327 この町を見よ
銀の聖女が王族の血を引く。
その噂は音よりも速く教都中を駆け巡り、大いに歓迎されたが、同時にルファイ家の無慈悲な仕打ちに対する怨嗟の声を呼び起こした。
声を張り上げるものの中にはルファイ家の支持者でさえ含まれているのだから、ルファイ家にとって深刻な事態であるとともに、銀の聖女の名声がとてつもなく高まっていることを確信させられた。
しんと静まり返った部屋の中にいる男性は三人。
アグル、タスト、ウェングである。
この中で唯一査問会議に参加していなかったウェングだが、否応なく噂を耳にし、事実を二人に確認したばかりだった。
熱狂に沸き立つ町とは裏腹に口と気は重かった。それでも誰かが会話を始めなければならない。覚悟を決めたタストが口を開いた。
「アグルさんは知っていたんですか? ファティやアグルさんが王族の血を引いていることを」
「いいえ。全く知りませんでした。私が聞いていたのは母が礼拝義務違反によって降格させられたということだけです。母や姉なら何か知っていたかもしれませんが、もうすでに亡くなっています」
およそ四年前にファティの母、祖母に加えて二人の叔父のうち一人は亡くなっている。アグルを除けばファティは天涯孤独の身だ。
そのアグルも自分の親族について詳しくないらしい。
「私は一度だけ高祖母にあったことがありますが、その高祖母も親類がいないようでした」
ちなみに高祖母とは祖母の祖母のことだ。クワイ人はおよそ五歳で成人になるので高祖母くらいならそれほど珍しくない。
「じゃ、じゃあほとんど証拠なんてないんじゃないのか?」
ウェングもうろたえた様子を隠せていない。
「少なくともニムアというソメル家の現当主は嘘をついていないようだった」
タストは他人の嘘を見抜ける。もっとも見抜けて得をしたことはあまりないのだが。
「自信がなくてはあそこまでの大言は出てこないでしょう」
アグルの言う通り、あれがただのはったりとは思えない。
「なら、何が目的なんだろうか」
タストがそう口にしたのは疑問よりも確認のためだ。目的などおおよそわかる。
「聖女様でしょう。聖女様をわがものにしたいのでしょう」
というよりもそれしか考えられない。
事実上ルファイ家の為に活動しているファティをよく思っていない勢力、恐らくはソメル家だけではない、が結託してルファイ家を陥れようとしている。それくらいの出来事がなければこれだけの調査と査問会議を起こせないはずだ。あの教皇である母がそんなことを容易くさせるはずはない。
「こんなことをしている状況じゃないのに……もしかしたら、あの蟻が今にもここを攻めてくるかもしれないのに……」
タストたちはあの蟻がどれほど危険なのか理解できている。恐らくクワイの誰よりも。本当なら今すぐにでもトゥッチェに戻って討伐しなければならないのだ。こんなところで権力争いしている暇はない。しかしこうなってはファティを連れて行くなど不可能だ。そしてファティ無しでは勝てない。
相手はファティと同等かそれ以上の能力を持つ転生者。どれだけ数がいても勝てる保証などない。これらの事実を語るわけにはいかないから説得もできない。
「ええ。ですから無理にでもソメル家を始めとする方々には目を覚ましていただきます」
ウェングとタストが思わずアグルに目を向ける。
「アグルさん。何か考えがあるのか?」
「はい。ルファイ家にとっては窮地ですが、我々にとっては今こそ好機でしょう。ご安心を。すでにタネを蒔く準備はできています」
こんな時でもアグルは不敵な笑みを浮かべていた。
その日は銀の聖女の噂でもちきりだった。
誰もが一言目には銀。二言目には聖女。三言目にはファティ。この教都チャンガンだけで一千万回は銀の聖女の名が呼ばれたことだろう。
そんな町中を件の銀の聖女の自称教育係である赤毛の女サリは会話を交わしながら町を練り歩いていた。
そこにどこからか女性が声をかけた。
「そこの方。すこし質問してもよいですか?」
「はい?」
サリが振り向くと相手は一目で身分が高いとわかった。
数人の女官を従え、典雅な服を着こなす。模様などからこの地方の出身ではないと察せられた。
「あなた、こちらを見ていただけるかしら」
女官から一枚の絵画が差し出される。
その絵画にはサリが描かれていた。ただし、髪の色は赤ではなく、銀色だった。さらに手に掲げてある<光剣>も銀色だった。各部の色だけが違うサリの肖像画だった。
「これは……?」
こんな絵は初めて見る。
「ここに来るまでに旅の絵商人から買いました。銀の聖女様の絵だと言われたのですが。もしやあなたは銀の聖女様の御親類ですか?」
「いえ、私は聖女様の教育係です」
サリの答えを聞くと女性は途端に顔をしかめた。
「そう。ではこの絵はたまたまあなたに似ているだけね。さっさと処分なさい。まったく、旅商人の言葉など信用するべきではありませんね」
サリの顔が描かれた絵画をぞんざいに女官に手渡すと興味を失ったのか立ち去ろうとする。
しかしサリは女性の肩を掴み、立ち止まらせる。
「お待ちください。私は聖女様の教育係です。そのように扱われる理由はありませ……きゃ!?」
控えていた女官に掴んだ手を強引に振り払われたサリは思わず尻もちをつく。
「身の程を知りなさい! たまたま聖女様と知り合った僥倖に恵まれただけの俗人が!」
「な!? 私は! 聖女様の教育係ですよ!?」
尻もちをついたままのサリの言葉に女性は向き直った。軽蔑しきった目線をサリに送る。
「あなた、先ほどからそればかり。聖女様は気高き御方ですが、あなたは一体何をしたというのです? せめて自分の功績を誇ったらどうですか?」
女性の言葉にサリが言葉を無くして俯くと今度こそどこかに行ってしまった。
しばし腰を落としたまま呆然としていたサリに通行人が手を差し出した。
「あの、大丈夫ですか」
「ええ、ありがとうございます」
その手を掴みながら立ち上がる。
「最近地方から来ている方をよく見かけますが、粗暴な方もいらっしゃいますね」
「そうですね」
平静を装っているが、サリの心は千々に乱れていた。なぜこれほどまでに動揺しているのか、自分でも理解できていない。
「それにしても聖女様の教育係とは真ですか?」
「ええ。そうです。私もあのトゥーハ村の生まれです」
まあ、と声をあげる通行人を見て、サリは心の乱れが収まっていくのを感じていた。それと同時にアグルから託された仕事も思い出し、今日何度目かになる話を始めた。
「そうそう、あなたはこの話を知っていますか――――?」




