209 再会
この高原の南方の砂漠にリザードマンたちは住んでいる。
どのように暮らしているかははっきりしないものの、少なくとも地下に住居を構えているのは間違いない。それがカッコウの上空偵察を避けられている原因でもある。
リザードマンの特徴としては毛が生えていることだろうか。金色、あるいは茶色の毛だ。恐らくはフェネックなどの砂漠に暮らしている哺乳類の形質を受け継いでいるのではないだろうか。なんかとがった耳っぽいのもあるし。
率直に言うと日本人が無理矢理髪を染めて欧米人っぽく振舞っているような違和感がぬぐえない。
ここからさらに南下するとヒトモドキが住む地域になるわけだけど、当然ながらお互いが手を出しづらい緩衝地帯のような場所は存在し、そこにはお互いを警戒して防衛のための兵隊や砦を築いていた。
だからこそ様々な場所に偵察させているカッコウに見つかり、念のために働きアリに監視させていた。
しかしまあ、なんだ。
意味あるのかこの砦。
現状において攻め込んでいるのはリザードマン。守る側はヒトモドキ。
それだけなら守る側が有利だと思えなくもない。しかし現状においてはほぼ一方的に攻め込まれているのは砦の守兵だ。
その要因はいくつかある。
そもそも砦の防衛設備が貧弱であること。壁の高さもイマイチだし、高さを活かすための武器がない。それこそただの石を落とすだけでも効果はあるのに。
まあセイノス教の都合で武器が使えないんだろうけど。
さらに単純にリザードマンの数が多い。しかしそれでも若干多い程度で砦の有利を覆すほどでもない。ただしはしごなどの攻城兵器はそれなりにあるみたいだ。
意外なことにリザードマンたちは武器を使う。石器時代から多少進歩した程度とはいえ弓矢や槍などの武器はそれなりに脅威だろう。
しかしそれらは全て蛇足。もっともっと単純明快な事実が勝敗を決定づけていた。
リザードマンの魔法はヒトモドキの魔法とめちゃくちゃ相性がいい。
どうやら自分の周囲にバリアの鎧みたいなものを発生させる魔法らしい。
めちゃくちゃシンプルだ。
ただしこの魔法はヒトモドキの魔法よりも優先順位が明らかに高い。
同じ形質の魔法がかちあった場合、優先順位の高い魔法だけが効果を発動、もしくは優先順位の低い魔法は著しく効果を減退させる。
この法則がもろに働いており、ヒトモドキの魔法じゃまともにダメージを与えられない。
飛び道具の<弾>は無効。近距離の<剣>は薄皮を切るのが精一杯。ヒトモドキの魔法は汎用性が高い分、防御に絞った性能を持つリザードマンの魔法を突破できない。
もはやピコピコハンマーでフルプレートを着込んだ騎士に喧嘩を挑むよりも無謀だ。素手で殴りかかった方が早いような気がするけど……セイノス教の都合でそれができないらしい。
宗教で縛られているヒトモドキはよっぽど自殺したいのか?
というか何でリザードマンはさっさと砂漠を出てヒトモドキを皆殺しにしないんだ? ぶっちゃけキルレシオ一対十を超えてるぞ? 戦争にさえならない。
砂漠なんかに拘泥せず、もっと豊かな土地に移り住んでチャチャっと数を増やせばいいのに。
うーん。ま、いっか。
この戦いの結果は見えたし、もう気にするほどのこともないだろう。お茶でも飲んで観戦しようか。
そう。もはやこの戦いの勝敗は決した。
銀色の光が周囲を照らしたからだ。
この戦いが始まった直後。
クワイの民にして勇敢なる信徒であり、この土地に赴任してきた修道士ラクリは砦の一室に押し込められていた。この砦は名前さえなく、ただ「関」とだけ呼ばれている砦だ。それでもまとまった数の信徒がいるし、食料などは自給自足しているのだが、ラクリからすればただの田舎の砦に過ぎない。
彼女は敬愛する義理の従姉妹であるティキーから命じられて(彼女としてはそう思っている)この僻地に家の力を使いつつ自分の職分をねじ込んだ。要は遠いところから来たやんごとなき御身分のお嬢様だ。
普通に考えれば戦いになれば真っ先に安全な場所へと避難させるべき人物で、間違っても太刀打ちなどさせてはいけないのだ。だから関の住人はそれを実行しようとした。
が、彼女はそう考えなかった。
彼女からすると、田舎者が自分を侮っている、そう考えた。
こっそりと部屋を抜け出す事は至極当然だったのだろう。ドアを蹴破るのはこっそりと言うにはかなり乱暴な方法だったかもしれないが。
そうして彼女が目にしたものは一方的に蹂躙される味方だった。
輝ける神秘を通さない悪魔に守られた鎧。この世に産み落とされた堕落の一つ、砂漠トカゲ。それが彼女らの敵だ。
凡庸なる信徒なら手も足も出まい。しかしながら真に敬虔なる信徒であり、銀の聖女、王族の娘の知己である自分なら怨敵を討ち果たせると確信しながら走り出す。
しかしそこで一人の少年が血を流しながら倒れこんできた。敬虔なる信徒ならば犠牲など厭わずに汚らわしい魔物を討つべきだったかもしれないが、銀の聖女ならばか弱い少年を守ろうとするだろう。ならば、自分もそうするべきなのだろう。
「大丈夫ですか少年?」
「ぼ、僕は大丈夫です! それよりも、早く砂漠トカゲを倒さないと僕がこの町を、みんなを守るんだ!」
勇敢な言葉に胸を打たれる。田舎者などと侮っていた自分が恥ずかしい。
たとえここが世界の果てであったとしても、輝かんばかりの信仰はここにある。
「ええ。私と一緒に皆を救いましょう!」
二人連れだって走り出す。
禍々しい魔物に正義の剣を振りかざそうとしたその瞬間、銀色が覆う。
「え? これは……? 何?」
誰もが少年のように戸惑っていたがラクリだけは星のように目を輝かせていた。
「安心なさい。あの御方がいるのよ。銀の聖女様がここに来ているのよ!」
クワイの民の間に興奮が広まる。驚くことにこんな辺境にさえ彼女の雷名は轟いていた。
その興奮に押されるように銀色の少女が砦の上に降り立つ。それは確かに神話の一幕のようではあったが、当然ながら敵にとっては悪夢の始まりでしかなかった。
不幸だったのは砂漠トカゲたちが皆自分の腕に自信を持つ猛者だったことだろうか。一目散に逃げるか、他の弱者を狩り続けていれば結果はたいして違わないものの過程は少しだけ違ったことだろう。
石槍を持ち襲いかかる敵を弾き飛ばし、切り飛ばす。弓は届くことなく地に落ち、反撃として銀色の光が煌めくと倒れた死体だけが転がっていた。
まさしく殲滅。ほどなくして砦から戦闘音はなくなった。
静けさを取り戻した砦から轟かんばかりの歓声が響く。
それと共に銀の聖女を賛美し、敬礼を行うものが後を絶たない。アグルやサリからは見慣れた光景だ。
「あの、すみません。ラクリという人はいらっしゃいますか?」
ファティがそう問うと砦中に響かんばかりの声が聞こえた。
「ここにおります聖女様!」
敬礼を行った後、素早くファティの足元に移動し跪いた。
「あ、えと、ラクリさん、お久しぶりです」
「もったいないお言葉です聖女様」
「ええっとお話を聞きたいんですけど、いいですか?」
「いかようにも。私が聞いた全てをお話いたします」
ラクリを連れ立ってそそくさと移動しようとしたその時、少年の声が響いた。
「あ、あの、聖女様! ひとつお聞きしてもよろしいですか?」
周りの大人が少年の無礼を咎めようとしたがそれよりも先にファティが聞き返した。
「何でしょうか?」
「どうすればあなたのようにお強くなれますか」
その言葉は敬虔なる信徒からはあまりにも無礼に聞こえた。
神より与えられた聖なる力は余人の手が届くものではない。
周囲の大人が強引に少年の頭を下げさせる。
「ご無礼をお許しください聖女様。この子には後できつくしつけをしておきます」
「そ、そんな必要はありません。えっと、きっと頑張れば強くなれると思います」
視線をさまよわせ、言葉を選びながら絞り出した。ある種の詭弁であることを薄々自覚してはいたがそれ以外の良い言い方が思い浮かばなかった。
「ありがとうございます聖女様!」
喜びに目を輝かせた少年はたどたどしく敬礼した。
人々の柔らかな視線に見守られ、今度こそファティはこの場を立ち去った。
少年はポーっと熱に浮かされたような表情でファティの足跡を見つめていた。
とはいえいつまでもそうしてるわけにもいかない。
「頑張る……うん、頑張らないと」
「そうだな。聖女様からお声をかけて頂いたのだ。例え男でも魔物との戦いに加わらないとな」
「ええと、それじゃあまず何をすればいいのかな?」
「そうだな……ああ、あそこにちょうどいいのがいるな」
指さされたのは一人の砂漠トカゲだった。
這うのが精一杯ながらもかろうじて生きていた。傷ついた体ながらも逃げ延びようとしている。
「聖女様は仰った。努力せよと。ならば一匹でも多くの魔物を救うべきだろう。あの砂漠トカゲには悪魔が憑りついているに違いない。その悪魔が我らが砂漠トカゲを救おうとするのを妨害しているのだ」
「はい! 頑張って魔物をたくさん救います!」
少年は宝物を見つけたような明るい表情で命が消えかけている砂漠トカゲに向かい、周囲もそれを温かく見守っていた。
このセイノス教において救うとはすなわち魔物の悪石を砕くことにほかならない。
つまり魔物を神秘によって殺しさえすればその魔物は救われてるはず、いや、必ずそうなる。
だからこそ彼女、あるいは彼は想像しない。今まで殺した魔物が自分たちを恨んでいたとは思考の端にさえ載せない。魔物を殺された遺児から恨みを買うなどと考えさえしない。
今まで殺された、否、救われた魔物は楽園で安らかに眠り我々に感謝していると本気で信じている。
「神よ、救世主よ、我らを守り給え」
少年は虫の息の砂漠トカゲに対して白色の剣を振り下ろした。




