325 聖なる議会
白亜の街づくりの中に葬列のような集団が黙々と足を進める。
その姿は春を迎えようとする前に一足早く冬眠から覚めたクワイの政治、経済の中心地である教都チャンガンの民のかっこうの噂になった。
ある者は南方のラオからの集団、ある者は西方のスーサンからの一団。真偽は定かならぬものの、様々な地方の位の高そうな聖職者が来訪していることだけは間違いなかった。
そうなれば畢竟疑問が巻き上がる。
一体なぜこの教都に集まっているのか? そしてある噂が立ち始める。ソメル家がルファイ家、ひいては教皇猊下に査問を要求していると。そしてそれは噂ではなく事実だった。
半円形の大部屋にずらりと並んだ長椅子。奥に行くほど傾斜が下っており、その奥には大部屋全てを見渡すように壇が設けられてある。
ここが演説や会議を行う議場だと想像するのは容易かろう。この場所こそはクワイにたった一つだけ存在する元老院議会の議場である。
元老院とは主に引退した聖職者の議員によって構成される議会であり、その職務は万民がつつがなく神と救世主の愛を理解し、救いに邁進するための教えを守っているかを見守ることである。
要するにきちんと聖典やセイノス教に従っているかを監視しているのだ。
ある意味このクワイにとってごくごくありふれた組織である。ただし、元老院の規模と権力はクワイ随一だ。
何しろありとあらゆる聖職者を罷免する権限を持っているのだから。セイノス教がすべてに優先されるクワイにとってこれほど強大な力もない。それはセイノス教の実務的な最高権力者である教皇でさえ例外ではない。
クワイでこの元老院が干渉できない存在は王族のみだ。その王族が俗世に降りることなどまずないことを思えば誰しも元老院の目から逃れられないだろう。
各地を巡る職務を持つ巡察師が畏敬の念を集める理由の一つがこの元老院の下部に位置する職務であることだ。
そして、元老院で査問会議が行われるということは大司教などの非常に高位の役職に関して問題が発生していることになる。司教や司祭ならばそれこそ大司教などが処罰すればよいのだ。
ソメル家が元老院の査問会議を開き、ルファイ家を弾劾するということは教皇に対する挑戦状であり、同時に勝算があるということ。それは地方から大司教の代理人が続々と集まっていることからもわかっていた。
議場の外縁部の見学立見席には人波がごった返していた。
立見席は見学希望者が立ち入れる場所で、希望者が多い場合抽選によって選ばれる。今回の査問会議は非常に多かったので抽選争いは非常に激しかったが、アグルとタストはその幸運を取得した信徒の一人だった。
「……すごい人ですね」
タストは人波の喧騒に押されぬように耳元で声を出す。
「それだけ注目を浴びているということでしょう」
アグルは冷静な様子を保っているが、数日前から険しい表情を崩さなかった。
「ソメル家は何を話すつもりでしょうか」
「わかりません。少なくともルファイ家にとって良い話ではないでしょう」
「……僕らにとっても、ですね」
「……いえ、タスト様。ソメル家が何を話すのかはわかりませんがそれが我々を害することはないでしょう」
「……え?」
ルファイ家が窮地に陥ることはクワイの革命を目論むタストたちには良い話ではないはず。タストが教皇になるためにはルファイ家という後ろ盾が必要なはずだ。その理由を尋ねようとしたタストを遮るように議場に一人の女性が入場した。
つかつかと女性が歩みだす。この査問会を開いた当人、ソメル家の現当主が自信満々といった面持ちで壇上に現れた。短い髪と衰えを見せないたくましい体格はかつて勇壮な戦士だったことを容易に想像できる。
まずは優雅に<光剣>を掲げ、神と救世主に祈りを捧げる。
この時ばかりは議場も静けさに包まれた。
祈りが終わると、女性は壇上から議場の隅から隅まで見渡し、正面に相対する元老院議長に向き直った。
議長は議員の持ち回り制で、今回は髪を結いあげた女性が務めていた。この女性が議事の進行などを務めることになる。もちろんルファイ家の息がかかった議員もいるはずだが、教皇の姿は見当たらないようだ。
当たり前といえば当たり前だけれど、元老院の議員は全員女性だ。もしもこの光景を日本人が見れば何というだろうか。いや……どうでもいいことだ。
「本日はソメル家の告発により、ルファイ家の査問会議を行います。まずはソメル家の現頭首および大司教、ニムア・リーファン・ソメル。告発する内容を開示してください」
事務的な進行をした議長に一礼した後ソメル家の現当主ニムアはあらかじめ用意していた文面を読み始めた。
「現教皇を輩出しているルファイ家が不当に自身の家人を追放した疑いがあります」
いわゆる社交辞令のような挨拶は一切ない。こういう質実剛健な側面もクワイにはある。
「不当? どう不当なのですか?」
「何も非がないにもかかわらず家から追放しました。ここにその宣誓書もあります」
ニムアが議長に宣誓書を手渡す。
「……確かに正式な宣誓書ですが……追放する理由が何も書かれていませんね」
議場がややざわつく。
クワイという国家は現代日本よりもはるかに家という形式を重要視する。この場合の家とは家族というよりは一族、という意味合いが強い。
父、母、子供、という家庭を家の単位として数えず、一族全体を家、とみなす。多夫多妻制であるがゆえにそうなったのだろう。
特に貴族なら家という存在は一つの組織として十分に機能しなければならない。それゆえに家内部での結束は強く、逆説的に身内に甘くなりがちなのだ。もちろんタストのように母親から温情のかけらも受けていない家もあるがそれはそれ。どこにでも例外はある。
ただそれでも、追放というのはかなり重い処罰になる。もしも追放されたのち、どこにも行き場がなければ籍のない民となり、事実上浮浪児と変わらない扱いになる。犯罪や重大な過失がなければ家から追放されるということはまずありえない。
確かにこれはルファイ家の不祥事だ。
だが……。
「わざわざ査問会議まで開くようなことなのか……?」
言い方は悪いけれど、人一人が追放されたくらいでここまで大事になるとは思えない。
「恐らく、その追放された人物か、追放された本当の理由が問題なのでしょう」
タストの独り言に答えたアグルもやや疑問符を浮かべながら厳しい顔をしていた。
それにつられてか、タストにも心に影が忍び寄っている気配を感じていた。ルファイ家には自分が知らない後ろ暗い部分が想像以上に存在するのだろうか。
それがこの場で明らかになるのだろうか。
疑問は次々に湧いて出たが、議事は淡々と進行していった。




