334 砂漠よりも暑い夏
ぬかるんだ大地を踏みしめ、リザードマンたちが駆け抜ける。金色と茶色の群れが駆ける様子は麦畑が風でそよぐようだった。
走りながらであるせいなのか、やや陣形に乱れが生じている。
待ち構えているオレたちはいつものように矢を射かける。しかし木の板で作った盾を構えて矢の雨をしのぐ。大した守りではないけれど、効果は十分あるらしい。盾の隙間をすり抜けた矢も、リザードマンたちの魔法、<鎧>によって防がれる。体の周りをシールドで覆うという単純な仕組みだけどそれだけにそれなりの防御力はあるようだ。もちろんこっちだってその程度想定している。
盾ごと粉砕できる大岩を投石機で放り投げる。ちなみに動力は豚羊。突撃陣形に穴をあけるその威力はいつ見てもほれぼれする。
しかしリザードマンは止まらない。ヒトモドキのような狂騒とはまた違う、じっとりとした戦意を感じる。
奴らも弓矢や石槍くらいの武器は持っている。この世界の魔物にしては珍しく、武器を使えるけれど、弓矢による射撃戦を挑む様子はない。
推測できる理由は二つ。向こうの狙いは短期決戦であるはずだ。射撃でちまちま削っている余裕がない。もう一つは単純に弓の性能なら圧倒的にこっちの方が上だということ。
ガラス繊維製のグラスボウと、クロスボウの混成射撃部隊。火薬無しなら現在これが最強の射撃部隊だ。
だから射撃戦を捨て、盾と槍を手にして接近戦に賭けるしかないようだ。
死線を潜り抜け、肉薄したリザードマンたちを待ち受けるのは柵や堀。単純だからこそ対策のしようがない……と思いきやきちんとした対策を練っていたらしい。柵を取り除くために組を作って、柵を壊したり取り除く味方を盾で庇う。堀は盾を橋渡しにしたり、踏板のようにして落ちた味方を登りやすくしたり……シンプルなやり方で冷静に対処している。
あらかじめ対処方法を決めて周知しておいたのか似たような戦い方を知っているのか、特別な道具や戦術を用いている様子はない。
「まだまだ余裕がありそうだな」
「いましばし辛抱が必要かと」
翼も今はまだ忍耐の時だと判断したらしく、焦って攻める気配はない。
じりじりと迫るリザードマンはもう味方陣の目と鼻の先にいる。ここまで近いと弓で木の盾を貫通できてしまうので敵も負傷者が増えている。
それでも立ち止まらない。ここでリザードマンたちが初めて飛び道具を使う。弓矢ではなく、投げ槍。
矢と槍が空中で交錯し、中には鈍い音を響かせて破片をまき散らす武器もある。だが初見の行動をとったリザードマンたちへの対処が一瞬遅れた。
間髪入れずにリザードマンたちが突撃する。立ちふさがる堀と壁を走り抜ける勢いそのままに跳躍し、ダイナミックな動きで弓兵の只中に躍り出る。
こうなると弓兵では対処しきれない。穴の開いた袋のように水が止めようもなくこぼれるばかりだ。
ただしオレも翼も焦りはない。むしろこの程度できてもらわなくては困る。
「では撤退を。後方の陣まで退却です。殿も忘れずに」
翼の指示に従い粛然と撤退を始めるわが軍。
リザードマンは一瞬だけそれをぽかんと見送っていたものの、殿のための部隊が猛攻を仕掛けると我に返ったかのように反撃し始めた。
「しょ、将軍! 敵が逃げます!」
「あわてるな。まずは残っている敵を掃討するのだ」
将軍の指示は凡庸極まりなかったが、他に対処のしようはなかった。腕を斬られても、足がなくなっても、あまつさえ首が斬られようとも蟻たちは向かってくる。
文字通り死体のまま戦う敵を相手に油断できようはずもない。
それでも局地的な数の優位は変わらず、掃討も完了しようかという時になってふと将軍は思いついた。
「先ほど妙な武器から矢は放たれていた。あの武器を持ってこれないか?」
「は」
リザードマンたちにとって敵の持ち物を奪うのは日常的な行動だ。それゆえに先ほど味方を散々に痛めつけた兵器でも使える物があるなら使うつもりだった。
「……これは……どう使うのだ?」
「それが……基本的な構造は弓とそう変わらないのですが……我々の弓とは根本的な構造が違うようでして……」
将軍の部下が首をひねりながら試行錯誤しているが、成果は上がっていない。弦を引いて弓を射出するという機構はわかる。しかしどうやって弦を引くのかがわからない。
「……これは、捨て置くしかないか。追撃の準備だ」
追撃とは言うものの、敵の撤退は素早く、この行動は予定通りで、恐らくは敵の手の上で踊っているだろうと理解していた。それでも突き進むしかないのはひとえにもう余力がないからだ。
そして追撃したリザードマンたちを待ち受けていたのは、またしても柵や堀で守りを固めた敵だった。
(今のところ予想通りの展開かな)
リザードマンたちと戦い、逃げ、待ち構え、戦う。その繰り返しはすでに三度。
お互いに致命傷を与えられずにいる。お互いに破滅を回避しているとも、手をこまねいているともいえる。
ただし被害の数はこちらの方が多い。というのも敵の前面にいるのはもっとも経験の浅い新兵が担当しているのだ。
ひどい話ではあるけれど、新兵を盾に使って熟練した兵士を守っている。これからヒトモドキとの戦いが待ち受けていることを考えると、どうしても経験豊富な兵士は残しておきたい。
蟻なら例え新兵であっても取り乱して暴走したりする心配があまりないからこういう非人道的な作戦をたてても不満やトラブルが起きない。
さらに新兵はグラスボウよりもクロスボウを使う。クロスボウは蟻の魔法によって動かしているので、リザードマンに奪われても使えない。
だから放置しても敵の戦力は増えない。敵に武器を奪われるのは戦いでもっとも恐ろしいことの一つなのだから。
「おい貴様」
捕虜のリザードマンから突然話しかけられた。
「どうした?」
「こんなものを戦いと呼ぶ気か」
怒りの視線が対話役の働き蟻を貫く。どうやらオレたちの戦い方がお気に召さないらしい。
「もちろん」
「どこがだ。無益に味方の被害を増やしているだけではないか」
こいつにはそう映るのか。お優しいことだ。敵であるオレたちの心配までしてくれるとは。
「心配しなくてももうすぐだよ」
「何がだ」
「オレたちの勝利の瞬間が、かな」
反駁しようとした捕虜の目が大きく見開かれる。戦場で目に見えて異変が起こっていた。戦ってもいないはずのリザードマンがばたばたと倒れていったのだ。
「どうしたのだ!? 貴様! 何をした!?」
「オレは何もしてないよ」
「馬鹿な! 何故我々の同胞が倒れている!」
ふ。どうやら全て計画通り。
では教えてやろう。リザードマンを襲った物の正体を。
「簡単だ。あれは――――熱中症だ」




