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40 ある愛の詩

 夏の日差しも弱まり、幾分過ごしやすくなったある日の午後。オレはあくせく働く蟻たちを横目にゆったりと藁を編んでいた。蟻の巣は地下にあるため寒暖の差はあまり感じないので汗一つかかない。

 前に作った蓑が好評だったので現在量産試験中だ。藁をよじったりもじったりして、できれば蜘蛛糸や石の留め具なしで作れるようになることが目標だ。

 不格好だけど藁布団や藁座布団をいくつか作ってみた。いい加減裸なのも嫌だし腰蓑でも作るつもりだ。それだとかえって原始人っぽさが増すような気がするけど……裸よりはましかなあ。

 前世では編み物なんかやったことなかったけど意外と楽しいなこれ。線が集まって固まれば面になり、立体になる! この概念! 悪くない。

 しかしオレはどうもこの世界に来てから女子力上がってないか? 料理とか編み物とか。そもそも藁編みは女子力に含まれるのか? それだと女子力最強は農家さんになってしまうような。

 ま、たまにはこんな平穏もいいだろう。


 残念ながらその平穏はあっさり崩れることになる。


「紫水」

「何だ」

「襲われてる」

 そっかそっか。襲われてるのか。っておい! もうちょっと焦れよ!

 蟻は感情の起伏に乏しいせいで重大な事態に直面してもさらっと話してしまう。

「どこのどいつだ? 鷲か? 蜘蛛か? スーパーマンか?」

「ただのマン。2人」

 ヒトモドキかよ! 気分よく休んでいた時にめんどくさいのがきたな。

「とりあえず状況を説明してくれ」

 二番目の巣に卵を運んでいる蟻の一団がいたが、1匹だけ遅れてしまったらしい。その偶然はぐれてしまった蟻が襲われたようだ。

「なら本隊から偵察するための蟻を出して、見張らせろ」

「了解」

 あまり距離は離れていなかったらしく。その二人組はすぐに見つかった。

 どちらも高校から大学生ほどの背格好で前に見た狩人装束に身を包んでいる。背の高い方は柔和な顔つきで、もう一人は厳しそうな眼付をしている。どっちもなかなかのイケメンだ。

 さてこいつらはどうするべきか。すでにオレの部下が殺されている以上正当防衛として攻撃を加えてもいいはずだ。

 ん? 何か話してるな。ここは聞き耳を立てて様子を窺うか。




 トラムとアグルは森に入ってほどなくして一匹の蟻を発見した。

 不意打ちだったうえに石でできた籠を背負っていた蟻はあっさりと倒れた。

「兄さん。こいつは色がおかしくないか?」

「ああ。普通の蟻は黒い。だがこいつらは灰色だ。悪魔が憑りついて黒を灰色に変えたんだろう」

 この言葉を聞いて彼は「それ単なる突然変異だろ。アルビノなのかな?」などと呟いたが、仮に聞こえたとしても理解はされなかったに違いない。

 この世界の人間にとって都合の悪い出来事が起これば悪魔のせいにされ、良いことが起きれば神の思し召しとされた。そういう時代であり、そういう世界なのだ。

「しかもこいつら卵まで運んでる。巣移りの時期は外しているはずだけどな……」

「これなら連中を納得させる証拠になる。村まで運ぶぞ」

 普通では考えられない体色を持ち、奇妙な行動を行う蟻。騎士団を派遣させる口実にはなるだろう。予想よりも順調だった。

「もしこの開墾が上手くいけば、兄さんはまた都に修道士としてもどれるはずだよな?」

 期待する眼差しを向ける弟に対して兄ははっきりと首を横に振った。


「いや、私はこの村に残るよ」

「ど、どうしてだよ兄さん! 兄さんは修道士になってこの国を変えるんじゃ――」

 手を出して言葉を遮る。兄として、かつて修道士だった者として弟には伝えるべき言葉があった。

「確かに教会の上層部に登りつめ、この国を変える。それが私の夢だった」

 その夢を支え続けてくれたアグルには本当に申し訳ないと思う。だが姉が亡くなり、ファティを育ててようやくセイノスの教えが本当の意味で理解できた。

「人はな、家庭と一族、そして神の教えさえあれば皆健やかに過ごすことができる。血なまぐさい権力闘争や功名心を競っても神の御許にはいくことはできない」

「わかんないよ兄さん。姉さんが怪我をしてから兄さんは変だよ」

 トラムはじっと弟の顔を見つめた後意を決したように口を開いた。

「お前には話しておくべきだな。姉さんの仕事に同行していた時だ。落石事故に巻き込まれたが、姉さんが私を庇ってくれた。お腹に子を宿していたのにも拘わらず」

「それがあの娘を気に掛ける理由なのか?」

「そうだ。そのせいで仕事が続けられなくなっても、私を許すと言ってくれた。これこそが無償の愛だ。まるで弱者を守護せし聖人ユーハンのようだ。大司教の説法を聞こうとも、聖典を幾度読み直そうとも理解できないんだ」

 空を見上げるその瞳は、今は亡き姉に向けられている。

「だからもういい。私はあの娘を守る」

 とても満ち足りた顔で、そう締めくくった。




 なるほど。背の高い方が弟でこいつらは兄弟らしい。こいつらの事情はおおよそ理解できた。はっきり言って――


 気色悪い。


 神とか愛だとか許しなんて言葉にもアレルギーがあるし、兄貴の態度も聞いてて腹立つ。

 誰かに助けられたなら感謝するのは当然だし、忘れ形見を大切にするべきだ。だがこの男が姉の娘を大切にする理由はこいつ自身すら気付いていない心理にあるはずだ。

 それは、罪悪感の軽減だ。

 人間は自分が失敗を犯したときに罪悪感を感じる。そしてその罪悪感を解消する手っ取り早い方法は何か。誰かに自分は悪くないと言ってもらうことだ。

 自分自身で罪悪感を解消することは難しくても上手く他人に言葉をかけてもらうことで大幅に楽になるらしい。こいつの場合姉に声をかけてもらったのがそれだ。

 だけど、罪悪感を解消された人間はその葛藤が深いほど盲目的な思考に陥りやすい。その結果罪悪感を解消してくれた相手に依存することがある。そしてこいつの場合恐らく罪悪感は完全には解消されていない。姉への代償行為として娘の面倒を見ているのがその証拠だ。

 それだけなら勝手にすればいいけど、なお悪いことに兄貴はそんな自分に酔っている。自分が絶対に正しいと思っている。それが神の教えだと自分を正当化している。少なくともそう感じる。

 極めつけはその思考を弟にも押し付けていることか。要するに自分がわがままであることに気付いていない。愛だの許しだのたいそうな御託を並べて、自分を正当化したいだけだ。それが良いことだとは到底思えない。

 もちろんオレの推測が的外れである可能性もある。こいつらとはほぼ初対面だし、心理学なんて聞きかじった知識しかない。それでもこいつを見逃すべきだとは思わない。


 単に狩りをしに来たのなら見逃してもよかったが、オレの部下をぶち殺した挙句、気色悪い演説を垂れ流した。つーか愛とやらは蟻には適用されないのか? 家畜らしき海老も解体してただろ? 自分たち以外の魔物に神はいないとでも? この世界の住人のくせに。 

 正当防衛、少なくとも集団的自衛権は十分成り立つはずだしオレ自身も気に食わない。ルールとしても心情的にも攻撃を加えてはいけないはずはない。あまり感情的になるのはよくないけどルールに反しないのならこいつらを攻撃してはいけない理由はない。

 さてどうしようか。まず卵を運んでいる連中を引き返させて、退路を断つか。時間はまだある。こいつらは蟻を運ぶつもりらしいから回り込むのは容易い。多少武器を持たせているからたった二人ぐらいすぐに殺せる。

 だがそれらの思考は全て徒労に終わった。




 弟が兄の胸を突き刺したからだ。


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うちの猫は液体です 新作です。時間があれば読んでみてください。
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