348 フェアリーテイル
「魔王……なんとも不遜な言葉ですな」
セイノス教徒にとって王とはクワイの国王ただ一人。穢れた魔物が王を名乗るなどあってはならないのだ。
「全くですが……そういう噂はいつの世にもあるのです。そんな噂が広まることこそ人心が不安にさいなまれている証でしょう」
悪魔や魔物の存在は聖典に書かれている。だが、魔物の王、あるいは悪魔の王。そんなものはおとぎ話の中にさえ存在しない。
それでも、それを言の葉に乗せてしまうのは恐怖か、それとも世の終わりが近いのか。
「……ならば今こそ真の信仰が世を照らすべきでしょう」
チャーロも言わんとしていることはわかる。
今のクワイの上層部には任せておけないということだ。では、ここにいる指揮官はどうなのだろうか。
「騎士団長はニムア・リーファン・ソメル様ですか。どのような方なのです?」
アグルは黙って首を横に振る。
彼女は良くも悪くも典型的な高位聖職者だ。神を信じ、正しい信仰を持つ。ただそれだけだ。悪人ではないのだが、我々に協力してくれるとも思えない。
「あなた方への態度はどうですか」
「露骨に邪険には扱われていませんね。トゥッチェの民は銀の聖女様の知人という扱いになっているようです」
言い換えれば銀の聖女さえいなければ歓迎されない存在だということだ。アグルは心の中でニムアの顔に大きくバツ印をつけた。
「あの方のこれまでの戦歴は決して悪くありません。ですが、あの蟻には勝てないでしょう」
チャーロも無言で同意する。あれは汚らわしい兵器を使い、悪魔の知恵を持つ……としか思えない。断言してしまうとそれは悪魔の認定を勝手に行ったことになり、重罪人として処罰の対象になりうる。
「それは我々にとって都合がよいはずですね」
手早く負けたいアグルたちにとって格別にニムアが優秀でないことは歓迎するべき事態だ。
「その通りですが、少しばかり我々が主導権を握るための工夫をしましょう。お付き合いいただけますか?」
不敵な笑みを浮かべるアグルにチャーロはしっかりと頷いた。
チャーロ達トゥッチェの民が合流したのは旧交を温めるためではない。疫病が蔓延していたために足りなくなっていた物資をアグルの要請によって運んできたのだ。
例えば食料や、持ち運びのできる天幕、地図など。
その運ばれてきた天幕の中で軍議が行われていた。内容はトゥッチェの民が数日前に発見した砦攻めについてである。
しかし天幕の内部には一触即発のただならぬ空気が立ち込めていた。
「失礼ですが今なんと?」
そう発言したのは今回の遠征の騎士団の団長であるニムアだった。
「砦への攻撃は慎重を期するべきです」
それに答えたのはチャーロだった。先ほどの言葉を繰り返す。
「貴様! 家無しの分際でニムア様に意見するのか!」
横合いからニムアの配下が声を荒立てる。家無しとはトゥッチェに対する蔑称の一つだ。定住しない遊牧民のような生活様式をなじっている。もっとも一介の修道士が騎士団長で大司教であるニムアに意見するなどまずありえないことなので、侮辱はむしろ当然と言える。
「まあ落ち着きなさい。何か意図があるのでしょう?」
部下が激昂したことで余裕を取り戻したのか、ニムアはゆったりと語り掛ける。
「恐らく敵は我々を苦しめた蟻でしょう。邪悪で穢れた魔物だからこそ、神聖なる騎士団を率いるニムア様でも容易く打ち破れる敵ではありません」
「ニムア様は貴様らとは違う!」
チャーロの言葉をニムアへの愚弄だと勘違いしたのだろう。
いや、チャーロ自身一年前にこの言葉を聞けば愚弄されていると思ったかもしれない。神の愛と加護を一身に受ける我らが負けるはずないと思ったかもしれない。しかし、そんな自信は一年前に砕かれた。
「誰が何を言おうと私の意見は変わりません」
「そこまで言うからにはそれなりの覚悟があってのことでしょうな」
「……よいでしょう。では皆さまが五日以内にあの砦を落とせれば私は一生皆様には逆らわないと神に誓いましょう」
神への誓いはセイノス教徒にとって特別な意味を持つ。その誓いを守らなければ直ちに楽園に旅立たねばならない。
しかしその誓いはむしろ周囲の失笑を買った。彼女らの目には五日後には従順なチャーロがありありと浮かんでいた。
「あなたがそこまで言うのならば私も神に誓いましょう。五日以内に灰色蟻の砦を落とせなければあなたの助言に従うと」
チャーロはアグルの策がうまくいったことに心中で安堵する。
協力されないというのなら思い通りに動くよう誘導すればいい。チャーロが誓えばそれに張り合うだろうというアグルの読みは正しかった。このまま予定通りに事が運べば少なくともチャーロの意見を聞き入れはするだろう。
後は敵の奮戦に期待しなければならない。
五日までに適度に敗北してくれれば最も都合がよい。
(しかし敵に期待するなど……何とも奇妙な状況になったものだ)
心中でつぶやいた言葉は偽らざる本音だった。




