32 腐敗の魔術師
「ねーえー、ご飯まだあ?」
「おばあさんや。ご飯はさっき食べたでしょう」
「足ーりーなーい」
チッ。ごまかされなかったか。蜘蛛の最大の弱点は食費がかなり高くつくことだ。
何しろこいつらは基本的に肉食だ。一応木の実なども食べるが最近は肉を食べたがる。おかげで最近あまり料理ができない。
ちくせう。そのうち大量の蜘蛛を飼って糸をがっつり大量生産できるようになればぼろ雑巾のように捨ててやる。
あーでもこいつの糸には一応お世話になっているからな。糸には。最低限の衣食住……衣はないから食住は人道的に保障するべきかな。
「ゴッハン。ゴッハン」
八本の足を器用に動かす姿は正直キモイ。そしてその足には傷があるように見えない。
「飯はすぐに持ってくるからちょっと体をしらべさせろ」
「いや~ん」
ドゴッ。オレがイラついた瞬間には蟻が一応蜘蛛には当たらないように投石を行っていた。おおっ、これが忖度というやつか。
「ご飯は~~?」
しかし蜘蛛のKYスキルは忖度を凌駕した!
こいつに構ってても時間の無駄だ。さっさと調べよう。
「肉、肉、肉」
蜘蛛の体を隅々まで調べている最中でも全く食事の手を休めない。正確には手じゃなく糸で食事をしているあたり蜘蛛のぐうたらさがよくわかる。
器用だなこいつ。そしてやはり傷はどこにも見当たらない。結構ぼこぼこにしたはずだが。
「お前けがはもう治ったのか?」
「うん。ご飯ちゃんと食べたし」
魔物は成長が早い。細胞の働きが早いという仮説が正しいなら、傷がすぐに治るのも道理だ。腕をぶっちぎった奴もそのうち治るかもしれない。魔物には骨という器官が存在しないため地球の生物より腕が生えやすい可能性もある。まあ、それでも食事と休息が必要なはずだ。
その時オレの脳裏を何かが横切った。
んー? なんだ? あとちょっとで何か気づきそうな気が
「ねえ~~もっとちょうだいよ~~」
ふう――う・る・せ・え・ぞ、この蜘蛛。
後ちょっとで閃きそうなんだよ! 邪魔すんなあああ!
「オレの嫌いなことを一つ教えてやる! 思案中に話しかけられることだ!」
8割くらいの人間は怒るぞ! 特にインドア派は!
叫んではみたものの蜘蛛は反省の色すら見せない。糸と足をくねくねと動かしている。
よーし! むかついたので一服、いや一杯盛ってやる!
「今から飲み物持ってくるからな! 少し待ってろ!」
「わーい」
くくく。喜んでばかりいるのもここまでだ。
渋リンで作った渋いシードル。飲めるもんなら飲んでみろ!
や、オレの舌がお子様すぎるだけで酒飲みにはたまらない味なんてことはないよな? 蜘蛛以下の下戸だったらちょっとショック受けるかも。
「不っ味~~~~」
だよな! やっぱり不味いよな!
あーよかった。オレの味覚はまともだった。そしてざまあみろ蜘蛛。一気にシードルを呷った蜘蛛はのたうち回っている。それでも吐かないのはプライドでも残っているのか?
「ぬわにこれえ。イガイガしてぐちゅぐちゅしてる。泥水の方がましだよ~~」
やはりこのシードルは不評のようだ。蟻たちも不味いって言ってたし、食用にはならないな。調味料か非常用の水分にしかならない。
「口直しに他の食べ物ちょうだい~~」
のたうち回る蜘蛛を見てスカッとしたので少しくらい大目に見てやろう。オレも腹減ったしなんか食うか。
ちなみに今のシードルは新しく作った酒だ。やはり短期間でアルコール発酵が行われたようだ。
一番最初に作ったシードルは放置してもそのままで、酢にはならなかった。酢酸菌が入っていなかったのか? あるいは単に時間が足りないのか?
それともアルコール濃度が高すぎて酢酸菌が死滅したのか? どれもありえるな。
酵母菌はエネルギーを得るためにアルコール発酵を行うが最終的にアルコールを生産しすぎて自滅してしまう。多くなりすぎた需要はバランスを崩す。これもまた自然界の定めか。
オレはそうならないようにきちんと食料と蟻の数をコントロールしなければ。魔物は成長する速度が早……い……?
?
???
あれ?
なんだ?
今ようやく噛み合ってなかった歯車がようやく噛み合ったような気がする。
魔物は成長が早い。それは間違いない。
恐らく細胞の成長が早いためだが、原因ははっきりしていない。
そして渋リンから作ったシードルは極めて迅速なアルコール発酵が行われる。これは酵母菌が素早く成長するから……か?
魔物は成長が早いから酵母菌の成長も早くなる……いやおかしい。
何しろ酵母菌と魔物は本来全く別の生物だ。酵母菌は土壌や空気中に存在し、果物の果皮に付着した酵母がアルコール発酵を行って酒ができる。
これが基本的なシードルの作り方だ。間違ってないよな?
この過程においてアルコール発酵を迅速に行うにはやはり酵母が大量にアルコールを分解する酵素を生産するか、酵母が素早く増殖するしかない……と思う。
つまり魔物は成長が早いのではなく、魔物には生物の成長、細胞の分裂を著しく促進する方法がある。新陳代謝を加速させると言い換えてもいい。
そうでなければシードルがたった数日で造れた理由の説明がつかない。
お、おおお。まじで?
いや、これホントに正しいのか?
でももしこれが正しいなら魔物でない生物の成長を加速できる。例えば納豆やチーズのような発酵食品を作る期間を大幅に短縮できる。
あるいは魔物ではない生物を極短期間で成長させることも可能かもしれない。
今はこれくらいしか思いつかないけど時間さえあればもっとすごいことができるに違いない。そしてこれは魔物と普通の生物が根本的には同じ枠組みに入る生物であることを示している。魔法の時にも感じたけどどうも地球に存在しないものと存在するものを区別したがる癖があるな。常識に囚われてはいけない。
でもさあ、
「な・ん・でもっと早く気付かないかなあオレは」
いやになる。気づく機会はいくらでもあったはずなのに。蟻たちもまたなんか言い出しよったぞこいつ。という厄介者をみる視線を向けているような気がするが気のせいだ(断言)。
でもこれはかなりすごい発見じゃないか?食料や木材の大量生産が可能なんだぞ?
考えれば考えるほどすごいことをした気がする。
ふはははは。ノーベル賞もってこい!
「ノーベル賞って何?」
久しぶりに蟻から質問がきた。ここは真実のみを述べよう。
「ダイナマイトっていう大量殺戮兵器を発明したおかげで大金持ちになったノーベルという男が作った賞だ」
間違ったことは言ってない。実際問題としてノーベルさんダイナマイト以外にも色んな兵器開発してるし。割とノリノリで作ってたんじゃないかなあ。
ではノーベルさんに倣ってオレも研究しよう。
具体的には成長を加速させる方法を特定しよう。その為に行う実験とは単離だ。
ざっくり説明すると特定の微生物のみ培養する実験だ。
これによりどのような条件で微生物が繁殖するかを特定できる。この場合魔物が関与する形で何らかの方法により酵母が通常よりも早く生育した場合、それは魔物がその微生物の成長を加速させたことになる。
他にも酵母などの細菌の単離に成功した場合、発酵食品の作成に大いに役立つ。
自然界では微生物が完全に単独で生育することはそう多くない。故に発酵食品を作成する際、本来なら生育してほしくない微生物が繁殖してしまう。
その代表例がカビだ。
カビだ。
あのカビだ。
おのれカビ―――!
お前のせいで何度痛い目を見たと思ってやがる!
てめえに感謝してる奴なんて医者ぐらいなんだよおおおお!奴らはペニシリンがなきゃ何にもできねえからなあああ!
*注(そんなことはありません。医者は大変立派な職業です。彼は錯乱しているようです)
まあなんにせよろくに発酵食品を作った経験のないオレにとってはきちんと安定した食品加工を行うためにはどうしても知識に頼る必要がある。酪農家さんならあっさり色々な食品を加工できるんだろうなあ。やっぱりもうちょっと勉強するべきだった。
そして単離を行うには培地が必要だ。培地とは微生物を培養する土台のようなもので一般的には寒天が使われるが……、珪藻なんてない。よって第二候補であるゼラチン培地を使おう。
ゼラチンなら動物の腱や皮などと、phを調整する試薬があれば作れる。灰でなんとかなるかなあ?灰はアルカリ性だから理屈の上ではできるはず。
無理なら酢酸か石灰でも作るか。酢酸はシードルからお酢を作ればいいし、石灰ならヤシガニでも殺して殻を剥ぎ取って焼けばいい。不可能ではない。
あ、でもこいつら魔物なんだよな。地球の動物とは違う可能性もあるか?
うーん。今のところ焦る必要はないからじっくり試すか。
「ところでさ、今までの話を聞いてて理解できたか?」
テレパシーをオープンチャンネルにしていたため一部の蟻や蜘蛛にはさっきまでの妄想交じりの考察は全部聞こえている。
「わからない」
「意味不明」
「????」
「お主、何を言っておる」
まあそうなるよな。ん? 今の声何か変だぞ。
「おい蜘蛛。お前口調変わってないか?」
「え~? なんのこと~? もぐもぐ」
……新発見だ。蜘蛛は腹が減ると性格が変わるらしい。心底どうでもいいが。




