329 聖女がそう望まれるのなら
ソメル家が主導となった騎士団は驚くべき速度で諸々の手続きを終え、トゥッチェへと出立する日がきた。
教都から騎士団に参加した民はそう多くなく、途中の村や町で兵を募るようだ。大多数の教都の民はその僥倖を羨みながら、密かにその騎士団の陣容に驚いていた。
ラオのソメル家の当主を筆頭に、騎士団の中心となっているのはルファイ家の息がかかっていない人材ばかり。現教皇の権勢に陰りがみえたと噂し合い、騎士団の中心人物さえもそう思っていた。
そんな騎士団に対して教皇はただ、「神の御心のままに」そう言ったという。
ウェングとアグルは一足先に騎士団の行軍の準備を行うために旅立った。
そしてタストもまた、旅立とうとしている。騎士団とは同行せず、彼自身の目的のために行動する。そこにティキーが現れた。
「ヤッホー」
底抜けに明るい様子のティキーに頬が緩む。
「何というか、こんな時でも相変わらずだね」
「こんな時だからでしょ。ところであんたはどこに行くつもりなの?」
「ひとまずトゥーハ村に行かないと。あそこは今随分な騒ぎらしいし、ファティ……林さんからも頼まれたしね」
昨日ファティと話し合い、しばらくは表を歩かない方がいいと告げ、その時に自分の代わりにトゥーハ村を訪ねてほしいと言われたのだ。
彼女にはアグルとの計略は話していない。彼女はこの手の謀略に向かない。
だが、本当にそれだけかという自分自身の声も聞こえる。こんな計略に加わった自分自身を失望されないかというみっともない不安も薄々自覚している。
言葉を尽くせばきっとわかってくれるという想像に甘えているかもしれない。
それは目の前のティキーも同じだ。彼女の親類を危機に陥れる計略は、家族というものを大事にしているティキーにとって受け入れがたいものではないか――――。
「あんたたちが――――」
唐突にティキーは警告するような口調で語り始めた。
「あんたたちがどういう計画を立てているのかは知らないし、そこに文句を言うつもりもないわ」
顔の表情が固まる。ティキーにはお見通しだったらしい。
「ただ、一つ聞かせて。あの蟻は転生者なの?」
「っ!? 気付いてたの!?」
「そりゃ嫌でもね。話を聞くだけでも頭良すぎでしょって思うわ。あの子は気付いてないでしょうけど」
あの子、とはファティだろう。
「多分だけど、僕らより後か前に来た転生者だと思う。そうじゃないと人数が合わないし」
「あの時バスに乗っていたのは四人だけなのね?」
「それは覚えてないけど……あのバスの事故で転生したのは四人だけだって聞いているよ」
「……そう」
寂しそうな、悔しそうな表情。その意味を測りかねる。しかしその表情はすぐに消えた。
「じゃあ、あんたはその転生者の弱点か何かを探すつもりなの?」
「あ、ああ。あの灰色の蟻が最初に確認されたのはトゥーハ村らしいから、何か手掛かりがあるかもしれない」
「私とあの子は動けそうにないからそっちは任せるわよ」
「うん。任せてくれていいよ」
ファティはもちろん、ティキーも難しい立場だ。聞いた話ではソメル家にゴマをすりたい連中が内密に接触しようとしているらしい。
「じゃあね。無事でいなさいよ」
「君も気をつけて」
徐々にお互いの距離が広まっているような気がしながらも別々の道を歩いて行った。
(ホントにきな臭くなってきたわねえ)
来た道を戻りながらどこに思考をさまよわせる。どこに行っても銀の聖女と騎士団のことでもちきりだ。
ソメル家の現当主はティキーにとって親類だがあまり話したことはない。礼は尽くしてくれるが胸襟を開くような間柄ではなく、今回の策謀にも彼女は全くの無関係だった。
ただし、一度だけ抗議に向かったことがある。ラクリについてだ。
町の噂の中に、関の惨劇でソメル家の一員であるラクリが殺されたことという話をよく聞いたのだ。つまり、ラクリの死を政治的に利用しているのではないか。ラクリの報復を理由に騎士団を結成しようとしているのではないか。
そんな疑念をニムアにぶつけた。その時の返答はこうだ。
『何を言っているのですか? 魔物に身内を殺されたのならばその魔物を討たねばならないのは当然ではないですか』
あれは本気だった。
利用しようとする意図はない。むしろラクリのためを思って騎士団を動かそうとしている。その結果数百人、数千人が死んでも当然だと思っている。
セイノス教徒にとって魔物に殺され、誰からも祈りを捧げられないことは数多の死よりも看過できないのだろう。だからこれはむしろ地球人としての感覚だ。身内の死を利用されるような気がするのは気分が悪い。
だからラクリを安らかに眠らせるためには人々の口にのぼらせない方がいい。そんなごまかしをくちにするとニムアはあっさり信じた。
「ラクリを死地に向かわせた私が口を挟む資格はないってことはわかってるんだけどね」
寂しそうな背中を誰も引き留めはしなった
ファティはここ最近ほとんどをルファイ家に用意された邸宅から一歩も出られずにいる。
そういう生活は決して珍しくなく、もはや慣れてしまっている。それでも今世間がどういう状況であるのかはおおよそ察しており、不安と諦観に近い感情を抱いていた。
だがそれでも、騎士団が蟻と戦うという状況になれば居ても立っても居られなかった。それをやんわりと制止したのはサリだった。
「心配いらないわファティ。今回の出征はすぐに終わるらしいわよ」
「え、すぐに?」
まるで明日の天気でも語る程度の気軽さで予想を口にするサリを意外そうに見つめる。
「ええ。アグルさんはそう言ってたわ。多分そういう作戦なんでしょう」
「そうなの。それなら、すこしは安心していいのかな」
ふっと力を抜き、神に祈る。彼女自身神という存在に全幅の信頼を置いているわけではないが、祈りが無駄になるとは思わない。少なくとも初詣に欠かさずに向かう程度の信心はある。
(どうかみんなが無事に戻ってきますように)
だが彼女は知らない。今回の出征は彼女のために行われているのであり、そのためならば身を犠牲にしていい、そう考えている信徒が大半であるなどと想像していない。
数々のすれ違いはどこへ向かうのだろうか。




