203 天然と人工
「食べ物だよ~」
「水ですね」
即答したのが千尋と瑞江だった。
視線を合わせると火花を散らし始めたので止めに入ろう。
「両方大事だよ。優先順位的には水の方が上だけど物によっては食べれば水分をとれるから食事は水を飲むことにもつながるけどな」
何やら二人から不満げな視線を感じるぞ?
え? 玉虫色の回答? 八方美人? 男らしくズバット決めろ?
そんな必要ねえんだよ。実際どっちも重要だしさ。
蟻だけならそこら辺の雑草でも食べられるし、水分も草から補給できるかもしれない。ただし平原を高速で移動するためにはラプトルなども運用することも視野に入れないといけない。結論として食料を持っていく必要がある。
考えることが多いなあ。
「他には家や服が必要ですよね! 私たちにお任せください!」
我らが誇る服飾職人茜が元気いっぱいに応える。
例の豚羊を殺して以降茜は随分明るくなった。やっぱり反抗しようという気概は人に自信を取り戻させてくれる。
ちなみにエミシの物流を支えているのは今のところ豚羊だ。やはり重いものを苦にしない力と、そこら辺の草を食べればいいという外周り向きの性質は何物にも代えがたい。
ちなみに豚羊の護衛としてラプトルがつくことが多い。ただこの二種の魔物はどうにも相性が良くない。最初は組ませることに抵抗があったけど、そこは逆に考えた。
組ませるのではなく、お互いに監視し合えばいい。
その発想は意外にあっさり受け入れられた。今では微笑みながらお互いのサボタージュを密告しようと目を輝かせているらしい。まあ実際にサボった奴はめったにいないけどな。
「テントはできそうか?」
「鋭意製作中です! もう少し時間を頂ければできるはずです!」
こういうこともあろうかと豚羊の魔法と毛を利用して組み立て式のテント、モンゴルのゲルみたいなのを制作中だ。
はきはきと答える茜とは違い疑問を口に出したのは七海だ。
七海は寧々などよりも、実際に現場に出て新しく巣を作る、という作業が得意らしい。
「もしも気温の差が激しいなら地下に巣を作ればいいんじゃ?」
ふむ。確かにそれはその通りだ。地下なら地上よりも寒暖差が激しくない。穴掘りが得意なオレたちにとっては地下というのは選択肢の一つではある。
「それはありだけどな。でも高原には水が少ない。この辺りみたいに植物や水を簡単には補給できないからある程度移動し続ける必要があるんだ。だから移動式の住居が必要なんだよ」
「なるほど。考えが足らなかった」
「ん。いいよ。色々考えてるのはわかるし、水なんかを補給できる状況だったら地下に巣を作るのもいいかもしれない。海老たちと協力すれば井戸を掘るのもいいしな」
向こうの技術力にもよるけど海老のように水を探知できる魔物がいないなら水を確保できる井戸は極めて貴重なはず。
「もしも水があれば農業を行えますね」
う。あー、そうなんだけどなあ。農業ができるのはオレたちにとって他の魔物にはない強みだ。
これだけ迅速に国を拡大できたのも農作物を効率的に栽培できたからだ。だからこそ高原でも同じように農地を拡大できれば莫大な利益を上げることができるのは間違いない。
もしもできれば、だ。
「農業についてはかなり慎重にしないといけないんだよなあ。こことは環境が違いすぎる」
「それは天候についてですか?」
「それもあるよ寧々。他にも土の質とかだな」
寧々はとにかく学者肌だ。
こいつの実験で様々な食品、道具などが作られた。そろそろ実験を行う蟻や、道具などの新しい物を作る開発班に分けようかと思っている。
「土の質が悪ければ改善すればよいのではないですか?」
「それは違うぞ。土の質に本来的には良いも悪いもないんだ。農業における土の質の改良は農業に向いている土に変えることであって土をよくするわけじゃない。そこをわかってないと後でしっぺ返しを食らうことになる」
「具体的にはどうなるのですか?」
「本来その土地では育ちにくいはずの植物が増えて環境が変わる。正直最終的にどうなるのかはオレにわからない。最悪砂漠化するかもな」
「……? 土地を豊かにしているのに砂漠になるのですか?」
「なるんだよ。色々ややこしいけど環境っていうのはものすごく絶妙なバランスで成り立ってるんだ。農業をするっていうのは結局のところ自分たちにとって都合よく土地を変えることだからな。そのバランスが一気に崩れるかもしれない。特にオレたちの農業は基本的に水が豊富にあるこの地域の農業だ。環境が大きく違う高原では勝手が違いすぎる」
例えば特定の植物だけが大量に生育した結果動物がその土地に大量に押しや寄せて土を踏み固めてしまったせいで植物が生えなくなるとかだ。
いわゆる過放牧という現象の一つで、モンゴルあたりだと問題になっていたはず。
さらにモンゴルでは草原を農地に転用しようとしたけど社会体制の変化で農地を放棄してその土地に、たしかヨモギが大量に群生して花粉を大量にばらまき花粉症になる人が増えているだとか聞いたことがある。
自業自得で済ませていい状況じゃない。
「本当にそのようなことが……?」
「起きる。少なくともその可能性を消すことはできない」
断言する。しなくてはいけない。
環境はちょっとしたことで変わる。さらに動植物はちょっとしたことで絶滅してしまう。それが取り返しのつかない事態を招くのか招かないのかは多分誰にもわからない。それこそ全知全能の神でもいない限りは。
オレだって全部理解しているわけじゃないけど理解できる範囲で最善の手は打っておきたい。
少なくとも家畜に害のあるオオカミを殺したせいで鹿が大量に繁殖して辺り一面はげ山になるなんて馬鹿な真似は避けないと。
「いい機会だから言っておくけどな。オレが子供の数を調整していることに対していい思いをしてない奴もいると思う。子供が増えたならもっと食い物を増産すればいいと言うやつもいると思う。でもそんな簡単にはいかない。いきなり農地を増やせば何が起こるのかはオレにもわからない」
何しろ魔物は成長が早い。その魔物を農作物として扱っている以上土地が荒れる危険は地球よりも大きい。
「最悪なのは土地が痩せたり、塩類集積によって作物が育たなくなって子供に食わせる物がなくなることだ。それだけは避けないといけない」
お前なんか産むんじゃなかったなんてごくごくありふれた親の罵詈雑言を自分自身が言いたくはないし、わざわざ産んでから殺すなんて効率が悪すぎる。
「……それは子供らを危険な戦地に赴かせることとは違うというのですか?」
瑞江に険のある視線を送る奴が何人かいるがそれは無視する。
「ああ。敵と戦って死なせるのはしょうがない。でも食わせる物がなくなるのは努力によって避けられる事柄だ。……まあ努力で必ず避けられるとも限らないけどな。何か不満はあるか?」
「いいえ。王のご随意に」
翼の言葉に異を唱える奴はいない。ま、納得はしてくれたかな?
「ではこの高原を支配するという意図はないのですね?」
寧々が若干ずれた話の軌道修正を行い始めた。
「そうだな。基本的にオレたちはこの地域の住人だ。全員で移り住む気はない。あくまでも硫黄が採れる山とここを繋ぐ道として機能してくれればそれでいい」
「その硫黄が我々には必要なのですね?」
「そうだ。硫黄を大量に確保できればラーテルの時に使った爆弾を大量に作るための条件が一つそろう」
あの爆弾の威力は全員が身をもって知っている。あれのためなら多少の血は許容できるほどにラーテルは強敵だった。この世界のどこかにラーテルさえ上回る魔物がいないとも限らないのだし。
「じゃあ高原に住んでいる魔物ともそうやって交渉するの~?」
「そういうこと。がっつり争ったり協力し合うんじゃなくてお互い無視する程度の関係性で充分だ」
恐らくこの高原の魔物ならそれができる。その根拠はある。
「じゃあそろそろどんな魔物がいるかを詳しく説明していくぞ」




