397 開戦の狼煙
続々と樹海に向けて四方から、正確には北方を除く三方からクワイは進軍を続けている。
大まかな地理を説明すると、北方には針葉樹林。南方は昔ラプトルたちと戦った平原だ。ヒトモドキは住んでいないけれど、街道は通っている。ここから侵入されないようにきちんと監視はしておく。そのさらに南方には海がある。
北と南からは今のところ侵入される様子はない。
問題なのは東と西。
西にはあまり標高が高くない山と森林地帯が広がっている。完全な未開の土地でもないのでところどころヒトモドキの山村がある。当然小さい村は先手を取って叩き潰そうとしたけど……少しばかりやりたいことがあるのでしばらく放置。
ただ敵も指をくわえてばかりではなく、大きな町に住民を集結させている様子。急がないとまずそうだ。
西から侵攻してくる敵はゲリラ戦による遅滞防御を予定している。恐らく敵がもっとも攻めてくるのがこの地域だから敵を侵入させつつ迎撃して時間を稼ぐ予定。
そして東。
東には巨大な山脈があり、そのさらに東にはおなじみの高原が広がっている。
ただし、その山脈にはきちんとした街道が整備されている。ここを破壊してしまった場合、高原や北方の火山からの物資が止まってしまうのでそれは避けたい。
西のように侵入を許すわけにはいかない。
なのでとにかく馬鹿でかい要塞を今まさに作っている。あえて目立つ要塞を建設してそこで敵を集めて殺す。
爆弾や火薬などの兵器は主にここで使う予定。森林地帯だと火災の危険が大きすぎる。敵が要塞を無視する可能性も考えたけど……多分ないだろう。連中はとにかく数が多い。恐らく二千万ほど。もっと多いかもしれない。
地球史でそれほどの人数が戦争に直接動員されたことは数えるくらいしかないだろう。
が、それだけに融通が利かない。良くも悪くも宗教の熱に浮かされた素人にそれほど巧みな用兵は期待できないだろう。
つまり要塞は誘蛾灯だ。
東は障害物の多さを利用して防御。西は科学兵器と建築力を活かして攻撃。それがおおよその戦略だった。
決して分の悪い戦いではない。敵の数は圧倒的だけどこちらのホームグラウンドで、武装もこちらの方がはるかに上。
アンティ同盟も全面的に協力してくれるらしいから長引かせさえすれば勝ちの目はある。
ただし、奴が、銀髪がいなければ。
あいつがどう来るかで大きく防衛戦略を変えなければならない。
予想できるパターンは大きく分けて四つ。
西側から森をぶった切り(比喩ではない)ながらこちらの伏兵を無力化。
東側で要塞をぶっ壊す。
南から侵入。ただし平原が多いので察知することは容易。
予想できない場所から少人数、まあそれでも数万人はいるだろうけど、でこちらの本拠地を電撃侵攻。
いずれにせよまずは銀髪の位置を捕捉し続ければ自然とどういう作戦を練ったのか予想できる。
のだけれど……そりゃそうだ。普通に考えれば誰だってそうする。
銀髪の居場所を隠してしまえばいい。
銀髪がどこにいるのかわからなければ途端に防衛の難易度は跳ねあがる。
つまり今オレたちは……絶賛銀髪をみうしなっていまあす!
「やっぱり影も形もないんだな?」
「コッコー……」
珍しく我らが誇る諜報活動部隊の長、和香がしょぼくれている。西藍やラーテルという二つの敵を監視しながらとはいえ、二つの失敗を重ねてしまったのだから無理もないけど。
一つは銀髪。教都チャンガンにいると思われた奴はいつの間にか移動していたらしい。奴の逗留先に人の気配がなくなってようやく気付いた。恐らく教都を出ていく民に紛れて移動したのだろう。
奴が移動する場合身の回りの世話をする人員などが大量に配置されているのが通例だ。意表をついて少人数で移動すれば監視の目を掻い潜れると判断したのかもしれない。
敵だってアホじゃない。いい加減オレたちに監視されていることに気付いたらしい。
で、二つ目が王都ハンシェン、正確にはその奥にある王宮……という名の農業地帯だ。
あそこで品種改良のようなことを行っているのではないかと推測していたけど今では夥しい魔物の死体が山のように積みあがっている死の大地だ。
そしてどうも、教都チャンガンから王都ハンシェンに移動にかかる時間と、銀髪がいなくなったと推測される時期が概ね一致する。
これをただの偶然だと笑えるほど楽天家じゃない。
「合流されたかもしれんのう」
「やっぱり千尋もそう思うか?」
「うむ。逆を言えば銀髪にとって教皇は守るに値する存在ということの証明かもしれん」
確かに。今のクワイで本気の空爆を防げるのは銀髪だけ。
現状では銀髪の魔法が届く距離に滞在することが最強の安眠方法だ。おんぼろ小屋だろうが要塞だろうが爆弾を思いっきり落としてやれば大差ない。
もちろん、銀髪が忠実な番犬であることが大前提だけれど。
「やっぱり国王、および教皇拉致作戦は継続だ。なんとかして首根っこをおさえないと。ついでに聞くけど琴音。噂のばらまき具合はどうだ?」
「ばっちりだにゃあ」
こちらは複数の都市に潜伏、あるいは移動するヒトモドキの近くに潜り込み、音の魔法を使っていかにも噂話を装っていくつかの偽情報をばら撒いてもらっている。
「あいつら噂を信じ切って自分たちが飼っている魔物を殺し始めたにゃ。滑稽だにゃ。面白いにゃ」
琴音の飛び切り底意地の悪い笑顔で舌なめずりしている様子が目に浮かぶ。
ばら撒いた噂は概ねこのようなもの。
『聖別を受けた魔物とはいえこのまま生かしておくよりは直ちに楽園へ旅立たせた方がよい』
ただ魔物を殺せ、というデマをばら撒いても効果は薄いだろう。
しかし、きちんとした理由に基づいたデマなら話は別。心理学的に他者を傷つけてよい理由があると極端に攻撃的になるのだ。
このデマを信じ切ったヒトモドキは喜び勇んで家畜である魔物を殺し、その影響で、魔物に頼っていた各地のインフラが低下しつつある。衛生、運送、水の貯蓄……どれも日々の生活を支える地味な役割。それが真っ先に崩壊しつつある。
つまり、感染症が非常に発生しやすい状況になりつつある。
……なお、デマの文面を推敲したのはサリだ。やはり、知識としてしかセイノス教を知らないオレたちよりも実際にその陣営に属していた奴はきっちり心に響く文面を作れる。これだけでも奴を取り込んだ甲斐があった。
しかしやはり時間が足りない。もう一月あれば。もう十日あれば。それだけでも事態は好転するはず。
だがしかし敵は待ってくれない。
津波のように押し寄せる敵の第一波。
南東にあるラオからの軍団が迫っていた。




