あ、あれかつらよ」
「そんなはずがない! あの美しい御髪が作られたもののはずがない!」
「動物の毛を加工したらしいわ」
「あの光輝く銀髪を持つ動物などいるものか!」
「いや、髪の毛だって動物の毛でしょ」
「銀の髪は神からの賜りものだ! 一緒にするな!」
「どう違うのよ……」
あらかじめ聞いていた通り全く理解できない論理だった。
どうにも奇妙な状況になってしまった。本来サリが聖女であると信じさせなければならない美月がサリを聖女でないと言い、敵側がサリを聖女だと強弁する。これでは立場があべこべだ。
だからだろうか。どうにも美月はサリが聖女でないと証明したい気持ちがあった。
(目の前の女の馬鹿さ加減にイライラしてるのかしら)
彼女自身産まれて初めての衝動に困惑していたが、ともあれよほどのことがない限り、一度騙した相手は裏切ることがないと確認できただろう。
もう用済みだ。
どこにその元気が余っているのかわからないほど喚き続ける女に通告する。
「最期に聞いておくけど、あなた、聖女のためなら命を懸けられるのね?」
「当然です! 私は、私たちは聖女様のためなら身命を投げ出す覚悟はとうにできている!」
「そう。よかったわ」
何がよかったのか。そう尋ねるよりも先に女性の体中に牙が食い込む。
「……か……は……!?」
喉に噛みつかれたせいで声がでず、呼吸すらままならない。
襲撃者の正体はいつの間にか忍び寄っていた蟻だった。
女性は命の危機よりもまず、穢れた魔物に触れられているという事実にセイノス教徒らしい嫌悪感を覚え、何とか引きはがそうともがく。
そんな女性を見下ろし、淡々と美月が語る。
「あいつの正体をバラすかもしれないあなたはあいつに……銀の聖女にとって邪魔なんです。だから死んでください。よかったですね。聖女様のお役に立てますよ」
女性は先ほどのサリよりも顔を赤黒く膨らませ、体中の筋肉がひき千切れるほどの力を引き出し――――ごきりと砕ける音が聞こえた。
体のあちこちがあってはならない方向に曲がってしまった女性はそれきり動かなくなった。それをやはり冷酷な瞳で見下ろし、今後のための方策を打ち出す。
「ひとまず紫水に報告しましょう。この死体は村の外にでも埋めておいてください。もちろん誰にも見つからないように」




