326 神聖なる系譜
議場が静まるのを待ってから議長は再び査問会議の進行を開始した。
「ニムア殿。貴女はこの者が追放された理由をご存じなのですか?」
「いいえ。残念ながらそれを明らかにすることはできませんでした」
議場にやや落胆の空気が漂う。例えば教皇の不正を暴こうとした誰かが追放された、というのならまぎれもなく教皇の失態であり、この査問会議は教皇の不正を弾劾する処刑場になっただろう。
そうでないならば……。
「しかし、その理由よりも追放された人物が問題なのです。驚くべきことに、その方は五十年前にルファイ家に迎え入れられた王族の直系の子孫です」
再びざわめきが起こる。
子孫とはいえ王族を放逐したのなら確かに問題になってもおかしくない。もっとも数百年前をたどればルファイ家も王族の血を引いているはずだが、それは血が薄まっている、と解釈されるかもしれない。ただ、タストが知る限りここ数十年内に王族をルファイ家に招いたという話は聞いていない。それはこの議場の大半の人物がそうだったらしい。
「ルファイ家が王族を迎え入れたという話は聞きませんが?」
「どうやら内密に話を進めたようです。ルファイ家ではここ百年ほど不幸が続いていたので聖なる血を引く王族の御方々に頼りたくなったのでしょう。現在の教皇猊下もその方の子孫です」
つまりタストも比較的王族に近い身分ということになる。
「今から五十年前に密かに王族を迎え入れ、そのうち幾人かを三十年前に追放したようです」
そういうことか。タストは心の中で納得する。
この一言で事情を知っているならばさらに裏の事情を推測できただろう。
ルファイ家では男児が早逝する事件が続いている。この事件のおかげでルファイ家の男児は呪われているという噂が起こり、まさにその当事者であるタストは苦労を強いられることも多かった。幸いタストは三歳を過ぎても健康でいる。恐らくすぐには死なないと判断してもよい年齢にはなっている。
しかしそれでもルファイ家の男児が亡くなるという事例そのものがなくなったわけではない。実はタストの一つ下の男の子が去年死亡している。ルファイ家が呪われているという噂はまだ消えていない。教皇であるタストの母を筆頭にその呪いを解くために奔走しているルファイ家の人間は少なくない。
そんな状況を五十年前のルファイ家の人々はどのように解決しようとしたのか。
恐らくルファイ家が穢れていると思ったのだろう。穢れているなら聖いもので清めるしかない。このクワイで最も聖い存在は誰か。銀王の血を引く国王であり、その血族たる王族である。
ならば王族の血を引く誰かを家に迎えれば呪いなどなくなる。タストにはそういう考えは容易く想像できた。
クワイはそういう国なのだ。何か問題があれば穢れと悪魔のせいで、良いことがあれば神と救世主、あるいは聖人のおかげなのだ。
ウェングが所属するトゥッチェとルファイ家の違いは実現できる権力があったかの違いだろう。王族を密かに招くというかなりの無茶を実行できてしまった。王族が俗世に降りるなど本来は一大事なのだ。理由が理由であるのだから公表することもできなかったらしい。そのために労力は惜しまなかったのだろう。だから今まで露見することもなかった。
もっとも。
その労力は全く報われなかったらしい。その証拠に教皇である母は幾度か子供が亡くなっている。
「聖典にあります。家族を愛し、和を貴べと。聖典にあります。いと神聖なる王を敬愛せよと。ルファイ家はこれらを遵守できていません」
冷ややかに言い放った言葉は議長や議員よりも議場全員に向けられたようだった。
「では、それらがこの査問会議を開いた理由ですか?」
確かに納得できる内容だ。ルファイ家の権勢を崩すことはできなくとも、ひびを入れることならできるだろう。議場の人々はそう得心し、ニムアも頷くだろう、そう予想していた。
「いいえ」
はっきりと、まだ終わらない、終わらせてはいけないと力強く否定する。
「ルファイ家の最も罪深い行為はこれからです」
本題はこれからだ。ニムアの目と険しくなった声音はそう語っていた。
もとよりこの査問会議に不安を感じていたタストだが、ただならないニムアの様子をみてそれは一層強くなっていた。だが同時に心のどこかでニムアに全て語って欲しいと願っている自分がいることにも気づいた。
面倒なことをさっさと終わらせたいという心理なのか、それとも単なる好奇心か、それは本人にもはっきりとしなかったものの、この議場のすべての人々と同じように、固唾を飲んで聞き入っていた。
「追放された王族の子孫は細々と暮らし、代を重ね、やがてこの教都チャンガンで司祭になりました。ですが!」
一度言葉を区切ったニムアの表情には今までにない熱がこもっている。
「あろうことかその方は司祭から修道士に降格させられたうえに、この教都チャンガンからも追放されたのです! 理不尽な罪を着せられて!」
ざわめきはよりいっそう大きく、一度議員の一人が静まるように声を張り上げなければならないほどだった。
「その、罪とは一体?」
「拝礼義務違反です」
拝礼義務。去年話題になったトゥッチェの栄達を妨げるものの一つ。司祭は七日に一回正式に認められた教会で拝礼を行わなければならない。
ここでこの言葉を聞くとは思わなかった。普通に考えて教都で拝礼義務違反など起こりようがないからだ。
「この教都チャンガンには多数の教会があります。拝礼義務違反など起こるはずがないのでは?」
議長の言葉通りだ。ここなら適当に歩いているだけで教会に行き当たる。日に二、三回祈ることも少なくないセイノス教徒が拝礼義務違反などそうそうあるものではない。
「その司祭はルファイ家からの命令によってある場所で働いておりました。その近場には教会がありましたが、未認可の教会だったのです」
「なるほど。長期間その場所に滞在したために、未認可の教会で祈り続けていた。そういうわけですね」
拝礼義務違反は重罪だ。だがしかし、そういう事情があるなら情状酌量の余地はあるはずだ。少なくともいきなり降格させられた挙句左遷させられるというのは常識から外れている。
「その通りです。その場所での任を与えたのもルファイ家。罪を問うたのもルファイ家。ここに悪意を感じるなという方が無理がある!」
確かに。
常識的に考えればその司祭は罠にはめられたと考えるべきだろう。一事が万事その司祭にとって都合が悪すぎる状況がそろっている。
ヒュ、という空気が漏れるような呼吸が聞こえる。ふと横を見るとアグルの目が大きく開かれていた。
「アグルさん?」
返答はない。今の話に衝撃を受けているようだ。見たことがないほどに驚いた様子を不審に思う。何がそれほどアグルを驚かせたのだろうか。
別に当事者というわけでもないのに。
しかし唐突に奇妙な閃きが舞い降りた。もしもアグルがこの話に何か関係があるとしたら?
(まさか……?)
バラバラだったピースがはまっていく。パズルの完成は止められない。
「それで、その司祭はどなたなのですか?」
議長が遂に核心を衝く。ここまで勿体ぶっておいて、ただの司祭です、ということはないだろう。
「追放させられた司祭様はとある村で村長を務めることになりました。その村の名前は皆さまもご存じでしょう。ある御方の苗字になっているのですから」
タストは自分の予想が正しかったことを確信する。クワイの大きくない村では村の名前を苗字にすることがある。その中で誰もが知っている村の名など一つしかない。
「その村こそトゥーハ村! もうおわかりでしょう! あの銀の聖女様のご出身です! かつて王族として招かれた御方の末裔! 定かならぬ理由で追放された御方の子孫! 理不尽な罪を着せられた御方はファティ・トゥーハ様の祖母です! かの偉大なる聖女様を! 不義理を重ね続けるルファイ家などに任せていられましょうか! これこそ本日私が査問するべき事柄です!」
ごうごうとルファイ家に対する非難が巻き上がり、ニムアを称賛する声が轟く。
異様な熱気に包まれた議場を抑えるすべはなく、査問会議は明日に持ち越された。




