335 熱に中る
熱中症。
現代人ならば何度も聞いたことがあるこの病は毎年数百人ほどの死者を出すごくありふれた恐ろしい病気である。
さてではそもそも熱中症とは何だろうか。
ざっくり説明すれば体が熱を逃がす仕組みの故障である。
体温の上昇により、脳に血液が送られなくなる熱失神。汗を大量にかいたことによる脱水症状による熱疲労、体内の塩分などの電解質が失われたことによって筋肉の収縮をコントロールできなくなる熱痙攣。熱疲労のもっとも危険な状態である熱射病。概ねこのような状態によって分類される。
ただし現在の気温は太陽が照り付ける野外でさえも二十五度に達するかどうかだろうか。その程度で熱中症になるのだろうか?
なるのである。
本日は風があまりなく、さらに日の照りは強い。戦場という生物にとって極限状態に近い環境は精神的にも厳しい状況だ。そして何よりリザードマンたちの健康状態は劣悪の一言だ。
睡眠不足、水分不足、食事不足、ありとあらゆるものが不足している。
そしてリザードマンたちでさえ知らないはずの意外な事実が一つある。
「ねっちゅうしょう? なんだそれは?」
テレパシーでも意味が掴めなかったのか、捕虜が?マークを浮かべながら聞いてくる。
「暑さで体がまいっちゃうことだよ」
「馬鹿な。我々はこの程度の暑さで弱ることなどない。砂漠はここよりもはるかに厳しいのだ」
間違ってはない。
リザードマンは砂漠に暮らしているだけあって熱には強い。裸のまま酷暑で日光にさらされても数時間くらいなら活動できる。ただしそれは乾燥した気候ならば。
「お前たちは暑さには強いけど、この辺りの蒸し暑さには慣れてないんだよ」
はっとした捕虜は目を伏せる。思い当たることがあったようだ。
捕虜たちの実験結果から、湿度が高いサウナのような状況では著しく活動が鈍る。単に慣れてないのか、体温調節機能の違いか何かだろう。そして前日雨が降っていた。というよりも雨が降った翌日に戦いになるように調整したというべきか。
これこそ地の利、天の時。あとは人の和を乱すだけだ。そこでこの捕虜の出番だ。物見台から連行して、護送車のように檻がついた虫車に乗せる。
「さて、ここまで弱りに弱ったお前たちに勝ち目はあるのかな?」
「……」
もう一押しってところか。きっちり追いつめるまではあきらめるつもりはないだろう。
「それじゃあ翼。詰めてくれ」
今まで温存されたラプトルの騎兵隊は満を持して動き出した。
ばたばたと味方が倒れるリザードマンたちは混乱の極みに立っていた。
「負傷者を下がらせろ!」
「それが……傷を負っていない兵たちも倒れているのです!」
将軍は必死に統制を取り戻そうとするが、そもそも倒れている原因を突き止めていないのだから対処のしようがない。
「しょ、将軍! 敵が来ます!」
「防御を整えろ!」
檄を飛ばすが、指示の伝達とその実行は遅々として進まなかった。
ラプトルは部隊を二つに分け、左右両側面から挟み込むように走る。それに連動し、後退するばかりだった歩兵部隊も遂に前進を開始した。
もしもリザードマンにも高い機動力をもつ部隊がいれば対抗のしようもあっただろう。しかし彼女らに騎兵はもうない。騎馬として利用するはずだったラクダは屠殺したか、病気で死亡している。
横だろうが背後だろうがとり放題。整然と走るラプトルはあっさりと両側面に回り込み――――止まった。戦術の定石としてはありえない。ここまでくれば適当に突撃するだけでも圧勝できる。よっぽどの馬鹿でなければわざと止まったのだと理解できるはずだ。
「よしよし。上出来だぞ翼」
「ありがとうございます、王。ですが空もよくやりました」
「確かに」
実は今回あまり翼は積極的に指揮を執っていない。空という名前を付けた若いラプトルに指示を出させていた。早くも次期の指揮官候補の実践演習を始めているらしい。
翼のすごい所は空がどういう行動をして、指示を出したか、きちんと記録をとっているところだ。空自身も後で記録を見直せば反省することができるし、空以外の教育にも活かすことができるだろう。
後はリザードマンたちがビビってくれるかどうかだ。
「和香。爆弾だ」
「コッコー」
虎の子のダイナマイトをここで使う。空高く飛ぶカッコウが足に掴んだダイナマイトを投下する。
リザードマンの頭上に迫ったそれを被害が出ない位置で起爆する。もちろんユーカリを使った無線爆弾だ。
吹き荒れる爆風と熱気。花のように咲いたそれは昼空を存分に彩った。
まともに動けなかったリザードマンでさえも上空を見上げ、へたり込んでいる。それどころか平伏しているリザードマンさえ現れている。
折れたな。
心の中で確信する。もうこいつらは戦意のないでくの坊。一押しするだけでドミノみたいに崩れるだろう。
「あー、テステス。聞こえているか?」
リザードマンの一番偉そうなやつと、なるべく多くのリザードマンにテレパシーで呼びかける。
しかし爆発で呆然自失しているのかろくな反応がない。
「もうオレの言いたいことはわかるよな? お前たちはどうあがいてもオレたちには勝てない。降伏しろ」
突然の投降勧告に血の気が巡ったのか、ようやく偉そうなリザードマンが返答する。
「我々は降伏などしない! 最後の一兵まで戦う!」
それが強がりなのは周りの兵士たちの反応を見れば明らかだ。誰も鬨の声をあげようとはしない。
「そうかそうか。じゃあこいつを見てくれ」
捕虜を乗せた虫車をがらがらとリザードマンたちに見える場所まで運ぶ。
「エ、エシャ様!?」
「エシャ様だ!」
「何故エシャ様が!?」
リザードマンたちは次々に驚きの声をあげる。
実は捕虜たちの反応からこの捕虜が何か特別な地位にいるということはわかっていた。
「貴様! 我が娘をどうするつもりだ!」
あ、今の偉そうなやつの娘だったんだ。僥倖僥倖。
「いやいや何もしないよ。ただこいつとはある約束をしてな」
「約束……?」
「そ。この戦場でお前たちが勝てばこいつは解放する。負ければお前たちに投降を勧める。そういう約束。結果はいちいち知らせるまでもないよな?」
「……我々はまだ負けていない……」
ふ、その強がりがいつまでもつかな? ……悪役全開のセリフな気がするけどまあ気にしないでおこう。
「ええと、エシャだっけ。約束は果たしてもらうぞ?」
「……いいだろう」
エシャは胸いっぱいに空気を吸い込む。
「母上……いえ、将軍閣下。この戦は我々の負けです!」
敗北という言葉が味方から飛び出たことにより、よりいっそう悲壮感を増すリザードマン。
「ですが私は生きているうちにはあなた方に投降を勧めはしない! 私はこれ以上恥を上塗るわけにはいかない!」
おいこら。
「約束が違うぞ?」
「わかっている。だからこそ……」
エシャは懐から隠し持っていた……正確にはあえて見逃していた石のナイフを取り出す。
「わが命をもって、その恥を雪ぐ!」
ナイフを胸に突き付け、そのまま一直線に――――。
「待て!」
制止の声は将軍から発せられた。
「我々は……敗北を認める……私の命はくれてやってもよい。だから……これ以上の流血は……」
おやおやおや。
思ったよりも順調じゃないか。さてこれなら……。
「何を言っているのです!」
だが誰かが割って入る。怒気を漲らせているのは旅人装束を纏った、演説をしていたリザードマン、導師だった。




