344 回帰王
革張りの天幕に木の枝を組み合わせたアンバランスなようでいて絶妙にかみ合ったテントでくつろぐオーガたち。
イヌイットは雪や氷に流木、獣の皮を組み合わせてイグルーなどの住居を作ったらしい。オーガもガラクタのような資材を上手く使っててきぱきと住居を組み上げる。オーガはあらかじめ用意したものを持ち運ぶよりもその場にある物を利用するのが得意らしい。
道具なんかもそこら辺の石を研いだりして利用するけど、たった一つだけ専用の武具を持っている。飛び道具の類は利用しないようだ。水中での活動が得意なこともその理由の一つ。当たり前だけど水の中じゃ飛び道具はほとんど使えない。これはオーガがもともとセイウチであるというオレの推測を裏付けている。
しかしそんなオーガたちが必ず持ち歩く道具……いや家畜がいる。
ぷかぷかと水槽に浮かぶ魚だ。大きさは一メートル強の大きさで肺呼吸を行う魚類の魔物。丸々と太った巨大なウナギ。ユーモラスな見た目と違いその重要性はすさまじい。名付けて、エアコンフィッシュ!
そう! 温度を調節する能力を持った魔物なのだ!
粗末で急ごしらえの天幕の中に入るとそこは別世界だった。
もちろん比喩表現だ。しかし天国や楽園とはまさにここだろう。
「おおー。マジで暖かいな」
感覚共有によって温度感覚を共有するとその違いがよくわかる。これがエアコンフィッシュの能力か。冷暖房が標準的に備わっている現代人にとっては慣れ親しんだ温度変化だけれど、こんな世界の未開の地でエアコンの代用品があるとは思わないって。魔法万歳。
「着の身着のままで逃げ出すつもりだったのだがなあ。これだけは持ち運ばねば後で困ると諭されてな。どうにか持ってきたというわけだ。これがあると夏は涼しく、冬の寒さを和らげる」
北極や南極などの極寒環境にすむ魚や昆虫などの生物には不凍タンパク質などと呼ばれる0度を下回っても活動するためのタンパク質を持つ生物がいる。多分そういう性質が魔法として現れたのだろう。
これなら粗末なテントでも火をおこさずに過ごすことができる。
「この魚はどうやって捕まえるんだ? それとも自力で増やしているのか?」
「我々が繁殖させておる。他の家畜と違ってあまりものを食わんし、おとなしい。ただ野生に離すとすぐに死んでしまうらしいがなあ」
ふうん。蚕みたいに膨大な期間飼育されてきたから生存に必要な機能が退化したのかな。その反面非常に飼いやすいみたいだ。
でもこれほしいな。これがあれば冬越しや寒冷地での活動がかなり有利になる。
「ところで紫水。本当にお前の言う通りなのか?」
「間違いないよ。後は反逆者が王としての務めを果たしているかどうかだ」
「しておるだろう」
考える様子さえなく断言する。反逆者の性格を知っているのだろうか。イドナイが自身のクランから離れておおよそ三十日。ならもうそろそろ結果は出ているはずだ。
「もしもうまくいけばお前の部下を傭兵として雇う。その代わり食料を融通する。そういう契約でいいな?」
「うむ。我々は約定を違わん」
「そりゃ結構」
あまりこいつらだけに割いている時間はない。もうそろそろヒトモドキの騎士団が七海の作った砦に到着する。あまり被害を出さず、なおかつ早期に終結させるためには反逆者とイドナイを交渉の席につけなくてはならないのだ。
幸いカッコウ偵察部隊がイドナイ側の別のクランを見つけてくれたので反逆者とイドナイを引き合わせることは容易だろう。
後は反逆者をオレが言い負かして……それからはイドナイの仕事だ。
「明日からは一気に進む。遅れるなよ」
「そっちこそ」
細工は流々仕上げを御覧じろ。そう言える程度には勝算があった。
荒涼とした平原の草を踏みしめる。丈は低くともしっかりと地面に根を張る草は踏まれても、踏まれてもまた立ち上がる。
そんな平原でイドナイは凱旋するように堂々と反逆者と対峙した。お互いの敵意で冷ややかな空気は今にも凍てついてしまいそうだ。
もしも警戒線を敷いてイドナイを見かけたら即座に捕らえるように命令でもできればこんなことにはならなかっただろうけど、個人主義、あるいはクラン主義が強いオーガにとって一丸となって誰かを排斥するような真似は難しいのだろう。
「お久しぶりですな。元王」
皮肉を込めた一言がイドナイに投げかけられるが動じた様子はない。
「ええ。お久しぶりです。今日は玉座を返してもらいに来ました」
「ふん。何を馬鹿な。自らのせいで子供を死に追いやっておいてよく言う」
これが反逆の大義名分。王としての務め、すなわち丈夫で健康な子供を産ませられなかったこと。そして自分ならそれができると。しかし、だ。
「あー、すまん。ちょっと質問いいかな?」
二人の会話に無理矢理割り込む。オレのテレパシーを伝える一人の蟻がてくてくと割って入る。
「誰だ貴様」
「オレは紫水。イドナイの協力者かな」
反逆者は鼻で笑う。
「こんな輩に協力されなければ私のものとにもこれんとはな。見損なったぞイドナイ」
「紫水の話は最後まで聞いた方がいい。あなたの罪をつまびらかにするでしょうから」
反逆者は余裕しゃくしゃくの態度を崩さない。
なかなか楽しみになってきた。あの余裕が数分後には崩れると思うとな。
「まず一つ。お前と自身のクランの女の間に子供はできたか?」
「何を聞くかと思えば……当然だろう。子を作ることが王の務め」
自分はイドナイとは違うのだ。そう主張するように胸を張って宣言する。
オーガの繁殖期はおおよそひと月前。つまり繁殖期直前にクーデターが起こったことになる。むしろその時期でないと不満は大きくならなかったし、子供ができれば子育てで忙しく、むしろ王のクランは団結してしまっただろう。
「じゃあもう一つ。その子供は全員健康なのか?」
「……」
急に押し黙る。おいおいおい。いくら何でも嘘が下手すぎやしないかい?
「どうした? 子供の健康を聞くことがそんなにおかしいことか」
「……貴様には関係ないだろう」
「ああそりゃそうだ。全くもってその通り。じゃあ関係のある奴に聞いてみようか。そこのお前」
一人の女オーガに話しかける。かなり小柄だからすぐにわかる。
話しかけられると思っていなかったのか、びくりと体を震わせる。
「お前の子供はどうだ? 健康なのか? それとも、血が止まらな――――」
「よせ!」
反逆者が遮るように叫ぶ。むしろそれは逆効果だったのだろう。女は反逆者の叫びよりも大きな声で慟哭し始める。
「いいえ! いいえ! 私の子供は! すでに亡くなっております! う、うううううう!!!!」
反逆者の女オーガたちのどよめきが大きくなる。おやおや。この様子だと公表していなかったようだな。
「辛いことを聞いてすまないけど、お前の子供はどうなったんだ?」
「わた、私の子供は、なかなか立ち上がらず、体のふしに血が溜まり、それで、それで、死にました……」
やっぱりな。実を言うとこの女オーガにはあらかじめ目をつけておいたのだ。イドナイは子供が死んでしまった母親の顔をきちんと記憶していたのだ。
血友病の保因者の子供は一定確率で血友病になる。例え父親が変わってもそれは変わらない。
反逆者は子供が死んだ母親を取り込んだ。ある意味イドナイに責任を押し付けさせたのだ。父親が悪かったのだと、自分なら子供を死なせないと。
しかしそれこそが落とし穴だ。
父親が変わっても子供が死んでしまったのなら、裏切った意味がない。反逆も、裏切りも、その大義名分が一つなくなってしまう。
二重の良心の呵責に苛まれてしまった奴の口を割らせるなんか簡単だ。
「それどころか……子供は生まれなかったと……そう隠すように、脅されました」
一斉に反逆者に非難の視線が集中する。
「おいおい。予想以上にひどいなお前。さて、お前にトップの資格があるかどうか聞くつもりだったけど……もう必要ないな」
もはや趨勢は決した。トップとしてやってはいけないことである、真実を隠すこと、無理矢理従わせることをやってしまった反逆者になすすべはない。
反逆者はこのクランを追放されるだろう。それどころかこのクランの女から袋叩き似合うかもしれない。
しかし、すっとイドナイが前に出る。
好戦的な笑みを浮かべて、蟻にだけ聞こえるようにこう言った。
『すまんな』
意味を問うよりも先にイドナイが叫ぶ。
「その通りだ。もはやこうなれば道は一つ。お互いが死力を尽くし、決闘にて勝負をつける!」




