378 信じる者しか救われない
おぼろげな足取りで町の人々の話を聞きまわる。
どんなことを言っていたっけ。
「もうすぐ救いが訪れるのですね! 聖女様万歳!」
そう言ったのはどこにでもいそうな女性だった。
「聖女様も素晴らしいが教皇猊下も慈悲深い。まさか聖女様と共に戦う栄誉を我々に授けてくださるとは」
これは商人の男性だ。
「少しでも聖女様の助けになるように、がんばって魔物を討伐します」
拙い言葉遣いをしていたのは年端もいかない少女だ。
「悪魔に穢された哀れな魔物を救い、楽園に旅立とう!」
勇ましい言葉を述べたのは農夫だった。
「ついに楽園に旅立てるのか。今までの苦労が報われるのですね!」
修道士はそう断言した。
多種多様な職業、年齢、性別。
違いはあれど、救いが訪れること、聖女様を讃えること、命など惜しんでいないこと、それは誰もが同じ思いだった。
本当に本気で神の言葉を信じて、この先の未来を不安視していない。
ああ。
ああ。
本当に。
「馬鹿じゃねーの」
いつの間にか戻ってきた自室、そこで膝をつきながらつぶやいた。その一言から堰を切ったように言葉があふれだす。しかもその言葉はクワイの言葉ではなく、日本語だった。もしもその声を誰かに聞かれれば気がふれたと思われることだろう。いや、実際におかしくなっていたのかもしれない。あるいは、この世界に産まれてから一度たりともタストがこの世界の住人としてまともだったことなどないのかもしれない。
「何でどいつもこいつも怯えないんだ! どうして誰も疑わない!? どうしてそれほどまでに世界の為に尽くせるんだ!」
普段の丁寧な口調をかなぐり捨てて慟哭する。
この世界の住人はその大半が善人だ。
他人の、国の、世界のためならば喜んで身命を捨てる。それどころか戦いと嫌悪の対象である魔物さえも救おうとしている。実際に救っているかどうかはともかくとして、手を差し伸べる対象ではある。
だからこそ受け入れられない。きっと蟻に転生した人は魔物を救おうとしている。不当に働かされ、棲み処を追われ、殺されようとしている同族を放っておけないのだろう。
しかし、セイノス教徒にとっての救いと、蟻の……いや、地球人にとっての救いは根本的に思想が違うのだ。
地球人にとっての救いとは平穏や平和、心安らげる生活だろう。しかしセイノス教徒にとっての救いとは楽園に旅立つことだ。つまり楽園に旅立ちさえすればいいのであって、この世界での生死など問題にしてはいない。
はっきり言えばこの世が平和で満たされたとしてもセイノス教徒は絶対に満足しない。してはいけない。救いが訪れるまで何があろうとも戦い続けなくてはならない。
この点を転生者はみんな誤解している。理解できない。地球の、日本人の価値観において、世界平和や、自身の生死よりもはるかに大事なものがあると誰もが認識している世界など誰が想像できようか。
「この世界は……何も問題がなかったんだ。魔物を救っているふりをして、でも実際には無理矢理働かせて、殺して……時々殺されて……そういう関係性を千年も続けてきた。いつ来るかどうかもわからない救いを信じて……でも来てしまった。来ないはずの救いの機会が。銀の聖女という救世主の再来と、神の託宣が来てしまった」
ノストラダムスの大予言をご存じだろうか。かすりもしなかった例のアレだ。もしもノストラダムスが現代でも生存していれば、赤っ恥をかいたことだろう。ノストラダムスが本気で世界が滅びると思っていたのか、それともただの与太話、あるいは衆目を集めたいだけだったのか……とにかくどうしてそんな予言をしたのかはわからない
確かなことは終末思想の開祖はその終末を絶対に見届けられないからこそ終末思想を唱えられるのだ。なぜなら終末が来なければ自身の予言がただのほら吹きだと判明してしまうがゆえに。
そう。まともに考えて全ての魔物を殺す……いや、救うことなどできるはずもない。
だから永遠に救いなど訪れないはずだった。そうであるがゆえに日々をつつがなく過ごしていた。
だがしかし超常の存在から託宣があってしまった。
だから誰もが夢見てしまった。遂に救われるのだと。
だからかならず殺さなければならないあの蟻を。
そうでなければこのセイノス教というクワイの基盤そのものが揺らいでしまう。
「どうしてこうなった? いやそうじゃない。そんなことを考えるべきじゃない。大事なのはこれからどうするかだ」
もういっそのことクワイを見限って蟻に転生した誰かの側につくか? ……無理だ。絶対に受け入れてくれないだろうし、自分自身も納得できない。
「僕は……人類を裏切れない」
それが自分とこの世界を繋ぐ絆。人が、人であるために。それが醜悪な仕組みだったとしても……愚かだったとしても……人であるのだから人類の味方でなければならない。
もはやクワイの破綻は避けられない。誰一人として来年のことを考えていない。いやその必要がない。
蟻の王さえ倒せば救われるのだから国家を運営する意味などない。千年続いたクワイはこの戦いの結果はどうあれ幕を閉じる。勝利しても未来がないとはなんという悲劇、いや喜劇だろうか。
クワイという国家を存続させる意義は、もっとも絶望的な結末、勝利しても、神の言葉に従っても何も変わらなかったという未来以外ありえないが、その可能性を考慮しているのは自分だけだ。それゆえにクワイの破綻を見据えて完全な崩壊を防がなければならない。
外から歓声が聞こえる。恐らく銀の聖女一行がここに到着したのだろう。
しかしタストの心中は高揚とは正反対に沈み切っていた。
「まずは勝つ。例え、どんな手段を使ったとしても」
どれだけの犠牲を出したとしても勝つのだ。負ければどうなるのかわからない。その暗黒の未来だけは絶対に防ぐ。
そのためにはファティを何とかして蟻の本拠地に送り込む必要がある。彼女でなければ絶対に勝てないほどに戦力を整えてしまっている。
……しかし気になるのはティキーが行方不明になったことだ。詳しく聞いていないけれど、何の前触れもなく突然行方不明になったらしい。
もしかすると蟻の転生者は転生者に対して有効な対策……あるいは魔物だけではなく人間を操る能力があるのかもしれない。もしもその能力がファティにまで有効だったとしたら……もはや勝ち目はない。
「弾避けがいるな……」
ファティを確実に戦わせるために、敵の能力を無駄撃ちさせる盾がいる。少なくとも敵の能力はすぐさま使えるようなものではないはずだ。もしもそうならとっくの昔にファティが殺されているはずだ。
何とかして大軍とファティを同時に敵の本拠地に突入させなければならない。そのために必要な作戦は……。
おぞましい計画を練るタストの瞳には暗い殺意が渦巻いていた。




