225 真実の価値
「……失礼ですが、今なんと?」
聞こえていたはずだろうに、わざわざ聞き返さないでほしいな。同じ説明を何度もするのは嫌いなんだけど丁寧に説明してやろう。
「お前たちに協力することはできない。さらに言えば協力することにメリットを感じない」
オレの言葉が言い終わる前から顔に青筋を立てて今にも噴火しそうなほどに怒りをこらえている。
「ご自分が何を言っているのかお分かりですか? あなたは卑しいマーモットに加担すると言っているのですよ?」
「別にあいつらと手を組む気もないんだけどなあ。そう解釈したくなる気持ちはわからんでもないけど……自分たちに味方しない奴は敵ってのは短絡的すぎないか?」
「言葉遊びはやめなさい! あなたは! 敵か! 味方か! はっきりしていただきたい!」
金切り声をあげるロラクは駄々をこねる子供のようでさえある。あっさり化けの皮が、いやメッキが剥がれたな。場合によっては手を組んでもいいかと思ったけどダメだこりゃ。無能な味方は有能な敵よりもよっぽど厄介だ。
「そもそもさあ、お前たちに協力してオレに何の得があるんだ?」
「そんなものは必要ないでしょう。聖なる土地を正しき我々のもとに。それ以上の大義など必要ありますまい」
……本気で言ってるのかこいつ。本気っぽいな。交渉とさえ呼べないぞこんなもん。
完全にこっちの事情を無視している。
「あほらし」
「今なんと言いました!?」
あ、いかん。つい口が勝手に。
紳士的な態度をとらなければ。
「こっちが何も得をしないのになんで手を貸さなきゃいけないんだ?」
軽くトス。言い合いをしても無駄なので軽く背中を押してやる。
流石にこれは理解できたらしくようやくまともな反応が返ってきた。
「いいでしょう。ならこの聖なるロバイの半分を治める権利を与えましょう」
まだましだけどこれじゃあ全然だめだ。
「いらん」
「は?」
「いらないって言ってるだろ。こんな世界の端っこのやせこけた土地……半分もいるわけがない」
そもそもオレたちの目的はあくまでも道の建設。道に必要な土地があればそれでいい。その事情を知らないとはいえ半分というみみっちい分け前の何の保証もない口約束にほいほい乗る馬鹿がいると思ってるのか?
せめて世界の半分をよこせよ。こいつらにとってはこの高原、つまりロバイが世界の全てなんだろうけどさ。
「キサマ! ロラク様がこれほど厚意を見せているのに断るつもりか!」
今度はロラクの取り巻きが我慢できないといわんばかりに口をはさんできた。
「厚意、ねえ? オレから見るとお前たちはただ自分の都合を押し付けてるだけに見えるんだけどさ。一応オレの嫌いなものを一つ教えてやる。自分の都合だけで話を進める奴だ。お前たちは典型的なそれだよ」
「これだけ誠意を見せているのに譲るつもりはないのですか!?」
「はっきり言うけどお前からは誠意をかけらも感じない。百歩譲って誠意があったとしてもそれだけでお前たちと協力する理由には不十分だよ。国と国の決め事にはお互いに利益と損益を見据えて妥協点を探すことから始めるべきじゃないか?」
オレなりのアドバイスのつもりだったけどどうやら向こうはそう受け取れないようだ。
「これ以上の妥協がどこにありますか!?」
ダメだこりゃ。
無能という言葉さえ生ぬるい愚者。ロラクをそう断定したのでもうやるべきことはない。
「寧々。帰ってこい。これ以上は時間の無駄だ」
「はい。今から帰還します」
「ま、待て! まだ話は終わってない」
「まだなんかあんのか?」
おとなしく寧々を帰してくれるなら何もするつもりはないけどな。
「貴公ならわかるはずだ! アンティの神官と清く正しい我らラグンに殉ずるもの! どちらにつくことが正道かを!」
この期に及んで神を持ち出すか。もうそれしか頼れるものがないのかね?
「あのさあ。オレにとってはアンティだとかラグンだとかマーモットだとかお前らだとか……そんなもん誰が正しくてもどうでもいいんだよ」
例えば引っ越し先の住民が喧嘩していたとしよう。
片方からあいつは悪い奴だ! と、言われたとしよう。信用するか? しないだろ?
正直何で喧嘩してるかとどうでもいいだろ? もっとはっきり言えば自分に実害がこなければ勝手に喧嘩してもらって構わないだろ?
そんなもんだ。対岸の火事ってこと。
もはや言い返す気力もないのか酸欠にあえぐ金魚みたいに口をパクパクさせている。
「お前らの祖先とか興味ないし、そもそもずいぶん昔のことなんだから頭切り換えて歩みよってみたら?」
「我らにアンティの神官と協力せよというのか!?」
「まあな」
「そんなことは許されるはずがない!」
全く。どこの世界でも歴史問題は長々と尾を引くみたいだ。
何十年何百年も前のことなんざオレたちが気にしてもしょうがないと思うんだけどなあ。
「ロバイを我らの手に取り戻すために苦渋を舐めてきたのだ! 今更恭順することなどあり得ぬ!」
「じゃあ別の土地に移ったら?」
「ロバイから離れられるわけないだろう!」
視野の狭いことで。井の中の蛙大海を知らず、か。
「せめて空の青さぐらい知ってればいいものを。お前らに協力するくらいならマーモットに協力した方がましだ。少なくともあいつらはちゃんとこの高原の制度を運営してるしな。お前らにそれができるようには思えないよ」
ロラクは憤死しそうなほど顔を紅潮させ、激発の言葉を絞り出す。
「我らを愚弄し、ラグンの神官と手を結ぼうとするとは……お前たちを生かしておかん! 者どもであえい!」
周囲の地面から、天井から、壁から魚人がずるずると這い出し、寧々たちを取り囲んだ。
ま、そうなるか。
「水戸黄門なら印籠を出す場面なんだけどなあ」
「? 水戸黄門?」
「気にすんな」
絶体絶命の寧々だが全く危機感がない。
「ふん! 貴様らの力など借りずとも我らだけで十分よ! ここで死ぬがいい!」
どうだか。無理だと思ってるからオレたちに声をかけたんだろうに。多分こいつらの計画は放っておいても失敗するはずだけどここで寧々を殺させるわけにもいかない。
「オレも一度このセリフ言ってみたかったしね。いい機会だ。――――者どもであえい!」
いかにもこの悪属性のセリフ、嫌いじゃあない。
その言葉を合図に千尋と翼が率いる部隊が洞窟を駆け抜けて魚人の包囲の一角を切り崩した。
「寧々ちゃん大丈夫~?」
「少々遅れましたこと、お詫び申し上げます」
「いえいえ、何の問題もありませんとも」
形勢はあっさり逆転した。
その事実に誰よりも狼狽したのはロラクだろう。
「な、何故貴様の手勢がここに!?」
「そりゃあらかじめ兵を伏せていたからだよ」
「ここには少人数でしか来てないはずだ!」
「寧々にはそう伝えておいただけで実際にはそうじゃなかったってことだよ」
トリックは実に簡単。
寧々にお前たちだけで行けと命令する。しかし実際にはこっそり後をつけさせる。
これなら寧々は事実を述べているけど、嘘をつくことができる。寧々は薄々気付いていたみたいだし、今の寧々ならそんなことをしなくても嘘をつけたかもしれない。
「それで? どうする? 降参するなら今の内だぞ?」
ロラクから歯ぎしりする音が聞こえた気がする。ちなみに魚の中には人間と同じような歯を持つ種類もいるらしい。歯ぎしりができるかどうかは知らんけど。
「ロラク様! ここは我らにお任せを!」
ロラクの部下が立ちはだかる。腐っても神官長か。それなりに人望はあるらしい。
「すまん! ここは任せるぞ!」
再び溶けるように壁に消えていく。多分これがこいつらの魔法だな。土を通りやすくする魔法か? 乾燥地帯や砂漠には穴を掘って暑さを避けたりする生き物は珍しくない。魚の中にも穴を掘って暮らす種類はいる。違和感は感じない。
ただ、蟻とは少し相性が悪そうで、その割に戦闘には向いてなさそうだ。蟻以外の魔物には対処できないだろう。
結論。まともに戦えばまず負けない。
その予想通り、むしろ予想以上に魚人は弱かった。千尋と翼のコンビネーションの前にあっさりと蹴散らされた。
後はどうやって追いかけるかだな。
「この壁はそれほど厚くないようですね」
翼が壁を調べるとそう断定した。エコーロケーションによってそんなことまでわかるらしい。便利だなあ。
「じゃあ、サクッと開けてくれ」
「わかった」
働き蟻たちが<錬土>で壁に通り道を作る。
魚人の通り抜ける魔法はそこまで便利なものでもないらしく、あくまでも薄い壁しかない。が、なかなか慎重な性格なのか洞窟の奥は入り組んでいた。
「寧々、手分けして探すぞ。ここまでやられて逃げられるのも癪だ」
「仰せの通りに」
暗い洞窟を駆けずり回っての鬼ごっこ。
気分が明るくなるはずもない。しかも肝心のロラクが見つからなければなおさらだ。部下は何人か捕らえたけど、どうやら囮だったらしい。
慎重だねえ。
「紫水。ロラクを発見しました」
「よくやった。できれば捕らえろ。無理なら殺せ」
「はい」
さて、いい加減に追いかけっこは終わりにしたい。
王からの指示通り、ひとまず寧々は投降勧告を行った。
「ロラクさん? 投降していただけますか?」
「己! このような真似をしてタダで済むと思っているのか!? 今に天罰が降るぞ!」
「は――――」
激昂には冷笑で返答する。
「何がおかしい!」
「今この状況がわかっていますか? あなた方にここまでのことをして、私たちに天罰の一つもないなど……あなた方の神とやらは随分無能ですね」
「貴様! ラグンを愚弄するか!」
「おや。お嫌いですか?」
「ふざけるな!」
「では言い直しましょう。あなた方の神とやらは随分かわいそうですね。あなたのような無能な信徒しかいないなど……ええ、思わず同情してしまいます」
「きっさまあああああ!」
もはや正気を保てないと言わんばかりの怒声。しかし寧々はそれを涼やかに流す。
「神を非難されると怒り、それならばと矛先を変えても喚くばかり。まさしく、愚鈍とでも呼ぶべきでしょうか」
憤怒の形相で一人きりのロラクが走る。
その全生命と矜持と信仰を賭けた疾走は、寧々に傷一つ与えることはなくあっさりと拘束された。もちろん寧々に天罰が降る様子もなければロラクが真の力に目覚めることもない。
(……何ともまあ口の達者なことで)
もちろん寧々のことだ。
相手を逃がさないために相手がもっとも怒りそうな言葉で挑発するとか……皮肉が上手すぎる。これが、寧々の個性、あるいはエゴ、だろうか。
「ま、それもよしだな。千尋、ロラクを護送しろ。丁重にな」
「おもてなしするんだね~」
「そうそう。ひとまずご飯だ。落とせそうならそのまま。無理そうなら痛めつけてもいいからこいつらの子供の場所を吐かせろ」
ここに来ていた魚人は大人だけ。子供はどこかに隠してあるかもしれない。そいつらを丁寧に育てれば多分戦力になってくれるはず。
もしかしたらティラミスの後でオレが高原でしようとしていることの助けになってくれるかもしれない。
「紫水は~どうするの~?」
「オレは洞窟外で待ってるやつの相手をする」
地上の日が降り注ぐ草原に目を向ける。洞窟の外で待機していた働き蟻と向き合っている今来たばかりだという態度をとっている奴に話しかける。
こんなタイミングでこんなところにいることが偶然なはずがない。茶色い巨大なネズミのような魔物、アンティの神官ことマーモットがこんなところにたまたまいるはずがないのだ。長年の友人にそうするように挨拶する。
「こんにちは、いい天気だなマーモット」
「ええまったく。少しお話しませんか」
お話ねえ? 一体何を聞かせてくれるのやら。




