247 色彩二十面相
近場の森から杉の香りが町中に漂うが、それさえもこの町が放つ多様な匂いに上書きされ、複雑だが不快ではない交易都市特有の匂いに昇華される。
高原の南に位置し、交通の要所とも呼ばれるクワイの都市、ハンダンである。その、遥か上空にてゆったりと滑空する影がいくつかある。
「おおー、なかなかにぎわってるじゃん」
「コッコー、上空から見てもわかります」
行きかう人々の顔は明るく、明日への不安よりも希望が照らし出すと信じているようだ。
さて、オレたちは今後のことを考えてヒトモドキの町を偵察中。このハンダンという町は三層構造になっており、外縁部に畑などの広大な土地を必要とするが防備のない農地。
二層目には商業などが行われる商業街。町というより露店が多数出店するフリーマーケットが連日開かれている。大半の住人の住居もここにある。ここは簡単な柵などで覆われていてその気になれば侵入することは難しくない。
最後に町の中心にある商館や教会などの施設。それなりに高い壁に囲まれている。
推測だけどこの町は最初に中心部が作られて、後に商業が発展したため徐々に町の規模が大きくなっていったんじゃないだろうか。そして人通りや物の出入りが激しく、町の規模を拡大する必要があるためあまりはっきりとした境界を敷設しづらいのではないだろうか。
つまり、忍び込むにはこれ以上ないほどの環境だ。
「まずお前たちの任務はわかってるな?」
ハンダンからほど近い杉の森に小さな拠点を構え、町の監視を行うこと数日。
これならいけると判断して遂に侵入する時が来た。
集まっているのは琴音をはじめとしたアリツカマーゲイたちだ。
「もちろんにゃ。食べて寝てまた食べるにゃ」
「はっ倒すぞ琴音」
「別に構わないにゃあ」
飄々と恫喝を受け流す。こいつらはホントにいざという時は働いてくれるけどいざという時じゃないとただの無駄飯ぐらいだよなあ。
「じゃ、働かなきゃ飯抜き」
「ええー?」
「働いたら美味いものを食わせてやる。それに上手くいけばあの町の連中、いやクワイの連中に一泡吹かせられるかもしれないぞ?」
耳をピクピク、尻尾をパタリと動かすその姿はまさしく猫。触角があったり手足が六本だったりすることを除けばまごうことなき猫。……いやそれ猫じゃないじゃん。
「まあそれならやってみてもいいにゃあ」
オレもちょっとはこいつらのやる気の出させ方がわかってきたかな。
「じゃあ任務の確認だ。ヒトモドキの言語の習得、そしてなんでもいいから工芸品などの獲得。特に絵画だな。そして一番の優先事項は紙幣をかりぱ……拝借することだ」
「何度も聞いたにゃあ。わかってるからとっとと行ってくるにゃあ」
ちょっと不安だけどとりあえず任せるしかないかなあ。この手の潜入任務にはアリツカマーゲイたちが一番向いている。
「和香。カッコウを指揮して上空からサポート頼む。夜陰に乗じるって言っても人通りが皆無なわけじゃないからな。流石に琴音たちが見つかれば騒ぎになる」
「コッコー、巡回の警備兵などに注意させるのですね」
「その通り」
「コッコー、ですが何故わざわざそこまでして奴らの言語や道具を入手したがるのですか?」
その疑問はわかる。はっきり言ってオレたちならあいつらよりも優れた道具を生み出せるし、そもそも絵なんか別にあっても役に立たない。ただし、これからの展開を考えるとどうしても必要になってくる。
「このまま勢力を拡大すると遅かれ早かれあいつらとはぶつかることになるからな。そのためにはこっちも勢力を拡大するけど、多分間に合わない。あいつらの勢力を上回るだけの規模を獲得するよりも先に戦うことになると思う。まともに戦うのは厳しい」
アンティ同盟の戦いぶりは確かに目を見張る。でも結局自分たちの土地を守るのに手いっぱいだ。あと十年あれば追い越せるかもしれないけど国を広げれば広げるほど見つかるリスクは大きくなる。それにどれだけ国が大きくなったとしても奴らには銀髪がいる。
つまり力押し以外の方法で戦う道を探さないといけない。
「コッコー、情報が必要なのですね?」
「そういうこと。あいつらに通用するスパイが欲しい」
恐らくクワイという国はとんでもなくスパイに弱い。何故か? 何故ならあいつらには外国という概念がないからだ。
この世界に存在する国は自国のみ。それゆえに外交や間諜の類を想定さえしていない。いやしてはいけない。
逆を言えばそれらに対する防備も一切ないはず。
「コッコー、ですがそもそもスパイにする人材がいないのでは?」
「う、それを言われると痛いなあ」
ヒトモドキの洗脳教育はとても優秀で今のところ裏切ってくれそうなやつの当てさえない。
「それでも直接顔を合わせずに会話する方法はなくもないし、フードか何かをかぶればごまかせるかもしれないしな。テレパシー以外の会話方法を持っておいても損はしないはずだよ。琴音たちに発声による会話を習得して欲しいのはそういうわけ」
蟻や蜘蛛だと声帯が全く違うので発声による言語は取得できない。アリツカマーゲイなら魔法で音を生み出し、言語を操ることができる。
「では紙幣や絵は何に使うつもりなのです?」
「それはもっと簡単だ。オレは偽札を作りたいんだよ。多分あいつらにはこういう搦手が効くはずだ」
クワイの通貨は全て紙でできた紙幣で、絵が描かれている芸術品のようでもある。
紙そのものはすでに再現できているけど、紙幣をどうやって生産しているのかはわからない。少なくともそこそこ大量生産できるけど簡単には複製できないくらいの精巧さではある。そのために紙幣や絵などをサンプルとして必要としていた。
オレが今までに獲得した紙幣には透かしのような高度な技術は使われていない。なら、コピーすることは不可能じゃないはず。
貨幣経済において金の価値は経済の要だ。それをひっくり返すこの作戦はかなりえげつない。成功すればクワイの経済破綻を誘発することさえ可能かもしれない。
ドヤア。
「コッコー、そうなんですか?」
が、しかし和香の反応は芳しくない。それも当然ではある。何故なら我々は貨幣を用いない共産主義。
金の偽造を行う価値すらわからないらしい。
エミシで育っていないオレだからこそ思いつく経済戦争。そんな高尚な作戦でもないけどな。
「ひとまず紙幣でいろんな品物をヒトモドキから購入する。それが目下の目標だよ」
「コッコー、では結局のところ奴らから裏切り者がでなければその作戦は上手くいかないのでは?」
だよなあ。問題はそこに収束する。経済にダメージを与えるほど商品を購入するとなると一人二人を騙すどころか大きな町一つを騙すほどの詐欺が必要だ。
マジに一人でいいからヒトモドキが欲しい。それだけでこの状況が進展すると思う。
「戻ったにゃあ」
「ん、よくやった」
日が昇る前に琴音たちは戻ってきた。その口にはいくつかの紙幣と絵画。首尾は悪くないようだ。
「いい知らせと悪い知らせがあるにゃ。どっちから聞くにゃ?」
「両方同時に話してくれ」
「「わかったにゃあ」」
冗談で言ったつもりなのに……こいつテレパシーと音の魔法を同時に発動させて二重音声にしやがった。そう言えば小春も似たようなことやってたな。懐かしい。
「ごめんいいニュースから先に話してくれ」
「じゃあまずは絵を描く場所と紙幣がいっぱいある場所を見つけたにゃあ。私たちじゃ忍びこめにゃかったから場所だけ教えておくにゃあ」
「お、いいね。店の倉庫とかアトリエみたいな場所か?」
「よくわかんないけど建物の中だにゃあ」
んー、土壁なら蟻の魔法で穴を開けたりできるし、木製ならカミキリスの出番だ。どっちも穴をあけてから塞ぐこともできる。……こいつらなら地球で一人前の泥棒になりそうだにゃあ。
……いかん口癖が移ってる。
「で、悪いニュースは?」
「妙な噂を聞いたにゃ」
ここは交通の要所で交易が盛んな都市だ。それゆえに多数の人が行きかい、様々なうわさ話に花を咲かせるだろう。
だからこそ、噂が集約する場所でもある。
「どうも高原に向かって侵攻をもくろんでいるみたいだにゃ」
なんともなあ。一年に何度攻めてくれば気が済むんだ連中は。
それにしても……軍隊の行動なんて普通公にしないんじゃないのか? それこそ情報が洩れたら対策を練られるんだしさ。やっぱりヒトモドキは防諜という感覚に欠けている。
「ひとまずはティウと相談だな」
何が起こるにせよ話は通しておくべきだろう。




