393 然る夢
王宮内部にある宿……というかただの小屋が纏まった集落に案内された一行は数人に分かれて床に就くことになった。
タストはウェングと隙間風をわずかに感じる粗末な小屋に寝具が用意されていた。
「いや、それにしても意外だったな。王さんがあんなに庶民的だったなんて」
ウェングとしては肩透かしを食らった気分だ。それと同時にここから出してくれてよかったという安堵も感じていた。
一方でタストの顔色は優れない。二人とも最近は例の計画を進めるために忙しく、あまり顔を合わせていなかったので、タストが以前よりやつれていることに驚いていた。
「なあタスト。あんた最近どうしたんだ?」
「何でもないよ」
よりいっそう気分を落としたタストにさらに問いただそうとしたウェングを小屋の外からの声が遮った。
「入ってもよろしいですか?」
「ど、どうぞ」
ウェングは反射的に答える。昼間に聞いた温和な声。
つまり今小屋の前にいるのは……。
「国王陛下……」
やはり穏やかな笑みを浮かべる国王だった。
「二人ともお元気そうですね」
「「はい」」
思わず背筋をピンと伸ばして同じ言葉を口にする。
王族の暮らしぶりを知ったとしても未だに国王はこのクワイの中枢たる人物だ。無礼はできない。
「陛下。いかなる御用向きでしょうか」
「ええ。実は今夜ある儀式を執り行いたいのですが……あなた方もそれに参加しませんか? 聖女様もお呼びするつもりです」
儀式と聞いてウェングは身構える。何か特別なことを行うなら、礼儀として参加を拒否するという選択肢はない。しかしタストは表情を消し、暗い声で尋ねた。
「その儀式は、穢れを含みますか?」
ウェングにはその言葉の意味がわからなかったが、国王には通じたらしい。
「ええ」
「……では、聖女様にはご参加いただかない方がよいでしょう。あの方には一片の穢れもあってはなりません」
「確かにその通りです。浅慮でした」
二人が通じ合っている様子をみて疑問符を何重にも浮かべているのはウェングだ。しかし彼が何かを発するよりも早くタストが返答してしまう。
「では僕たち二人は参加します。ウェング。それでいいよね」
「あ、ああ」
勢いに押されるように頷く。
そのウェングを少し不思議そうに国王が眺めていた。
国王に案内され、すたすたと夜道を歩く。
「君は、できるだけ何もしゃべらない方がいいよ」
ぽそりとタストから忠告される。確かに何が行われているのか、あるいは行われているのかわからない自分は黙っておいた方がいいだろう。ただ、何故タストには理解できているのか。それが気になっていた。
夜風が頬をなでる。その風に乗って漂ってきたのは――――血の臭いだった。それも、戦場かと思うほどの。
「こ、国王陛下!? これは一体!? この先に何が――――?」
ウェングの言葉をタストが手で制する。
それに従い黙って国王についていくと……予想通り、小川のように赤い血が地面を伝っていた。
夥しい死があった。王宮に住まう王族がこの広場に恐らくは全て集まっているのだろう。その誰もが祈り、歓喜の涙を流し……魔物の額を砕き、悪石を取り出して砕いていた。
一目見て思い出したのは……サバトだ。
魔女の集会。そうとしか思えないほど狂気的だった。いっそ自分自身の正気を疑うほどに。
呆然とするウェングをよそにタストが感情を極端に押し殺した声を出す。
「ここにはもう帰ってこれないから今のうちに救っておくべき……そういうことですか?」
国王は平然と、昼間に見せた柔和な笑顔のままゆっくりと語る。
「ええ。聖女様が邪悪な蟻を打倒し、真に救いが訪れればありとあらゆる命は救われます。ですがこれらは一時とはいえ王宮で暮らした魔物。せめて我らの手で悪石を砕き、救うべきでしょう」
彼女らに悪意などない。ただただ哀れな魔物を自らの手で救うおうという慈愛の心があるだけだ。だからこうして笑顔のままでいられる。
つまり国王もまた、本気で救いと聖女を信じている。そうでなければこんな凄惨な現場で笑顔のままではいられない。
「一つ質問なのですが、ここにいる魔物は何故王宮で暮らしているのですか」
「ああ、それは聖別のためです」
「聖別の為に魔物が王宮に集められているのですか?」
「ええ、その通りです」
魔物の穢れを聖め、悪魔から解き放ち、楽園で安らかに眠る資格を与える秘法、聖別。
それを担うのが王族であり、その内容は秘中の秘として決して明らかにされない。
そのはずだった。
「我々は聖典の外典に従い聖別を執り行います」
「外典? 初めて聞きます」
「ええ。王族の門外不出の書物です。許可なく複写することさえ禁じられています。しかしもはやこれさえも不要。あなた方に見せても問題はないでしょう」
国王の付き人の懐から取り出されたぼろぼろに擦り切れた本を受け取る。
「拝読いたします」
ぱらぱらとページをめくる。
どうすれば土が神聖になるか。水を清めるにはどうするか。魔物をおとなしくさせるにはどうするか。より神聖な樹木にするにはどうするか。そんなことが描かれていた。
これは宗教書ではない。そう偽装した農業や畜産の手引書だ。おそらくクワイに伝わった農業技術はこの本に書かれた知識をもとにしているのだろう。多分、この世界にはもともとなかった知識だろう。
ただ、一般に知られていない知識もある。植物や動物の品種改良……だろうか。どう交配すればいいのか。そういう知識は一般に知られていないはずだ。
それがこの本には書かれており、さらに頻出する名前があった。
猩々。
地球でも聞いたことがある。確か妖怪の名前だったか。そう名付けられた魔物は何度もこの外典に書かれていた。




