342 テンペスト
イドナイが子供たちとしばらく戯れるの見ていたけれど、子供が大きなあくびをしたことを契機にようやく母親が介入できる余地が産まれた。つまり、おねむの時間だ。
うとうとと舟をこぎだした子供が母親に抱かれるまで時間はかからなかった。
「いやー、すまんすまん。待たせたなあ」
「別にいいよ。とりあえず何が起こったのか説明してくれるんだよな」
「うむ。一言で言うと、クーデターだ」
ホントに一言で状況がよくわかってしまった。
オーガの暮らしはそう複雑ではない。
一人の男が複数の女を従える群れを形成し、それをクランと呼ぶ。オーガはほとんどの行動をクランとしてまとまって行う。クランに所属していない個体は『はぐれ』と呼ばれる。
当然ながらはぐれはほとんどが男だ。クランの男女比率は百対一くらいらしい。世の男どもは羨むかもしれないけど……よく考えろ。百人分家族サービスしないといけないんだぞ? しんどいぞ絶対。
クランの長になる条件は単純。強さ。それだけ。
男が一騎打ちを行って勝った方がそのクランの長。さらに王のクランと呼ばれるクラン全体を統べる特殊なクランがあり、そのクランの長が王と呼ばれる。
子供を残すことによる遺伝子の保存という目的を考えれば女性の方が有利でさえあるかもしれない。
だって王のクランは王様が入れ替わっても女たちはそのままなのだから、ずっと王のクランの構成員のままだ。むしろ真の支配者はクランの女ではないだろうか。
クランを超えて結束する必要があるときは王のクランが中心になる。
例えば魚の大群を見つけて追い込むときとか、短い夏に生える植物を刈り取り、保存するときとか。
例えば、食料が足りずにどこかから略奪するときとか。
現代人には理解できないかもしれないけど、オーガにとって略奪は一種の産業だ。味方を飢えさせるくらいならどこかの誰かを殺して奪うことは生存競争そのものだ。そして奪う対象になるのは大体ヒトモドキだ。
ある意味クワイという国家に所属するヒトモドキは食物連鎖の下位に存在する生物ということかもしれない。奇妙なのはヒトモドキが食物連鎖の上位でもあるということ。
本気で連中に攻められればひとたまりもない。ただしそこはイドナイもわかっている。
あいつらが徹底的に反撃しないように立ちまわっている。食料を強奪したら逃げ出したり、人死にを少なくするようにしたり、大軍を見かければさっさとヒトモドキも追ってこれないような北部に逃げ出したり。
それでも敵が少数なら負けない自信はあったのだろう。あの銀髪に出会うまでは。
「銀狐の髪をもった女は我らを思うさま蹂躙し、逃げるのが精一杯だった」
「銀狐ってなんだ?」
「ん、ああ、この辺りにいる小さなキツネだ。肉が旨くて毛が美しいからよく狩るのだがなあ。今あれを見れば一目散に逃げだすだろうな」
銀色の体毛を持った動物かあ。クワイでそんな話を聞いたことはないから多分北方にすむ動物なんだろう。全く別の動物さえも恐れるとは……銀髪のやつトラウマ製造機かなんかか?
「それで逃げ延びた後でどうなったんだ?」
「しばらくは平穏だったのだが、私に不満を持つ勢力が徐々に糾合してな。さらに悪いことに……また子供が死んだのだ」
「……また?」
「うむ。私の子供の中に転んだだけで亡くなる子供がおるのだ」
イドナイは肩を落とし、傷ましそうに語る。相変わらず姿と動作のギャップがすごい。
亡くなった子供には申し訳ないがこれはチャンスだ。何らかの病気で子供がなくなっていたとしたら、その病気を治せればオレの好感度はうなぎのぼりに違いない。
「具体的にどんな症状だ? オレでよければ診てみるけど」
「どうにかなるならよかったんだがなあ。もはやここまで死ぬ子供が多ければ奴らの言い分を認めねばなるまい。私の血は穢れているのだと、呪われているのだと」
穢れ、ねえ? ヒトモドキと同じようなこと言ってやがる。呪いだの穢れだの……果たしてそんなものがホントにあるのかな?
「……それがクーデターを起こした連中の言い分か?」
「うむ。あ奴は私を追い出し、戦わずして王のクランの長となった。王のクランは私か奴についてきている者に二分されてしまった。その結果私は追い出されてしまった」
どうやらクーデターの大義名分は二つあるようだ。子供の死。銀髪との戦いでの敗北。言い換えれば決闘に勝てる自信がないからこそこんな搦手を使ったのだろう。そしてイドナイの求心力はつけ入られるくらいには低下してしまっていた。
……クーデターを起こした側にこいつを引き渡せばそれなりに利益はあるはずだけど。それは今のところ最終手段だ。
「ちなみに敵側との戦力差はどのくらいだ?」
「王のクランは六割がた敵に回った。それ以外は静観している」
戦力にそこまで差はないわけか。上手いこと寝返った六割をもう一度味方につけられればいいんだけどな。
「クーデターに乗った王のクランの女たちの一部は息子が死んだ女だ。奴らは理屈では動かんだろう」
それもそうだ。戦いに負けたことは理屈で論破できても……息子が死んだ……あれ? 娘だとどうなんだ?
「今息子って言ったか?」
まさか。性別によって死亡率が違うのか? もしそうならオレが知っている病気に符合する。
「ああ。呪いによって死ぬのは男児だけ。最初のうちは私も不甲斐ない男児だと思った。男は女を守るために強くならなければならないのだからな」
フェミニストが聞けば眉をひそめそうなセリフかもしれないけど、今のオレにとってはどうでもいい。
「……イドナイ。はっきり答えてくれ。死因は何だ? いや、死因じゃなくていい。普段どんなことで困っていた? 血が止まらなくなったのか? それとも筋力が異様に低くなかったか?」
前者なら王族の病。後者なら筋ジストロフィー。
どちらも遺伝病だ。
オレの言葉を聞くとイドナイの表情は今までにないほど厳しくなった。
どこか恐怖しているようにさえ感じる。
「……血が止まらんのだ。体の中に血が溜まることさえある」
「最後に質問。これではっきりする。死亡する子供が多いのは特定の母親から生まれた男児か?」
「……なぜ、それを……? お前は呪いの正体を知っているのか……?」
間違いないな。こいつらの病は伴性劣性遺伝……いや今では伴性潜性遺伝か。その典型例にして有名な遺伝病の一つ。
「血友病。それがお前たちの病気の名前だ」




