388 北部戦線異常なし
すべての思考を打ち切って北部に視点を移すと――――まさに戦場だった。
地には懐かしい蛇やトカゲと戦う働き蟻、空にはミツオシエとカッコウや鷲が激戦を繰り広げる。
だがやはり戦場の主役は巨大なラーテルだった。
その腕を振るう度に嵐が起こり、その牙が閉じるたびに命が失われていく。止めようもない。――――はずだった。
かろうじて堪えていた。ある時は上空から化学薬品をぶちまけ、ある時は魔法で強化した弾丸で撃ち抜こうとする。
綱渡りのような攻防を数時間以上続け、それでもなお衰えてはいなかった。
「いやまったく、優秀な部下どもがいて幸せだよオレは」
ここまでやってくれるとは思わなかった。ほとんど爆弾も何もないってのに。
とはいえここまでで十分だ。
「千尋! 空! 謎は解けた! あと撤退してくれ。数日あれば爆弾は追加できる! それまで遅滞防御に専念してくれ!」
「うむ!」
「は!」
波が引くように撤退を始めるわが軍に当然のように追い打ちをかけるラーテルたち。しかしなめるなよ? オレたちは逃げるのがとても得意だ! 敵からしてみるとこの上なくうっとうしいだろうなあ!
決して少なくない犠牲を出しながらも撤退に成功した。
その後もほどほどに戦いながら機を見て撤退するという戦法を繰り返すこと数日。
驚くべき速度で準備は整った。
ラーテルたちの進軍速度はあまり速くない。というのも奴らは巨体すぎるのと、率いている数が多すぎて森の中ではあまり速く走れないからだ。
かといって森林をでれば飛び道具の恰好の的になるので軽々と森を出るわけにはいかない。もうすでにこちらの領土に足を踏み入れているので森ごと焼き尽くすような真似はしないと読まれている。
だからこそ――――空中の移動速度と比べれば雲泥の差になってしまう。
「あってよかったデファイ・アント号!」
雲海をかき分けて突き進む船こそ我らが飛行船。
高原から三日とかからずに移動できるフットワークはやはり驚異的だ。ラーテルたちも度肝を抜かれたようだ。
やっぱり高原での情報までは掴んでないみたいだな。それでも迅速にミツオシエを飛び立たせ、迎撃に向かっていく。
「ケーロイ! 任せるぞ!」
「おう! 見ておれ!」
飛行船から飛び立った鷲たちが優雅にはばたき、ミツオシエの群れに突っ込んでいく。
数の劣勢は明らかだが、いかんせん航空戦力としての性能が違いすぎる。レジプロ機とジェット戦闘機ほどの性能差があることに加え初期位置で完全に上をとられてしまっていた。
鳥同士の戦いにおいて上空をとられるということは致命的な事態らしい。
事実、万有引力の法則に従った鷲と逆らい続けるミツオシエの速度差は歴然としており、十数倍の戦力差をあっさりとひっくり返していく。
「うし! 制空権確保! さあそれじゃあ、爆弾いくぞ!」
鷲がミツオシエを抑えている間にカッコウたちが持ってきた爆弾と飛行船に積まれていた爆弾を次々投下していく。
どれほど強壮だろうが空を飛べないラーテルは恨みがましい視線を送ることしかできない。ナメクジの魔物がせめてもの防御とばかりに霧を発生させる。
ユーカリの魔法によってタイミングを合わせて爆破したそれらは一陣目が霧を吹き飛ばし、二陣目がラーテルに命中した。
……が。
致命傷を負うほどの爆発ではない。
これならば、耐えられる。そう踏んだのかラーテルたちはやや駆け足のまま進軍する。空爆を続けるがむしろ進軍速度は増すばかりだ。
だがやがて、その足は次々に鈍り、やがて倒れ込む。
その口は大きく開け広げられ、舌や歯茎が紫色になっていた。典型的なチアノーゼ症状。
今回は爆発によって倒すのではない。爆発物の蒸気を体内に吸入させること。
その化学物質によって酸素吸収を阻害し、ラーテルは昏倒したのだ。その化学物質の名前は――――。
「ヒドロキシルアミン。知らんだろうな」
水とアンモニアがくっついたような構造式をとる無機化合物。毒性、爆発性両方が備わる、第五類危険物にして毒物及び劇物取締法において劇物として扱われる正真正銘の危険物。
あまりにも爆弾を使いすぎるとどうしても森林火災の危険性が産まれるのでこういう手段を使わせてもらった。この方法ならラーテルのありとあらゆる物質を分解する魔法も意味はない。気体を分解することはできないのだから。
おとなしくじっとしてればチアノーゼは防げたかもしれないけど……ま、どっちにしろ次の攻撃は防げない。
「じゃ、とどめをさせ」
今度はヒドロキシルアミンではなく、もっと強力な一撃で仕留めるための爆弾を投下する。火災さえ起きないくらいの強力な爆風を発生させる爆弾を。数発しか用意できなかったので、確実に敵の足を止めたかった。
空から災厄が降る。
爆発が森の木々に穴をあけた。




