338 あの子供たちは今
鷲による高速快速航空便を使って一気にエシャを樹海にお招きする。鷲に気球のゴンドラのように誰かを乗せる部分を鉤爪に引っ掛けさせただけのシンプルな作りだけれど鷲の移動速度は途轍もない。
二日かからずに樹海の本拠地まで到着してしまった。鷲はホバリングに近いこともできるので少し開けた場所さえあれば飛行機の発着場のようなものは必要ない。考えようによっては現代科学よりもすごいかもしれない。
「ようこそエシャ。これがオレたちの本拠地だよ」
整然と立ち並ぶ工場。どこからか運ばれてくる資材。行きかう種族は混沌としている。
文明人ならここが流通、開発の場だとおおよそ察せられるだろう。野蛮人とまで言わないけれど、おのぼりさんであるエシャは眼を白黒させている。
「これは、その……どこに住んでいるのですか?」
疑問はまずそこらしい。
「地上に住む場所はあんまりないかな。居住区は地下。種族にもよるけどな」
「我々も地下に住居を持つことは珍しくないので違和感はありません」
砂漠の暑さと寒さから逃れるには地下に潜むのが一番なのかもしれない。
「そりゃよかった。もうちょっと進んだ先に目的地があるからそこまで我慢してくれ」
町を歩くエシャはやはり興味深そうにあたりを見回している。
自分で言うのもなんだけどこの町、遊び心がなさすぎるんだよなあ。全部工場みたいな建物だし、実際に大半の建物が仕事場みたいなものだし。
古代ローマみたいなもんか。建築みたいな実利的な産業は発達したけど、芸術方面はギリシャ文化の模倣でしかなかったらしい。まあオレに芸術を求めるのも無理があるか。
事実上建国してから戦い続きだからそんな暇もないしなあ。でも蟻からそういう芸術文化みたいなものが産まれるとも思えないけど……ううむ。
そうこうしているうちに目的の場所にエシャが到着する。
穴倉のような地下の入り口に立つ。そこには血と汗の濃いにおいが充満していた。
「ここは一体……?」
「とあるカンガルーの家だな。おーい! いるか! 摩耶!」
感知能力でいることはわかっているけど、礼儀としてきちんと尋ねる。
摩耶はそのカンガルーの名前だ。かつて銀髪との戦いに敗れたカンガルーの遺児。そいつは今この樹海で暮らしていた。
……色々と性格や素行に難があるので、一人でいることが多い。
ピョンピョンと飛び跳ねるように摩耶が出てくると、激しい戦闘の後のように息を荒げ、ところどころ傷を負っていた。小柄だが、いやに重苦しい空気を纏っている。
「摩耶。トレーニングは適度に行えって言っただろう?」
「ヴェ。ですが必要なことですので」
重々しいポージングをとる。カンガルーの肉体言語は時折別のカンガルーを招いて教えてもらっている。それと一緒にカンガルー式のトレーニングも学んでいるようなのだけど……どうにもオーバーワークになっていることが多い。
一事が万事激しすぎる。トレーニングは過激。周囲にヒトモドキへの怒りと呪詛をまき散らすことも多い。正直に言うと、こいつを助けたことをたまに後悔するほどだ。しかし、今回に関しては話が別。
きっとエシャと摩耶は話が合うはずだ。怒りと憎しみは世界共通の言語だからな。
「エシャ。こいつは銀髪に親兄弟姉妹皆殺しにされたカンガルー。摩耶。こっちは銀髪に屈辱を与えられたリザードマン。お互いに銀髪について話しをしてみるといい。何か弱点でも見つかるかもしれない」
しげしげとお互いを見つめ合った後、女王蟻の通訳越しに何やら話し始めた。
さて、話がはずんでいるうちにあっちの様子を見ておこう。
視点を琴音が面倒を見ている双子たちに移す。しかし聞こえてきたのは泣き声だった。
「うわあ――――ん!」
「とりあえず状況の説明を求めていいか……?」
「美月が久斗のおもちゃをとったにゃあ」
おけ。把握。
「……前もそんなことなかったっけ」
「あったにゃあ」
以前戦場で拾ったヒトモドキの双子は男の子と女の子だった。男の子を久斗。女の子を美月。そう名付けた。
ひとまず産まれてからしばらくはお互いを個別に育てた。教育係になったのはおもにアリツカマーゲイだ。こいつらは音を操る魔法を使うので、声帯が違ってもヒトモドキの言語を使えるし、嘘をつく、騙す、というスパイ教育を施すにはこいつらが一番だったのだ。
そのおかげで生後多分半年くらいですでに日本語とクワイ語のバイリンガル! セイノス教などの知識も教養として身につけているというスパイにするには及第点をくれてもいい人材に成長した。
というわけでそろそろヒトモドキ同士でも会話できる方がいいだろうと思って双子の顔合わせをしてみたんだけど……喧嘩ばっかりしている。
兄弟姉妹ってこんなに喧嘩するのか? 一人っ子だったからイマイチ実感がわかない。
「美月。どうして久斗のおもちゃをとったんだ?」
おもちゃといっても知能の発育に役に立つパズルみたいなものだけど。
「ほしいから頂戴って言ってもくれないんだもん」
美月はやや意地っ張りなところがあり、そんな性格に見合ったきりっとした容姿をしている。
「……だからって無理矢理奪ったらダメだろ」
美月はむくれたまましゃべろうとしない。拗ねたようだ。
「琴音。さっきの頼みは実行できそうか?」
「リザードマンを誑し込むのかにゃ? ……やってみるしかにゃいなあ」
オレの狙いはエシャをハニートラップに陥れること。今エシャは色々精神的に動揺しているはずだから比較的ハニトラが成功しやすいはず。そうすればさっきの仮説が証明できる。
ただ、役者の質に不安がありすぎる。
泣き虫の久斗にそこまでの甲斐性があるのだろうか。最悪既成事実さえあればいいけど。
「王。何であれば我々がお手伝いいたしましょうか?」
喜色満面の笑みを浮かべながら遠隔テレパシーを使っているのは翼。……ラプトルはカップルを大事にする風習があるらしく、他人の恋路に首を突っ込みまくるのも大好きだ。さっさと馬に蹴られた方がいいな。
「……そうしてくれるとありがたいけど……お前今そこにいないだろ」
「何なれば我らが戦士の誇りに欠けて一族郎党の力を見せる所存です」
ねえその誇りほんとにプライド? ダストじゃないよな? その野次馬根性がどこから出てくるのか全く理解できない。
「じゃ、まあ、なんかアドバイスお願い」
「ひとまずは場を整えることでしょう。食事などいかがです?」
とても陳腐だったけど、悪くない考えだ。同じテーブルを囲めば打ち解けるのも早いだろう。
「えっと、紫水、お仕事ですか?」
久斗が少し情けない声で聞いてくる。久斗は年齢の割に体の方は大きくなったけれど、どうにも弱気な性格をしている。
「ん、そう。とりあえずとあるリザードマン、エシャをもてなしてほしい」
「おもてなし。じゃあ、お料理ですね」
「そうだな。……あれ? お前、料理できるのか?」
「はい。蟻の皆さんからちょっとずつ教えてもらっています」
「料理人の蟻からか?」
「いえ、蟻はみんなお料理が上手ですよ」
「……そうなの?」
「知らなかったのかにゃ?」
全く知らない。一体いつの間にそんなことになってたんだ?
「みんな美味しいものが食べたいから、ちょっとずつ練習してたみたいよ」
美月の言葉に二の句が継げなくなる。
蟻には文化を作ったりできないと思っていた。オレが与えたものを改良したり改善することが精一杯だと。しかし、少なくともオレのあずかり知らない事例が一つある。食事、食文化。これはその萌芽ではないだろうか。
趣味嗜好のままに創意工夫を凝らし、地域や時代に合わせた料理を作り続ければいつしかそれはオレの予想だにしていないものができるかもしれない。それはもしかしたら料理だけではないかもしれない。
オレ自身が管理できないものが増えるのは困りものでもあるけれど……見守っていたい気分ではあるな。
「それじゃあ練習の成果を見せてもらおうか。エシャの好きそうな食べ物はオレが聞いてくるよ」
皆嬉しそうに料理の準備に取り掛かる。特に久斗の笑顔の眩しさは太陽にも負けないほどだった。




