252 全軍突撃せず
「ん、んー」
眠気を吹き飛ばすように思いっきり伸びをする。巣の外にいる働き蟻にほぼ無意識的に感覚を繋ぐ。ようやく空が白み始めたばかりだ。
「ちょっと早く起きちゃったかな」
和香から連絡もないしまだ戦端は開かれていないようだ。
せっかく早く起きたのに重要な仕事が待っているからちょっとした時間を有効活用できないというのは実に損をした気分になる。
「じゃあご飯作って~」
横合いから千尋がいつもの要望を突き付ける。適当な用事もないから断るのも難しい。
「あんまり凝ったものは作れないぞ」
「それでいいよ~」
何にしようか。今から観戦するから……ポップコーン……は難しいな。トウモロコシはあるけどポップコーン用の品種じゃないからなあ。
じゃあフライドポテトっぽいものにでもするか。
ジャガオを短冊に切ってから片栗粉をまぶして油で揚げる……のはちょっともったいないので油を大目にひいてから炒める。なんちゃってフライドポテトにはなるか。いつまでたってもケチなのはかわらんなあ。
塩と、後はドライジンジャーでも削ってふりかけ……。
「コッコー。野営していた遊牧民が移動を開始しました」
「うえ!? 今油ものの料理してんだけど!? もうちょっと待ってもらえないか!?」
「無理です」
ですよねえ!?
慌ただしくジャガオを炒め始める。
「早くしないと始まっちゃうよ~?」
「うるせえ! 誰のせいでこんなことになってると思ってんだ! ってかお前状況わかってんのか?」
「わかってるよ~。遊牧民と戦うんだよね。でも罠にはめるためにあえて負けるんだよね」
「わかってんのかい!」
結構戦いの勘所鋭いよねこいつ!
「いやはや何とも緊張感がありませんね」
「お前も笑ってんだろ翼!」
今から戦いが始まるというのにピクニックにでも出かける程度の気軽さだ。命をかけた戦いだろうが無駄に緊張するよりはいいかもしれんけど。
ちなみに翼は戦場からやや離れた場所で肉眼によって観察している。
「いようし! ポテト出来上がり! もう始まってるか!?」
「まだだよ~」
「なんでやねん!」
せっかく急いだのに思ったよりCMが長くて余った時間でがっかりするテレビ番組か! 最近の子は動画とか録画で見るからそんな経験あまりないらしいけどね!
「どうやら戦士を鼓舞するための演説を行っているようですね」
「その手の話が好きだよなあ」
いつもいつもヒトモドキは戦いの前に演説している気がする。士気を高めるために必要なのはわかるけどね。
「あそこに爆弾ぶち込みたいなあ」
隙だらけで調子に乗ってるやつをボコることほど面白いこともそうそうない。退屈な話をしているなら特に。
「自重ください王」
「わかってるよ」
今回はまず受け身で戦わないといけない。その方が相手の力量を測りやすい。しばらくは益体のない話を聞くとしよう。
「神よ、救世主よ、我らを守り給え」
決まり文句を口にすると遊牧民の騎兵は一斉に突撃――――しない?
「部隊を5つに分け、そのうちの一つだけが近づいてくるようですね」
蟻の陣形は前列に盾を敷いた方陣。要するに四角く守りを固めて上から見るとゴマ豆腐みたいだ。
対してヒトモドキたちは縦に細長い陣形を五つに分けていて、それが動き出す様子はところてんみたいだ。……さっきまで料理をしていたせいなのか食材で喩えてしまう。
どんな意図があるのかはわからないものの馬鹿正直に突撃する作戦じゃないようだ。数はこっちが二千で向こうは八百くらい。ただすべて騎兵なので騎馬も含めて千六百。単純な数だけならそれでもこっちの方が上だ。
前進した一つの部隊にやや遅れてもう一つの部隊が走り出す。やがて全部隊が馬蹄を響かせながら草原を駆けだした。
「斜線陣からの突撃……?」
陣形戦術の一つに端から順次突撃させる斜陣がある。主にファランクスで用いられたらしいけど……騎兵でそれを活かしたのはあのアレキサンダー大王だったはず。
「いえ、これは……突撃ではありませんね」
ほう。どうやら翼はこの先が予想できるみたいだ。これが突撃でないなら一体何だろうか。
近づいてくる騎兵に向けて懐かしのスリングで投石する。情報隠蔽の為に弓矢はまだ使わない。
ヒトモドキたちは魔法の盾で投石を防ぎながら前進する。ヒトモドキの魔法のメリットの一つだな。地球の武装は持ち運ぶ必要があるけど魔法なら出したり消したりできる。結果として兵種の汎用性が非常に高くなるのか。そして、こいつらはその利点を十二分に活かしていた。
魔法の盾を掲げながら前進を続けた騎兵は突然反転して遠ざかっていく。五つに分かれた部隊はそれぞれが同じ生き物であるかのように正確な動きで反転した。しかしその反転している最中に盾から魔法を弾に切り替えて去り際に一撃攻撃を放つ。
そして十分に遠ざかった騎兵は息を整えるように軽く歩いている。
「パルティアンショットか? なかなか面白いことをやってくるな」
「紫水。知っているの~?」
「ん、まあな」
騎馬民族などが用いた戦法で、弓騎兵による一撃離脱戦法だ。できるだけ接近戦と乱戦を避け、ちくちく削るような戦い方だ。そして、恐らくあいつらがパルティアンショットという戦術を利用しているのはとても合理的だ。
「翼。何度か騎兵の訓練をしているお前たちがあの戦法と同じことをする場合の問題点は何だと思う?」
きっと奴らの戦術を予想していた翼ならそれがわかるはずだ。
「まずは武器を持っているどうかですね。我々の武装は程度の差はあれ重量があります。重いものを持てばそれだけ足が鈍ります。さらに武器を替える必要があればその隙がありますし、武器を収納する場所も必要です。騎兵で盾や剣、弓を全て扱うのは少し難しいでしょう」
「うんわかりやすい説明ありがとう。他には?」
「後退しながら弓を撃つのは高い技術が必要でしょう。ですが奴らならば片手を後ろに向けるだけで撃つことができます」
「だよな。片手を空けられるのってホントに強い」
地球の射撃武器は大体両手を使う。騎馬に乗りながらの射撃、つまり騎射の難易度が高い理由の一つはそこにある。特に鐙がない場合、走って揺れる馬に乗りながら太ももで必死に馬を締め付けつつ弓で狙いをつける必要がある。おまけに数百人でそれらを実行しないといけない。一人でも失敗すれば後でお仕置きされることは想像に難くない。
おいおいそりゃ死ぬわ。
しかし、魔法ならとりあえず撃つまでの難易度はかなり低い。
それでも戦場で実行できるのはちょっと頭がおかしくないと無理だろう。
その色々ぶっちぎってる騎兵諸君は再びパルティアンショットを行う。今度はやや早めに反転を始めてこちらのスリングがあまり届かないように立ちまわっている。さきほどに比べれば苛烈ではないが堅実で安定した攻撃になり始めていた。




