223 アンダルシアの春
いままさに熱戦が繰り広げられている高原から離れてここは我らがエミシの本拠地樹海。
そこでは続々と新たな建物が建てられていた。蟻の住居は基本的に地下にある。しかし大型の道具を生産する場合上下に移動させるのは効率が悪いので地上部分に工場のような建物を建てるという建築が一般的になっている。
つまりここはエミシの工業の発信地といっても過言ではない。そしてここの責任者こそが女王蟻の樹里だ。かつての樹海蟻たちをほぼ完全に掌握したので現在は様々な道具を作る役職にしている。
わりと細々とした道具をつくったりするのがすきだったり、新しいものにチャレンジする精神を持っているようである程度自由にやらせている。ただしここしばらくはオレからの発注品に夢中だったようだ。
「へえ。これが試作品か」
目の前には車。やや流線形で、ずんぐりしたF1カーのような見た目だ。
「はい! どうですかこの車体! タイヤは紫水の提案通り蜘蛛の方々とアメーバから作った蜘蛛糸ゴム! フレームは炭素繊維強化プラスチックをベースにした……」
「はいはいそこまで」
樹里はどうにもオタク気質というか好きなことになると止まらなくなるタイプだな。結構じゃないか。そういう個性は悪くない。
「で、もうコピーはさせているのか?」
「はい。設計図と作成のコツはすでに教えてあります」
この車を急ごしらえさせたのはティラミスの競技で使うためだ。ただしここから高原まではあまりにも遠すぎる。
そこで部品だけは現地で調達もしくはあらかじめ運搬していた資材を流用し、組み立てるのは現地という方式を使った。
この辺は高度なテレパシーを使える蟻ならではだ。単純な設計図だけではなく、個人の主観によるコツ、どうやれば組み立てやすいか、どうすれば効率がいいかという感覚そのものを伝えることができる。
地球でもロボットアームを使って遠隔地で作業したり指導する技術があるらしいけど、こういうノウハウを伝達する速度は蟻の方が圧倒的に上だろう。インターネットというものを知っていなければなかなかそういう発想は思いつかないだろうけどな。
「でも……もうちょっとうまく作れた気もします」
「不満があるのか樹里?」
「それはもちろん」
「いいことだ。でもどんなに頑張っても自分の理想の物はできないからな。量産性が悪かったり、故障しやすかったりすると自分ではいい出来だと思っていても結局廃れることもあるからな」
「道具に大事なのは自分がよいと思うかではなく、使いやすいかどうか、ですか」
「よろしい。そのまま精進してくれ」
その視点を忘れずにいてくれるなら何も心配はいらない。
では高原の様子を見てみようか。
ティラミスの競技は決闘の休止期間に行われ、その日程も二日ほどで終わる。
これはやはり競技よりも決闘がティラミスの花であり、競技はあくまでも添え物であるという邪推もできる事実だ。
ティラミスは基本的に雨天決行、嵐天決行、快晴決行、中止ということはまずありえないらしい。そして本日の天気は……ひとまず晴れ。
一時間後には暴風が吹き荒れても驚きはしないけどひとまず天気の心配はしなくてもいいだろう。
オレの作る道具はやっぱりスタンダードな環境でこそ真価を発揮する。天気が悪くないのは朗報だ。
「さて、じゃあスカラベ。打ち合わせ通りにしろよ」
「んだ。食いもんいっぱいもらったから働くだよ」
「よしよし。さあそれじゃあまず二百メートルくらい走の首位をかっさらおうか」
くらい、というのは大体このくらい、という距離をマーモットが測るかららしい。きっちりとした距離は決まっておらず、適当なんだとか。昔はフルマラソンの距離は正確に決まってなかったらしいからそういうこともあるのかもしれない。
ただこの短距離走は地球と大きく異なることがいくつかある。
組み分けされていること。グループごとに何人でも参加していい。
その代わりに参加人数が多いほど後列からのスタートになる。
陸上の二百メートルや四百メートル走のようにスタート位置が右から左に降っていて、当然ながら右にいる方が有利だ。
つまり単純な走力に自信があれば少ない数で参加した方が有利なはずだ。そもそもレース中の妨害は禁止されているので大人数で参加する意味はあまりない。器用に走れる魔物なら競輪のように風よけ役を作ることもあるらしいけどね。
しかーし、オレたちは違う。
ずらーっと長蛇の列を並ばせている。
その数およそ数百。これだけの人数がレースに参加するのは初めてらしい。その大部分はスカラベだ。スカラベは自分たちの毛で編んだロープを掴んでいる。ラーテルや青虫のようにもともと自分たちの体の一部だったものを使えば直接触れなくても魔法を発動させることができる。
スカラベの魔法はオレの想像通り、いや想像以上の性能だった。ただしその使い方を本人たちでさえ理解できていなかったので、それを活かせるものを作った。それこそが……
「あ、やべ。名前考えるの忘れてた」
「紫水。後にしてください」
ぐぬぬ。しまらんなあ。
樹里が設計した車の名前は後で考えよう。整備員として働き蟻、ドライバーにはカッコウだ。
スカラベたちが自分の魔法を使いこなして車を動かせば、このレース間違いなく勝てる!
……フラグじゃないぞ。……多分。
「位置について」
短距離走者なら耳にタコができるほど聞くことになるセリフ。そういう風に翻訳されているのか、それとも世界が変わってもレースの掛け声は変わらないのか。
埋まらない空白のような静寂が競技場を支配する。
「よーい」
聞こえるのはマーモットの声だけ。
各々が最良だと信じる姿勢で力を込める。
「ドン」
テレパシーで始まりの合図を告げる。
瞬時に加速するのはやはり加速系の魔法を使う魔物。
地球における地上最速の生物チーターでさえこいつらには及ぶまい。200メートルなら五秒さえかからないかもしれない。
少なく見ても最高時速140キロメートル超。そいつらに勝つにはどうするか。簡単だ。
こっちは時速200キロを出してやればいい。
働き蟻の持っていたロープが車のタイヤに触れた瞬間、車は爆発するような速度で加速する。
車輪はストロボ効果さえ発現させ、粉塵をまき散らし、地震のような鳴動を響かせる。
ロケットのように飛び出したそれは一瞬だけ車の先を走っていた魔物をあっさり追い越した。
観客も審判も驚愕のあまり呆然とそれを見送る。
瞬きしていればそれだけで終わってしまいそうなほどのわずかな時間でトップに躍り出た。
そもそもスカラベの魔法とは何か。
ざっくりと説明すると物を回転させる魔法だ。文字通りフンコロガシの糞を転がす性質が魔法になったのかもしれない。別の可能性もあるけど。
名前はそのまんまの<ロール>でいいよな。
まず魔法を発動させるための条件として球体、あるいは円状の物質に触れること。真四角のサイコロなどでは発動しない。ラグビーボールのような楕円形だと触る場所によって発動するかどうか変わるらしい。
恐らくこれは生物が持つ歯車が魔法になったものだ。
歯車。
その発明は紀元前にまでさかのぼり、機械工業の発展によりさらなる精密化、高性能化したそれと同じ機構を持つ生物が実は存在する。
その生き物はウンカ。カメムシ目に属するその虫は足に歯車のような構造を持ち、ジャンプする際に姿勢を制御しているらしい。
しかしながらそれ以外に複数の歯車が連動する構造を備えた生物はオレの知る限り見つかっていない。
また、回転という構造は機械産業の根幹をなすと言っても過言ではないが、体の一部を回転させる機能を備えた生物は一部のバクテリアくらいしか見つかっていない。
つまりスカラベの魔法は生物にとって異端とさえ呼べる魔法。
逆に、工業にとってはごくごくありふれた現象。だからこそ、スカラベの<ロール>はオレたちと相性がいい。
スカラベの魔法によって車輪を回転させれば車の完成だ。
化石燃料や金属資源がなかなか見つからない現状だとこれ以上の動力源を確保するのは難しい。そもそもオレはあまり内燃機関に詳しくないし。
それにあいつらの魔法は相互協力が可能なタイプ。数百人のスカラベの力を一つの車に集約させればF1カーなみの速度でかっ飛んでいく。
一着でゴール!
しかし、まあ、何だ。
例によって弱点がある。
もしかしたら気付いているかもしれないけど――――
「ところで紫水」
「何だ?」
「あの車はどうやって止めるんですか」
「……」
「……まさか」
そのまさかです。
「あれ、ブレーキついてねえんだ」
てへぺろ。
……ごめんやっぱりキモイ。自分で自分をきもがってどうする。
「スカラベの魔法は半自動発動型なんだよな。だから遠くまで届くみたいだけど、自分で完全に停止させるのは無理。ゆっくりと回転を落とし弱められるみたいだけど、触れていないと急加速および急減速も不可能。ただ回転させているものが壊れたりすると魔法は停止する」
「逆に言うと壊れるまでは走り続けるんだよね~?」
「そうなるな。つまりこのままだと車はぶっ壊れる」
「乗組員はどうなりますか?」
親指を真上に立てる。
「グッドラック!」
ばっかーん!
大岩にぶつかった車が残骸をまき散らす。
「ありがとう。カッコウ。君のことは一時間くらい忘れないよ」
「コッコー。勝手に殺さないでください」
「お。よく脱出できたな」
カッコウなら上手く飛行して脱出できると思っていたからな。これも計算通りだ。
「コッコー。二度とやりたくありません」
ものすごい悲壮で真剣な表情だ。よっぽど怖かったんだなあ。
「ま、次はもっとうまくやるさ」
「あれが使い物になるんですか?」
「なるよ翼。今回は耐久性を重視していたからカーブを曲がる機能を持たせられなかったけどもうちょっと機動性を追加してブレーキは無理だけど減速する機能なら作れるはずだよ」
馬車とかもある程度のブレーキはあったらしいし、ゆっくりなら回転をコントロールすることもできる。
それにスカラベはそこそこ巨体であるせいなのか体力もある。きちんと管理すれば数十キロメートルを楽に走れる。
そして何より、スカラベ自身はその場にいなくてもいい。これは大きすぎるメリットだ。単純に自分自身が動かなければ体力を温存できるし、馬車なんかとは違って馬を射ることはできないから動力源を破壊することがほぼ不可能だ。
特にこれは戦闘において重要すぎる性質だ。その場にいない敵はどうやっても殺せないんだから。
急加速、急停止はできなくてもそれを上回るメリットが……この虫車にはある! よし! 名前決定!
今回は試作品だから問題点も多いけど一つずつ解決すればいずれ虫車を大量生産できる日も近い。そうなれば一気に交通、運搬能力が向上できるはずだ。
「さて、そろそろ次の競技は……なんだっけ?」
「石壊しですね」
「ああそうだった。これも問題ないな」
その名の通り石をぶっ壊す競技だけどこれにもスカラベの魔法を使う予定。
滑車で砕くための石球を持ち上げて一気に潰す予定。重機の……鉄球がついてるやつ……たしかモンケンとかいう名前だっけ。そんな感じの重機みたいなもん。
まあこれも不安は感じない。正直に言えば乱数が多い戦闘よりもよっぽど楽だ。競技に不安はない。それでもやはりトラブルは起こるのだ。
「紫水。お耳に入れてほしいことが」
「寧々? ……何かあったのか?」
「紫水と会いたいという方々がいます」
「誰だよ」
心当たりはない。いやまあ会おうとしてくる奴らならいないわけでもないだろうけどこんな風にお忍びで会いたがる奴がいるだろうか?
「なんでもラグンを信仰している神官だとか。アンティを打倒し、奴らの転覆に力を貸していただきたいとのこと」
「ああ? なんだそりゃ?」
降ってわいた申し出。
さてそれは悪魔の誘惑か天使のささやきか。




