表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
331/511

323 黒き死よ

 いやはや人生とは不思議だ。何かにつまづけば気分が悪くなる。でもつまずいたものが石ころではなく金塊だったのなら許せる気になってしまうだろう。

「まさかこいつらを繁殖させることになるとはなあ」

 薄暗い牢屋のような飼育室には個体ごとに分けられたケージが数限りなく並んでいる。そのケージに入れられているのはマウスだ。魔物ではなく、地球でごく普通によく見かけるくらいのネズミ。

 実はこのネズミには少しばかり因縁がある。この世界に来た最初の年の冬。オレは凍え死にかけた。その原因の一つがネズミ。オレの部下の分の食料を食い荒らした。もう三年か。時のたつのは早いなあ。

 あまり感慨に浸ると老いそうだ。この辺りにしておくか。

 このマウスたちを使って何をするか。ヒトモドキの国、クワイに病魔をばら撒く。

 ここまで言えば大体わかるだろう。クワイをペスト、またの名を黒死病によって崩壊させる。このマウス――――に寄生するノミによって。


 ペストとはどのような病だろうか。ざっくり言えばノミが保有している通性嫌気性グラム陰性菌であるペスト菌によって引き起こされる病だ。ノミがネズミの大発生によって繁殖、ネズミに寄生しているノミが人間を吸血して感染する。

 概ねこのような段階を踏んでペストが流行する。

 その症状は激烈で高熱や悪寒、肺炎を併発した場合心不全や呼吸困難を起こす恐ろしい病だ。しかも治療が遅れた場合、高確率で死亡する。

 一説によるとペストによって一億人以上が死亡したとされる。戦略的生物兵器としての資格は十分にある。


 エルフの手記から千年前に天然痘らしき病が蔓延したとの情報を頼りに同じような病、あるいはほかの強力な感染力を持った病を調べていた。しかしうまくいかず諦めかけていたその時、たまたま千尋がマウスを狩ってきた。

 そこでマウスを捕獲し、調べたところノミに感染していた。いくつかの実験の結果そのノミはペストを発症させるペスト菌を保持しているということが明らかになった。しかも、そのペスト菌は明らかに複数種類の魔物に感染する能力を確認できた。

 こうなれば話はとんとん拍子に進めることができる。できる限り強力な感染力を持つノミ、またはペスト菌を生み出せばいい。


 まずノミの飼育。

 最初は血液だけを温めて吸わせようかと思ったけどそれがなかなか難しい。色々試した結果ノミの孵化と幼虫の飼育は飼育器を使い、成虫はマウスから血を吸わせるという方式に落ち着いた。

 ノミの種類は寄生能力が高いものをできるだけ選ぶ。要するに色々な生物に寄生できるノミをなるべく繁殖させて、マウスも生命力が強い個体を選抜していく。

 そうして出来上がったノミとマウスをヒトモドキどもの町に放つ。

 これがプランA。

 次はペスト菌そのものの培養。実はこれ、結構簡単なのだ。ペスト菌はきちんと培養条件などを守れば大量に獲得できる。問題なのは実験中に感染してしまうこと。これは病原菌を扱う実験ならば非常に気をつけなければならないのだけど……この異世界では事情が少し違う。

 今回のペスト菌は蟻には感染しない。

 多種族を持つこの世界ではたまにこういうことがある。

 カミキリスや海老には感染するようだけど。ヒトモドキに対しては多分、効くはずだ。実は以前絵画を盗ませたことがあったけど、その中にペストらしき症状が、悪魔にとり憑かれた男、というタイトルの絵画に描かれていたのだ。

 ということは以前ペストが流行していたはず。

 ペスト菌単体では空気中で長く生存できないからカッコウに低空飛行からのペスト菌散布がベストかな。

 ここまでくるともはや()()()()()だ。これでもうオレもテロリストの仲間入りだね。今更な気もするけど。


 ただこの作戦冬眠していれば使えない。活動していないと感染症は蔓延しない。

 ただ、冬だったとしても大きな町になれば流石に起きているヒトモドキもいる。そんな場所に放火してもうまくいかない。マウスだって繁殖できるかどうかはわからない。でも難民が大量に押し寄せてくればどうだ? 

 ゴミも出る。混乱だって起こる。門だって開かなきゃならない。避難民の体を温めるために火だっておこすだろう。

 まだ春は遠くてもマウスが繁殖できる土壌は勝手に作成される。奴らにペストの流行を防ぐためにマウスを駆除するなどという知性があるかは怪しい。地球でもペストに対して有効な対策を打ち出したのは近代に入ってからだ。


 かつてヨーロッパでペストが蔓延した時、どんな対策を行っただろうか。

 実は結構色々やっている。例えば町を清潔にしたり、民衆の移動を制限したりするというものだ。現代では当たり前だけれど当時としては画期的だったのだ。……まあその法律を守らせるために罰金の一部を捕まえた警官などに与えるということもやっていたようだけど。

 ただこれは大体十六世紀になってから。それまではどのような対策を行っていたか。瘴気のせいだから香木を焚くとかペスト患者と目を合わせないとか……恐ろしいことに民間療法ではなく患者を治療するべき医者でさえこんなことを信じていたらしい。しかしその中でも最も一般的な方法は何か。


 神に祈っていたのである。


 だって天災は神の怒りだからね! 神様に祈れば万事解決!

 ……なわけねーだろ。

 もちろん祈ったところでペストが鎮まるはずもなく、挙句の果てにはとある民族のせいにして迫害を始める始末。最終的にはペストが蔓延した都市を脱出する聖職者(笑)まで現れたらしい。最初から信徒の命よりも自分の命の方が大切ですと言えばいいものを。別に自分の命惜しさに逃げ出すことを非難しないよ。

 オレなら真っ先に逃げ出す自信があるしね!

 まあそんな醜態を演じたおかげでどこぞの宗教の権威が失墜してさらに領主も農民に譲歩して近代化につながったらしいけど。

 さて、セイノス教は病魔の蔓延を食い止められるのか、食い止められなかったらどうなるのか……地球と同じように宗教離れができるのか。

 もしも人心がセイノス教から離れればこちらに組み込む作戦はある。何故か。だってオレたちにはペストを治す方法があるのだから。


 現代の日本ではペストの死亡例はない。

 何故か。ペストは抗生物質がよく効くのだ。きちんとした医療設備が整った国ならば無人島に遭難でもしない限り恐れるに足らない。

 そして抗生物質はもうすでに作成済み!

 そう我らがペニシリン……ではなくてストレプトマイシンだ。ペストにペニシリンは効果を発揮しない。だから放線菌を濾過してストレプトマイシンを取得した。

 これらの菌株を取得したのは……寧々だ。チーズに必要なカビ、バッタに効くかもしれない毒を作成するときなどに調査した時のデータや採取試料を流用している。

 じつはさっきのノミの実験も去年からボチボチ進めていたのも寧々だ。今更だけど寧々の事務処理能力はちょっとおかしい。この実験のデータなんかをきっちり見やすくまとめつつ効率のいい人員配分なんかもしているのだからなあ。マルチタスクしすぎ。正直地頭ならオレよりも上だったかもしれん。

 何はともあれこれで万が一にもエミシでペストが大流行したとしてもすぐに抑えられる。何十年後かに多剤耐性菌が出現する可能性も高いけどそんな先のことまで気にしてられん。

 理想的にはペストで苦しむ民草のもとに颯爽と登場して治療してがっちりハートキャッチすることだけど……このストレプトマイシンは経口投与できない。筋肉注射でないと効果がない。

 連中にとって医学はゴミ捨て場のガラクタよりも価値がないはずだ。注射を治療行為であると理解するどころか邪教呼ばわりするのは眼に見えている。

 一人でもヒトモドキの味方がいればうまいこと取り込むこともできたかもしれないけど……今オレたちの陣営に所属しているのは例の砦で救出した双子だけ。いくら何でもまだ時期尚早だ。

 今はひとまずペストをいかに効率よく流行させられるかに注力しよう。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
うちの猫は液体です 新作です。時間があれば読んでみてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ