398 蟻と巨象
ラオはエミシから見て南東に位置する領で、クワイの中ではやや遠い地域だ。
そんなラオが何故真っ先に侵攻してきたのか。
以前ここに攻めてきた指揮官がラオの出身だったことに関係する。要するに報復の為にあらかじめ侵略軍を用意しておいたのだ。その軍をこれ幸いとばかりにいち早く動かしてきたらしい。
高原を通らず、南東から強引に山脈をつっきるというかなりハードな進路をとっている。
が。その軍の内容は今までと大きく異なる。いや、むしろこれこそがラオの正規軍。今まではそこら辺の村や町から草花を摘むように持ってきた兵隊だったけど、今回の部隊はラオ独自の軍だろう。
何しろ、現在この世界最大の陸上生物、象の魔物がいる。
小山のような巨体にきらりと輝く白い牙。
だぶついた皮膚に大きな耳と長い鼻。地球では動物園かサーカスでしか見られない人気者、象だ。
もっとも、その大きさは一回りどころか三回りは大きく、威風堂々として何物にも揺らがない堅牢さがある。その割に足音が静かなのはどことなく違和感がある。
「でっけえなあ!」
やっぱり大きな動物って男子ならテンション上がるよな!
あー、そうだ、思い出した。
昔恐竜の博覧会かなんか行ったときに動く恐竜の等身大模型みたいなのがあったんだよなー。
オレ、それ見て泣き出してさあ。いやー子供には怖いぞあれ。用意した側からしてみればそんなに驚いてくれたら満足なんだろうけどオレにとってはなかなかトラウマだったよなあ。
あの頃からオレってビビりなんだよなあ。
確かにでっかい生き物ってかっこいいけど怖いよ。
まあ何はともあれ。
大きさは力だ。強さだ。
もちろん魔法や生態によって大きく戦闘力は異なる。しかしラーテルさえ上回る巨体はただ踏みつけるだけで大抵の敵を圧殺するだろう。
まずは様子見で一当てするか。どうやって象を手なずけているのか気になるしね。
いわゆる戦象、あるいは象兵という兵種は騎兵というくくりの中でもやはり独特の地位を占める。
何しろ陸上最大の生物種だ。通常の騎兵は騎手と騎獣が一対だが、象兵は違う。御者に加え、弓兵や槍兵などを配置し、攻撃や防御の一助とする。
ただしそれが、この世界の魔物ともなるとスケールが違う。
数人どころか部隊一つを丸々乗せても余裕がある。つまり、百人乗っても大丈夫!
……とまあ、冗談はここまでにして、人員が多いということはやはり、監視の目も多いわけで……。
「げ。もう見つかったのかよ」
森に潜んでいた伏兵だったが、象がぱおーん、と鳴くと一斉に騎乗している兵たちがこちらを見つめてあっさりと居場所がばれてしまった。
どうやら象は何らかの方法でオレたちを探知しているらしい。
歩きから走りへとスピードを変え、小山のような巨体が迫る。……ただ奇妙だったのは、走っているにもかかわらず、ほとんど足音がしないことだ。走りながら忍び歩きできるとも思えないけど?
ただまあ、ばれたのならしょうがない。遠慮なく迎え撃ってやろう。
伏兵がクロスボウを射かける。……が、象は一向に止まる気配がない。硬化能力が強いのか、弓矢ではびくともしない。
地球の象もちょっとした兵器では手が出ないほど頑丈な皮膚をしているらしい。
「やっぱりでかいって強いなあ」
そんなのんびりした感想が聞こえたのかどうかはわからないけど、象は雄たけびを上げながら右前足を力士が四股を踏むように持ち上げる。
その全体重を乗せた右前足を振り下ろした。
当然地震のような振動を予期するが、奇妙なことに全く音が聞こえない。
その疑問が実を結ぶより前に伏兵の蟻たちが途轍もない力で突き上げられたように宙を舞った。
非現実的すぎてもはやギャグマンガのようにさえ見える。
かろうじて直撃を避けた蟻たちはなすすべもなく象に乗っていた兵たちに打倒された。
ふうん。
象の魔法はあんな感じか。大体わかったけど……ここはちょっと部下の教育を確かめるかな。
別の場所で象の戦いぶりを観戦していたラプトルの現将軍空に話しかけてみる。
「空。今の象の魔法がどういうものかわかるか?」
「単純な攻撃ではないでしょう。肉体から放たれた打撃を遠くに放つ魔法でしょうか」
「ん。そんな感じだろうな」
ひとまず<遠当て>と呼ぶことにしよう。ヒトモドキみたいに単純な弾丸を射出する魔法ならあの四股ふみ動作の意味がない。
多分あの動作が象の魔法のからくりの肝だろう。
「じゃ、攻撃以外にも使い道があると思うか?」
少し思案する様子を見せる空。
魔物との戦い、特に相手が初見の敵なら力量や弱点を見抜く洞察力はとても大事だ。そういう素養を翼が育ててくれているのかどうか、確かめないといけない。
「例えば……通信でしょうか。衝撃をより遠くに飛ばすことができるのなら、何らかの合図になるかもしれません」
うむうむ悪くない回答だ。
超音波によるエコーロケーションで会話できるラプトルらしい発想だな。ちなみに地球の象も音によって会話し、十キロ以上離れた仲間とも会話できるのだとか。
ただし超音波、つまり人間の可聴域よりも高い音ではなく、低周波、人間の可聴域よりも低い音で会話する。
このことからもわかるように象は高い社会性を持つと同時に優れた聴力を持つ。
ま、あの大きな耳を見て耳が悪いとは誰も思わないだろうけど、さらに象の耳には特殊な仕組みがある。
「そうだな。お前らは知らないかもしれないけど、象は耳と足で音を聞けるんだ」
「耳だけではなく足で音を聞く、ですか」
「そ。足で感じた音、つまり振動が耳に伝わるらしいな。だから地面の微細な振動を聞き逃さない」
この能力により、数キロ先で雨が降っているかどうかわかったりもするらしい。多分、この辺りの性質が魔法になったのだろう。
振動を感知する、あるいは振動を出し、地面を伝って仲間に意思を伝える。それが拡大されて攻撃能力さえ獲得したのがあの魔法だ。
「後はもしかすると、あの巨体を支えるのにも一役買っているかもしれないな」
「と、言いますと?」
謹厳に尋ねる様子はやはり翼とよく似ている。おっと、ガラにもなく感傷に浸ってしまった。
「巨体だと体重が増えて足に負担が増えるだろ? 特に歩いたり走ったりするとどうしても地面と足の間に衝撃が発生する。つまり音が出る。でもあいつらは足音がしなかった」
歩くことは動物にとって基本的な行為の一つ。それがとても負担の大きい行為では生きることもままならない。その負担を軽くするために魔法を使うことは不自然ではない。
この世界の魔物にとって魔法は武器ではなく手足のようなもの。だからこそ戦わない時にどう魔法を使っているかを見れば存外弱点もわかる。
「あの象たちが魔法を足の負担を軽減するためにも使っているなら、そこが重要だからこそ、ですね」
空からどこか底意地の悪そうな気配を感じる。いいね。指揮官には性格の悪さも必要だ。
「そういうこと。あいつら、案外足元はもろいかもしれない」
地球の象も足に衝撃を吸収するような機能があるらしい。それくらい足を大切にしている。
そして繊細な感覚器官にして巨体を支える要だからこそ、そこを傷つけられることをとても嫌がる。でかいやつはセオリー通り、感覚を潰しつつ足元から攻めるのがよさそうだ。




