317 懐郷
後始末を始めた戦場の只中で、まだ生きている敵兵は鵺だけだった。
喉を砕かれ、肺に空気がきちんと送られていなくてもまだ生存していた。直ちにとどめをさすべきだけど、いくつか聞きたいことがあるので後回しにしておいた。
探知能力を確認する。やはり、探知できる。これならテレパシーも通じるはずだ。今まで反応がなかったのはロイコクロリディウムの魔法に晒されていたからだろう。
「聞こえてるな? 質問だ。お前は女王蟻をどうやって探知していた? オレたちを狙っていたのはどうしてだ?」
「……」
じろりと目を動かすが黙り込んだままだ。
返事を期待していたわけではないけど、全くの無反応とはね。テレパシーなら喉がつぶれていても恨み言くらいは呟いてくるかと……。
「か……」
お、反応あるじゃん。
「どうした? 何か言いたいのか?」
「帰りたい……」
「帰りたい? どこに?」
何の気はなしに聞いた。本当になんとなく話しかけた。それだけだったけれど、その返答はあまりにも予想外すぎた。
「ソウタくんがいるおうちに帰りたい」
――――――――。
まず言葉の意味を理解するのに数秒。さらにソウタという名前に憶えがないことに気付くのにさらに数秒。そして、ソウタという言葉がどう聞いても日本語にしか聞こえないことに気付くまでに十秒ほど。さらに、この世界にはエミシ以外に日本語を使う国はない。少なくとも今のところ。
つまり、鵺は――――。
「お前……転生者、なのか……?」
「転……生……?」
意味が分からないらしい。いやいや転生くらいわかるだろう普通。もしかしてものすごく幼いころに転生したのか?
「紫水? どうかしたの~?」
千尋に話しかけられてはっとする。オレは自分が転生者であることを周りに話していない。この会話を聞かれるのはまずい。
「千尋。今からオレと鵺との会話を聞くな。聞いたとしても誰にも言うな。いいな? 周りの奴らもだぞ」
「……は~い」
千尋は何かを察したのかあっさりと引いた。どうやらあまりの事態にオレも平静を失っている。
こうなった以上何としても鵺と話さないと。
「ええと、うちに帰るだったか。お前の家はどこにあるんだ? 東京? 大阪?」
「……? どこそれ?」
「……え?」
東京と大阪を知らないなんてことあるのか? 小学生になる前でも知ってるだろそれくらい。どうにも何か、重大な思い違いをしているような。
「ソウタくんだったか。それはお前の兄貴? 弟? それとも父親?」
「ソウタくんは、僕の飼い主」
ぴたりとピースのはまる音。そうか。だからこいつはワンと鳴いていたのか。
「お前は犬か。転生した犬」
考えてみれば当然だ。人間が蟻に転生したんだ。犬が訳の分からない謎の生物に転生したっておかしくない。魔物になったせいなのか、会話できる知性はあるけど、地名や転生という概念は理解できないのかもしれない。
「……僕はベル。犬って何?」
ベルって名前か。まあ飼い犬に犬って名前は付けないよな。
「犬は種族名だよ。ベル。また質問になるけどお前はどうやってうちに帰るつもりだったんだ?」
帰りたい、というのだから地球に帰るために行動していたはず。ならどうやって?
「ある女王蟻と、銀色の髪の女を倒せ、そう言われた」
あん? オレだけじゃなくて銀髪までターゲットなのかよ。
「誰からだ?」
「転生管理局のカワセミ」
……誰? カワセミ? いや、転生管理局って何?
謎の単語を連発されるけどはっきりしているのは一つ。そいつは間違いなくオレの敵だ。敵の情報はいくらあっても困らない。
「そいつはなんて言ったんだ?」
「世界の平穏を乱す邪魔者を殺せば望みをかなえてくれるって。それと……モズ……がどうとか……」
またまた新人物、モズの登場。誰だよそれ。モズとカワセミ。どっちも鳥だけど……偽名っぽいな。平穏なんか乱した覚えは……ないとはいえないけど。
話を聞く限りだと転生管理局のカワセミとかいうやつがオレと銀髪を殺したいらしい。そいつがモズとかいうやつと敵対しているのか?
転生を管理するのだからカワセミは転生者であるオレの味方であるはずだけど……何で敵になっているんだ? オレの転生に何か問題でもあるのか?
じゃあ銀髪はあいつも転生者なのか? いや、いくら何でも日本人の転生者ならあんな宗教国家の狗にはならない……いや、人間以外が転生したらそうでもないのか? いや、もしかして百舌鳥とかいうやつが銀髪の後援者なのか?
仮説としては……転生管理局のカワセミは何らかの事情、トラブルによって転生者のオレを狙っており、カワセミに敵対しているモズは銀髪を利用、あるいは力を与えたけど先手を打ってカワセミはオレもろとも銀髪を亡き者にしようとした……?
すっげー粗い仮説。なんか間違ってるところも多そうだ。それでも知らないよりはいい。無知こそオレの大敵なのだから。




