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180 双対

 夜は長くなりそうだ。

 聖女様がいなくなったという報告を受けてまず最初に浮かんだ感想がそれだった。

「何故いなくなったのだ? 聖女様の傍に控えていた者はどうなった?」

「サリ様はお休み中でした。他の方々はある方に下がるように命じられていたそうです」

 どう考えてもある方とやらが下手人だろう。

「ある方とやらは誰だ?」

「それが……ファティ様、ファティ・ニュエル様です」

 その名を聞いて驚いた。銀髪と同じ名前だったからではない。クワイにおいてファティという名は石を投げればファティに当たるなどと呼ばれるほどごくごくありふれている。問題はニュエルだ。その名はスーサンにおいて、いやクワイのほとんどで知らぬ者のない現在存命の数少ない熊狩りの名だった。

 一応アグルも熊狩りではあるのだが、数十年前に熊狩りとなって以降スーサンの前線で戦い続けてきたニュエルの名はそもそも格が違う。まさしく英雄と呼ばれる存在であり、聖人に列席されることさえ検討されたことがあるらしい。ただの偶然であるはずなどない。そして同時にアグルからも口出ししづらい人物だ。

(くそ、あのガキ、また何かよからぬ策謀に巻き込まれたのか!? 頭の足りん奴め!)

「それで銀の聖女様はどこに行かれたのだ!?」

「例の監視目的として兵を配置している村に向かわれたそうです」

 だろうな! あまりにも納得のいく行先に頭痛しか感じない。手遅れになる前に素早く連れ戻さなければ。

 が、それさえも暢気すぎる思考だとすぐに気づくことになる。


「お待ちくださいサリ様!」

 大声がした方向を見ると馬上にはサリがいた。嫌な予感を振り払いつつ彼女の顔を見る。

「待ってなどいられません! 今すぐにでも聖女様を追わなければ!」

(アホが! その口を今すぐ閉じろ!)

 その言葉を続けさせると取り返しのつかない事態になる。

 大股でずんずんとサリの近くへ進む。しかし全ては遅かった。

「その通りですサリ様!」

 またしても別の声がした方向に顔を向けると一人の老婆が凛とした姿勢で立っていた。

 誰かなど考えるまでもない。こいつがファティ・ニュエルだ。

「聖女様は私の頼みを聞き入れくださりました! 決して信徒を見捨てぬと! 今すぐにでも熊と戦うと! それに比べてあなた方はどうですか!騎士団はすでに集まっているにも拘わらずいつまでもこの場にとどまっているばかり! 騎士団とは名ばかりの臆病者ばかりですか!?」

 なるほど。ここまで聞けばニュエルの策はわかる。銀髪を煽って無理矢理出撃させ、さらに騎士団を熊と戦わせてスーサン領の安寧を図る……それも策の一つではあるのだろう。

 だがその本音は違う。

 銀髪を正しく導いたという実績が欲しいのだ。一室に押し込められていた銀の聖女を解き放ち、正しき戦いに導いた人物と周囲に見なされたい。もしかしたらこっそり銀髪を逃がしてただ騎士団にだけ戦わせるという計画すら用意しているかもしれない。

 恐らくはこいつも銀髪を欲している女の一人。ルファイ家の目が届かないスーサンならことを上手く運ぶ自信があるのかもしれない。それともあえてここへいざなったのか。少し頭を働かせればそんなことはわかる。しかし衆愚とはそもそも頭を働かせようとしない。


「そのようなことはありません! 我らは決して熊を恐れなどしません!」

「無論です! 今すぐにでもここを発ちたいと思っております!」

 脳無しどもが。

 アグルは心の中で吐き捨てる。愚か者はいつもそうだ。いかにも華々しく、夢見がちな論理に惹かれてしまう。その危険性など考えずに、大した根拠もなく自分たちは勝てるのだと思い込んでしまう。戦いとは本来危険を避け、堅実に、着実に事を進めるべきなのだ。そんなこともわからずに口先だけの調子のいい言葉に乗せられる無能のなんと多いことか。

 ……かくいうアグル自身も口先で村人を戦いに向かわせたことがあるのだが、それとこれとは話が違うらしい。

(……だが、この状況に持ち込まれてしまえばもはや流れに逆らうことはできんか)

 もうここから群衆を落ち着かせることは困難だ。このまま熊に向かって進軍することになるだろう。故に、ここは少しでも自身の評価を上げるように振舞わなくてはならない。


「失礼いたします! 銀の聖女様の同郷のアグルと申します! 熊狩りのファティ・ニュエル様とお見受けしましたがいかがでしょうか!」

「あなたがトゥーハ村の熊狩りのアグル殿ですか? その通りです。私がファティ・ニュエルと申します。何か御用でしょうか?」

「私は慎重になるあまりここに留まるように皆に進言していました! しかしながら貴女様の御言葉により目が覚めました! 団長であるカンツ様の許可がいただければ、いえ、頂けずとも今すぐ聖女様のご助力に向かいたいと思います!」

 アグルの言葉に喝さいが轟く。我も我もと賛同する声が続く。

 そこに数十人の騎士団員と聖旗を持ったカンツが現れた。その心は読めないが、にがにがしくは感じているだろう。

 ばさりと旗を振る。

「勇敢なる騎士団員にして神の信徒よ! 出陣の時は来た! 直ちに準備を整え出立する!」

 歓声が大地を揺るがす。こうして唐突に騎士団の出陣は決まった。熱に浮かされるように、慌ただしく。




 ファティはまたしても駕籠に揺られていた。老婆の手配によりこっそり町を抜け出し、彼女の手配した駕籠によって最前線である村に向かっていた。冷静に考えればあまりにも手際が良すぎると感じるかもしれないが、彼女にはそれを気にする余裕はなかった。今の彼女の思考を占めていたのは老婆の昆孫がいる村を心配する気持ちだけだった。

 だがその心は踏みにじられた。


 宵闇に地の果てまで届かんばかりの咆哮が轟いた。


「っ!」

 あの声は聞き覚えがある。間違いない。あの時と同じ、熊だ。外の駕籠者からも不安と恐怖から足を止める。しかしその時、風切り音が聞こえた。

「があああ!」

「どうかしましたか!?」

 叫びと、何か液体が飛び散る音がする。思わず外に飛び出すと巨大なカマキリが鎌を振り上げていた。

 とっさに<光盾>をかざし、鎌を遮る。それでも退く様子を見せないカマキリを<光剣>によって両断する。

「聖女様! 申し訳ありません……聖女様にお見苦しい所をお見せしました」

「そんなことは構いません。それよりも早くその人の手当てを!」

 敬礼しそうになった駕籠者を制止する。

「は」

「あなたたちはここにいてください。ここからは私が歩きます」

「いけません聖女様。私どもはあの方から貴女様を任されております! それに熊は悪魔から与えられた邪法により数多の魔物を従えると聖典に書かれております! 聖女様! お待ちを!」

 駕籠者の声を振り切って森に身を躍らせる。明かりが見えるからあそこに村があるのだろう。

 先ほどの駕籠者の言葉は間違っていなかったのだろう。明らかに魔物の数が多い。不意を打たれることも多かったが自分が<光盾>を出そうとするよりも早く自分の体に鎧のような盾が出現していた。

 どうやら自分には攻撃に反応して自動で防御する能力が備わっているらしい。これも神から与えられた力だろうか。

「周りの人は守ってくれないのに……」

 そう、この力はあくまで自分の身しか守ってくれない。せめて近くにいる人だけでも守って欲しい。だが現実は逡巡する間を与えてはくれない。

 もう嗅ぎ慣れてしまった臭い……血の匂いが近づいてきた。


 妙に明るいと思えば松明の灯りではない。家が燃えている。恐らくは松明の火が家に燃え移ったのだろう。幸か不幸か周りの家が踏みつぶされているせいで燃え広がりはしないかもしれない。

 もはや廃村になってしまった村に佇む一匹の巨大な獣。炎に照らされた顔は赤く染まっていた。

 否。それは炎のせいではない。黒い顔が赤く見えるほどに血を吸っている。

 体中の血液が沸騰したような感覚に襲われる。

 一体どれほどの人を殺せばこんなことになるのか。この魔物を許してはいけない。絶対に。


「まずこの熊を村から出さないと!」

 この村はもうすでに壊滅していしまったとはいえ生き残りがいないとは限らない。そうでなくてもこのまま戦って骸を傷つけてしまうのは忍びない。

 ゆっくりと迫る熊に対して<盾>を張る。熊はそれでも爪を振るい、盾を壊そうとする。

「壊させない!」

 一撃を防ぐ。そればかりか盾を前方に押し出し強引に弾き飛ばす。

 あまりの衝撃に熊もひるむがバランスを崩さず、反撃できる体勢に構えなおす。まだお互い戦いは始まったばかりでしかないことはわかっている。

(大丈夫、戦える)

 巨大な敵を前にして恐怖がないわけではない。一度目の熊との戦いは興奮していたせいかあまり記憶に残っていない。それ以上に記憶に残っているのは去年戦った蟻の王だ。あの全てを殺しつくそうとする殺意。アレに比べれば怖くはない。誰かが言っていた。真の悪とは強さではなく、その心にこそ宿ると。

 立ち竦むわけにはいかない。

 熊と相対し、睨みあっていると熊はクルリと背を向けファティから遠ざかり始めた。

「っ! 逃がさない!」

 ファティは追いかけるが何しろ普通より体力はあるとはいえ小柄な少女の足だ。巨体の熊に追いつけるわけはない。しかしそれでも追いかける。

 だが彼女の予想は誤りだった。熊は逃げようとしたのではない。確実に勝つ方策を練っていたのだ。




「進め! 雑魚に構うな! 一刻も早く聖女様のもとへ馳せ参じるのだ!」

 騎士団はありとあらゆる方法で駆けていた。ある者は馬に乗り、ある者は足自慢の駕籠者の駕籠に乗り、それらの移動手段がなければ走り抜けていた。

 しかし熊の邪智はそれさえも予想していたのか騎士団は数多の魔物と戦うことになった。

 カンツの言葉の通り、なるべく無視しようとしたが数が多すぎる。やむを得ず一部の兵を残し、足止めとして魔物と戦わせている。それも一本化した指揮のもとで行った用兵ではないので無駄が多い。それならまだいいが、明らかに魔物の実力からすると足りない数の兵が足止めとして残っていることも多い。


(くそ、銀髪め。あの考えなしのガキめ。本来ならばここまで無駄に兵を死なせなくて良かったものの)

 あの村に留まっていた兵は犠牲になるがそれだけだ。確実に定まった数が死ぬがそれ以上の犠牲は最小限にとどまった可能性がある。

 計算できない戦況が指揮官にとって最悪の状況なのだ。

(だが銀髪をここで失うわけにはいかないのも事実。申し訳ないが彼らには犠牲になってもらうとしよう)

 そこで咆哮が轟いた。

「熊の吠え声だ!」

 スーサンには熊と戦った経験がある者も多く、中には前回の熊との戦いを覚えている信徒もいるはずだ。アグルの隣を走っていた兵はすぐにその声を特定してみせた。

「近いぞ! 急げ!」

 その声につられたわけでもないだろうに、またしても咆哮が轟く。

(妙に叫ぶな。銀髪と戦っているのか?)

 だが、その声を聞いた隣の女は全身が汗まみれにもかかわらず顔を青くした。

「どうかしたのか?」

「お、お前にはわからないのか?」

 お前呼ばわりされたくはないが隣の女の様子は尋常ではない。

「わからん! 何故そんなに青ざめている!?」

「ち、違う」

「だから何がだ!?」

「違う! さっきの声と、今の声は違う! 熊は、二体いる!」

 これにはアグルでさえも目を見張り、身を固くした。

(くそ、銀髪! 死ぬなよ! お前にはもっと役に立ってもらわなければ困るんだ)

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うちの猫は液体です 新作です。時間があれば読んでみてください。
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