384 都会砂漠
そのころ誰もが教都チャンガンでは右へ左への大騒ぎだったがただ一人例外がいた。
この騒ぎの中心人物とも言える銀の聖女ファティである。
彼女は聖人として認定され、式典が終わって以降、教皇からあてがわれた屋敷の一室でひっそりと外界から切り離され、時が止まったような生活を送っていた。
食事をし、祈り、眠る。
何一つ変わり映えのない毎日。その日々に芽生えた気持ちは、孤独。
無論彼女の周囲には何一つ不自由のないように数十人の侍女がいる。しかし彼女たちは自分をうやうやしく、壊れ物のように扱うだけで決して胸襟を開ける仲ではなかった。
実のところそれはタストの警戒心の発露だった。敵が忍び込むことを警戒したタストは信頼のおけるもの以外ファティに近づくことを禁じ、侍従もみだりに聖女に話しかけないよう、教皇を説き伏せたのだ。
教皇にとっても、それ以外にとっても銀の聖女は神聖なる存在であるので反対する意見はなかった。
そしてファティは今日も一人で昼食をとっていた。
「サリやティキーさんが無事ならいいけど……」
食事中に思わず本音が漏れる。
やはり思い出すのはあの二人のことだ。
行方不明になり、いまだに見つかっていないらしい。二人ともいつも厳しくも思いやりのある言葉をかけてくれた。あの二人がいればこの町中で砂漠に一人で佇むような孤独を感じなかっただろう。
最近はタストやウェング、アグルともまともに話せてはいない。
自分自身が会話に飢えていることに今日ようやく気付いた。それは今朝の出来事が原因だった。
久しぶりに、本当に何年かぶりに故郷のトゥーハ村の人々と会話する機会を得た。
タストが差配してくれたらしく、彼は忙しくとも自分に気を遣ってくれたことに嬉しさと申し訳なさを同時に感じた。
容姿が変わった人もいれば、全く変わらない人もいた。自分はどうだろうか。変わっただろうか。
ただ、あの人たちは……。
「皆さん……お久しぶりです」
屋敷を訪れた懐かしい顔ぶれに思わず涙がでそうだった。肉屋のセア。大工のククル。農婦のミーコ。本当に懐かしかった。
人肌が恋しかったせいだろうか、村民に近づくと彼女らは……一斉に跪いた。戸惑うファティに対して彼女たちは一斉にまくしたてる。
「聖女様。ますます御髪が美しくなられましたね」
ちがう。
「聖女様は素晴らしい御方です! 聖人に選ばれるなんて……」
そうじゃない。
「やはりあなたこそが救世主様の再来です!」
や……。
「聖女様は村の、いえこの国の誇りです。これからも救いをもたらすため存分にお力を振るいください。我々も微力ながらお手伝いさせていただきます」
自分がなんと答えたのかは覚えていない。
誰もが褒めてくれた。心から賛辞をくれた。その心に偽りがあるはずもない。
しかし、それでも、超えようがない壁を感じた。だから、こんなにも寂しいのだろうか。
いや……きっとそれだけではない。何故だろう。何をしたかった……いや、何をしてほしかったのだろうか。
「ああそっか。私、もうやめようって言ってほしかったんだ」
思わずこぼれた言葉は日本語だった。
「聖女様? 何かおっしゃいましたか?」
「いいえ、なんでもありません」
条件反射のように侍女に対してクワイの言葉で返す。
今ようやく自覚した。
自分はあの村に帰りたい。そしてトゥーハ村に帰ろうと言ってほしかった。
もう戦わなくていいと言ってほしかった。
しかしみんなの口からは聖女であることを讃える言葉ばかり。
(みんなは私と一緒に暮らしたくないのかな……?)
自分にとってトゥーハ村の暮らしは何物にもかえられないかけがえのないものだ。それを守るために、あるいはそんな暮らしを誰もが送れるように奮闘しているつもりだ。
だが、村の人々は……そんな生活に未練などないような口ぶりだった。そんなことはないと思いたい。きっと戦いが迫っているせいだと叫びたい。
(この戦いが終われば全部元通りになるよね……?)
とっくに冷めた料理を口に運ぶ。クワイにおいて最高の腕と食材が振るわれたその料理は全く味がしなかった。
ここは異世界転生管理局地球支部。
その一室では極めて高度な心理戦が行われていた。
「いやはや翡翠君。随分と計画通りじゃないか」
「は。これも百舌鳥様の薫陶によるものです」
彼らの計画は単純だ。
クワイとかいう連中を煽り、蟻の転生者を殺すように仕向ける。その計画そのものはうまくいっていた。
うまくいきすぎてしまったのだ。
「しかしいやはや、こうもうまくいくとは。何か秘訣でもあるのかな?」
「まさか。全て百舌鳥様のおかげでございます」
はっきり言ってクワイの民がそれこそ国を棄てて蟻を殺しに行くのは想像の外だった。つまり彼らはクワイが、セイノス教徒がどれだけ神を信奉していたのか、まるで理解していなかった。しようともしていなかった。
よって彼らはこれがセイノス教徒の真摯な信仰心によってもたらされた暴走だとは思わない。
この目の前にいる男が何かしたのだろうとお互いに心の中で確信していた。だからこそ、動けない。
相手の手の内を明らかにするまでは迂闊な行動をとれない。
つまり彼らはお互いに足を引っ張り合っていたのだ。その事実に全く気付いていなかった。




