226 かく語りき
話をしよう。
そう口にしたマーモットに案内されてやってきたのはトーテムポールのような石柱が立ち並ぶ広間だった。野ざらしの場所だというのになぜか風が吹いておらず、不気味な静けさが漂っている。
明らかに普段から生活している場所じゃない。神殿や神社のような宗教施設だと考えるのが自然かな。
「まずは自己紹介を。私はアンティの神官長ティウと申します」
「エミシの代表、紫水だ」
「シスイ殿ですか。どのような意味です?」
へえ意外。名前の意味とか聞いてくるんだ。
「山紫水明っていう言葉からかな。後はオレたちの体内にある宝石が紫水晶だからかな」
「ほう。美しい風景を意味する言葉ですか。良い名です」
どうやら本気でそう思っているらしい。この高原は山紫水明とは程遠いけれどそういう場所もあるのだろうか。
ちなみに実際に顔を合わせているのはお互いの部下。テレパシーを経由させての遠隔会話だ。それはいつものことだけど、どうもこいつはオレたちと感覚共有ができるらしく自分の姿をオレの脳内に投影するという器用な真似をやってのけている。
「どうやらかつての仇敵がご迷惑をおかけしたようですね」
「仇敵か。あいつらとお前たちが昔戦ってたのは間違いないのか?」
「その通り。あれなるは暗黒の神ラグンを信奉する異端者ロバイに暮らす全ての大敵です」
ロラクが言っていたことが正しいならこいつは魚人を嵌めた代表格ってことになるけど……オレたちには関係のないことかな。
「つまりお前たちはあいつらがラグンを信じていること、今もどこかで活動していることを知っていたんだよな?」
「ええ。ですが奴らはなかなか尻尾を見せなかったために我らも苦慮しておりました。今回神官長をとらえたことで随分見通しが明るくなりました」
いかにも偶然を装っているけど、なあ?
「お前たちが魚人たちに水を向けてオレたちに接触させたんじゃないのか?」
邪魔な魚人の尻尾を掴むためにオレたちを利用したというわけだ。例えば実はオレたちが高原の転覆を狙っているという噂を流したとか。普通に考えればそうなる。が、どうもティウの反応が芳しくない。
苦虫を噛み潰したような顔だ。
虫食べるのかなあ? いやどうでもいいなそんなこと。
「何か気に障ることでも言ったか?」
「そうではありませんが……あなたは水を向けるという言葉をそういう意味で使うのですね」
?
水を向けるっていうのは相手に特定の事柄に注意を向けさせることだよな。そう言えば巫女がなんかあれだ、魂を呼び寄せる? そういう時にも使うんだっけ。
まさかテレパシーでそういう風に翻訳されたのか?
「あなた方にとっての水を向けるという意味は分かっております。ですが我々にとって水を向けるという言葉は恐ろしい意味を持つのです」
「何じゃそりゃ?」
あれか? 饅頭怖いの水バージョンか?
「我々ではなく二足トカゲの話になりますが……そやつらはご存じですか?」
二足トカゲか。多分リザードマンのことだよな?
「知ってるけど、あいつらがどうかしたのか?」
「奴らには少々理解しがたい習慣がありまして……死ぬ間際には口に水を含むという習慣があるのです。死出の水と呼ばれているそうです。なんでも水を口に含んでいると死後も幸福が約束されているとか」
「……確かによくわからんな」
末期の水みたいな習慣なのか? それが何で恐れられているんだ?
「厄介なのは口に水を含んだのが瀕死の誰かであれば周りが必ずその命を絶たねばならないということです」
「えらく物騒だな。……ん? それって周りにいる奴が敵だったとしてもか?」
「はい。奴らは味方だけではなく、敵にもそれを求めます」
「ちなみに万が一見逃すとどうなる?」
「二足トカゲにとって死出の水を履行しないことは重罪です。もしも殺さなかったならばそのものは自動的に奴隷の身分になり、一生辱めを受けるのだとか。アンティに殉ずるものの中にもそのような理由で奴らにつかまったものがおります」
め、めんどくさすぎる。
死にたきゃ自分で死んでくれ。周りに迷惑をかけないでほしいんだが。そもそもそんな習慣わからねえよ。
「つまりその死出の水を促す行為が水を向けるっていうのか?」
「そうなりますな。故に二足トカゲに水を向けることはありません」
「ちなみに水を向けてからそいつを見逃した場合どうなる?」
「はっはっは。奴らにとってはそれ以上の侮辱はありませんからなあ。一族どころか国を挙げて報復に走るのではないでしょうか」
「ありがとう。いいことを知ったよ」
そんなめんどくさい風習があるなら奴らには絶対に水をめぐんでやらん。いやまあそんなことをする機会があるのかどうかはわからんけどさ。
「どういたしまして。特に金の二足トカゲではその習慣が強いらしいのでご注意を」
「ん? 金の? 他にも種類がいるのか?」
「ええ。毛のない二足トカゲと金色の毛の二足トカゲ。主にこの二種ですな」
「知らなかった。重ね重ねいいことを教えてくれてありがとう」
この情報は貴重だ。
もしもただ毛の色が違うのならともかく、全く別の魔物なら使う魔法が違うこともある。気をつけておいて損はない。
やっぱり現地人の情報は貴重だ。今まできちんとした情報源無しで手探りのまま戦ってたから話を事前に聞けるのはありがたい。
「ふむ。やはりあなたは話のわかる御方のようです。では、こちらを見て頂けますかな」
マーモットのテレパシーによって映し出されたのは、雑草が生い茂った大地だった。
何ということもないごく普通の風景。ただしそれはオレたちがもともといた温暖湿潤気候なら。この高原にはそぐわない風景だ。
この地域ではあまり見かけない草が生えている気がするし、何よりこんなに繁茂しているところは見たことがない。
「これはどこの映像だ?」
どうにも嫌な予感がしながら聞いてみる。
「このロバイの東端のとある場所ですよ。あなた方の仰るところのヒトモドキに侵略されたことがありますが、この愚を繰り返さないためにあまり立ち寄らせないようにしております。このような醜い光景にするのはここだけで充分です」
やっぱりか。植生が変わっているのは連中が農地に改良……いや改悪した結果だろう。確かに放置された空き家に生えた雑草のように無秩序だけど、こいつらにとってこの状況は耐え難いのか今までにないほど顔が険しい。
「奴らはここで水を張って丈の大きい植物を育てていました」
「水を張る!? ちょ、ちょっと待て!? じゃあ何か!? あいつら水田を作ろうとしたのか!?」
「あれは水田と言うのですね。少なくとも何かを育て、水を多量に必要としていたのは確かです」
「こんな天候の不安定な土地で!? 馬鹿じゃねーの!?」
その土地の気候や土壌にあった農業を行うのは基本中の基本だ。米は品種にもよるけど降水量が多い気候でしか栽培できない。
この高原で水田を作ろうとするのは真冬に熱帯魚の水槽にヒーターを入れておかないようなものだ。
あるいは真夏の炎天下に車の中に赤子を放置することに等しい。ああもちろん故意にだぞ? 痛ましいことだけどついうっかり放置してしまうこともあるそうだ。もちろんついうっかりで済ませていいことじゃないけど。
要するに、もはやこれは殺人事件に等しい。それほどの暴挙だ。
「もしかしてその辺りだと水量が豊富なのか?」
水田による稲作では絶対に大量の水が必要なはず。この高原でも水が豊富な場所はあるにはある。
「いいえ。どうやらここにその水田を作ろうとした時点では湖がありました」
「季節が移って移動したり消えたりしたのか?」
「その通り」
現代日本だとイメージしづらいかもしれないけど川や湖の場所は結構コロコロ変わる。
特に季節やその日によって天候が大きく変わる高原ならその性質は顕著なはず。塩類集積などによって農業に向かない湖だってあるはず。その辺りは知識だけじゃなくて経験によってもわかるはずなんだけどなあ。
「ほんとにそんなことしてたのか? オレが調べた限りだとこの近辺の農業はきちんと理に適った農業を行ってたぞ?」
カッコウの偵察は非常に優秀で万が一にもヒトモドキが高原に攻め込んできたときに備えて簡単な調査はすでに終わらせている。
その時は別にそんなことはなかったはずだ。
「存じております。しかしよそから来た黒い毛におおわれたヒトモドキが指示を出すと奴らは正気を失うのでしょう」
黒い毛皮? 黒い服のことか? こいつらには服がないから毛っていう翻訳になるのか。
ヒトモドキの黒服……多分聖職者だな。
「ちょっと質問だ。お前たちがその土地を失陥した時は大軍に攻め立てられたのか?」
「はい」
「で、普段とは違って黒服の連中が指揮を執っていたのか?」
「ええ。どうやら大軍であれば別の土地から来た黒い毛を纏った奴が指揮をするのが通例のようです」
確かヒトモドキが大軍を動かすときは中央から指揮官が派遣されるんだっけ。
いわゆる中央から来たエリートというやつだ。そういう連中なら間違いなく土地によって農業がどうだとかそんなことは知らないに違いない。
今までやってきた農業がこの土地でも通じるという前提で行動してしまうんだろうな。
結果として無茶苦茶な作物を育てるわけか。オレなら速攻でそこらの下っ端に任命するぞそんな奴。
普通中央から派遣された役人なんて反感を買いやすいんだけどなあ。連中の洗脳は行き届きすぎて完全なイエスマンになっちゃってるんだろうな。
下の意見を全く聞かないと失敗することの典型だな。
それにしてもヒトモドキはどうやって言うことを聞かせてるんだろうな。いくら洗脳しているからって何か証みたいなものが必要じゃないか?
それこそ水戸黄門の印籠みたいにぱっと一目で見て権威がわかるくらい旗印に――――……?
旗?
あまりの重大な発見に心臓が早鐘をうつ。確か以前騎士団を率いていたティマチは旗を持っていた。
「そうだ旗だ!」
「? はた?」
「あ、いや何でもない」
思わず口走ってからティウに訝しがられてしまった。
落ち着こう。よく考えれば当たり前のことだ。
どんなものであれ象徴は必要だ。それがないと何に従っていいのかわからないんだから。
いやそれでも旗……確か聖旗だっけ? あれが象徴だったとして下々の連中にまでその模様を知らしめることなんてでき……できる、できるぞ!
確かあれの図案は聖典にかかれてある! そしてクワイで間違いなくもっとも生産されている本は聖典! あいつらの紙の生産能力なら村々に配るくらいならできるはず。
十分情報の共有は可能だ。
そして何より、それはオレにとっても同じだ。情報源ならある。オレはすでに聖典を手に入れている。
つまり、聖旗を手に入れる、あるいは偽物を作ることは可能だ。
ということは……上手くやればヒトモドキを操ることができる!?
……ティウはこの事実に気付いているだろうか? いや、気付いていたとしても旗を作ろうとする発想には思い至らないかもしれない。こいつらは道具を作るという発想に乏しい。多分、オレだけが実行可能な作戦だ。




