177 メタボリック
駕籠の周りには熊を討伐するために集められた騎士団員が駕籠を守るように歩いている。穢れた魔物からいと貴き聖女を守るため……とは称しているものの実際には銀の聖女を一目見ようとする信徒が群がってくることが多いため壁として人を配置せざるをえないのだ。
村や町中ならともかくごく普通の街道にさえ人だかりができるのは神の愛がこの世界の隅々にまで満ち溢れている証拠だろう。
当然ながら聖女様を俗世の空気に触れさせるわけにはいかないので絶対に駕籠の御簾を開けさせるわけにはいかないのだ。それは人々もわかっているはずなのだが……無理に御簾を覗こうとした村人もいたほどだ。
それゆえ対策として人の壁を作り、誰も駕籠に近づけないようにした。しかしながら遠ざかればより気になるのが人情というもの。好奇心をくすぐられた人々の視線を集めたのは必然的に銀の聖女に仕えていると思われる一人の女性だった。
「サリ様。銀の聖女様の神秘はいかなる輝きなのでしょうか」
「その光は夜の闇を切り裂くかのごとき輝きです」
おお! どよめきがその場に広がりますますその場の視線はサリにくぎ付けになった。
「サリ様は聖女様の教育係にして聖女様の盟友であらせられるとか」
「ええ。彼女のことは産まれた時から知っています」
またしてもざわめきが大きくなる。
羨望の眼差しを一身に受け、流れる水のようにファティとの思い出を語りだす。結果的に銀の聖女の人柄を広めることに貢献したのはサリだろう。もちろん噂には尾ひれ背びれがいが栗の棘よりも多くついているので彼女の本当の人柄を察する者など皆無に等しかったが人物像などとは大概がそのようなものだろう。
今回の騎士団は教皇が教都からスーサンへと派遣した騎士団であり厳密な意味合いでの騎士団のトップは教皇になる。とはいえいちいち教都から指示を出すわけにもいかないので実質的な責任者は騎士団の団長であるカンツになる。その下に様々な役職があり、アグルもそのうちの一人で、主には食料の配給や管理を担当していた。
そしてアグルはある騎士団員を前に怒りを隠せないでいた。
「あなたは自分が何をしたのかわかっているのか?」
険のある表情で騎士団員を問い詰める。内心では表情以上の怒りが渦巻いていた
少なくともアグルの価値基準からしてみればこれは十分な違反行為だった。
「……」
にも拘わらず目の前の女は不満そうに口を閉ざしたままだ。
アグルが目撃した彼女の行為は特にアグルにとっては不愉快だった。行軍中にあろうことか糧食の一部を道端に投げ捨てたのだ。思わず我が目を疑ったが残念なことに錯覚でも幻覚でもなかった。
補給と兵站を預かる身としては一粒の米でさえ無駄にしてはならないのに一兵卒が食料を丸々捨てるのを見て黙っていられるはずもなかった。仮に役職とは全く関係なかったとしても農村の住人として見過ごせない。一粒の米を作るのにどれだけ心を砕いていると思っているのだ。
すぐさま詰問したもののアグルの顔を見るや否やぶすっとした表情を動かさない。
逗留中の村の一室まで連れてきたが一向に態度を改めようとしない。
「何か理由があるなら話してくれればいい。正直に言えば私もこのようなことはしたくない」
それでも無言のままだ。いい加減に焦れてきたアグルが再び口を開こうとしたその時、部屋の扉が開け放たれた。
「「カンツ様!」」
アグルと女性騎士団員はすぐに敬礼を行おうとするがカンツに制止された。
「敬礼をする必要はありません。私はあくまでも個人的に仲裁に来ただけです」
個人的に。つまりは騎士団長としてここに来たわけではないということか。
「アグル殿。まずはことのあらましを説明して頂けますか?」
「は」
アグルはかいつまんで事情を説明する。その間も二人の顔色を窺っているが変化は見られなかった。
「なるほど。お話は分かりました。貴女は何故荷物を捨てたのですか?」
「それは……」
団員はカンツに問われると初めて口を開いた。ばつが悪そうに言い淀んでいる。
ここでアグルはようやくこの女が自分に口を開かなかった理由に思い至った。何ということはない。単純にアグルが男だからだ。何故上司とはいえ男に自分が叱責されなければならないのか納得がいっていないのだ。何という幼稚さ。
しかし糧食を捨てた理由はさらに幼稚だった。
「荷物が……重かったのでいらないと思いました」
(……は?)
あまりと言えばあまりの理由に心の中で絶句する。言い訳か嘘ならまだよかったかもしれないがそんな風には見えない。どうやら本気らしい。悪魔が憑りついたわけでも毒を飲んだわけでもない。正気でこんなふざけたことを言っている。
「なるほど。重荷は私たちの枷になります。ですが聖人メイクァー様は病人を背負ったまま山を二つ超えたと言われています。あなたも母に恥じない信徒になりたいのであれば苦役を厭うてはならないでしょう」
「申し訳ございませんカンツ様」
先ほどまでの仏頂面が嘘のように沈痛な面持ちで謝罪する女。どうやらこの二人は顔見知りだったらしい。
「ではこれからはこのようなことはしないと誓いますね?」
「はい。我らが神と救世主に誓って」
それよりもまず俺に謝罪しろ。そう思ったがもちろん口には出さなかった。
結局それ以上は叱責せずに女は部屋から出ていった。
「カンツ様。お口添えいただき感謝いたします」
「これも騎士団長の務めですので。アグル殿もあまり彼女を責めないでください。彼女の母は高名な司祭なのです。経験さえ積めば神の愛を理解できるでしょう」
アグルは心中で鼻白む。
母親がどうした。騎士団の一員として行動しているのであればそんなことは関係ない。規律とはできうる限り厳格に維持されなければならない。一人違反者を見逃せばそれに倣う誰かが十人現れる。規律とはそう言うものだ。
カンツも知り合いが男にいじめられていると聞いていても経ってもいられなくなったのだろう。身内に甘いにも程がある。聞く耳があるだけティマチよりもましではあるが。
これがこの国の現状だ。既得権益を持った無能どもが幅を利かせ、お互いを庇いあっている。神と救世主がこれをご覧になれば嘆くに違いない。
しかし本音とは全く別の言葉を発する。
「その通りです。カンツ様。ですがこの問題はできる限り速やかに対処しなければならない問題です」
「ええ。わかっております。我々の食料事情は早急に改善しませんと。これほどとは思っていませんでした」
現在この騎士団では食料に関してある問題を抱えていた。食料が足りない……のではない。その逆。食料が多すぎて余っている。
古今東西の名将からすると歯ぎしりしながら羨みそうな問題がなぜ騎士団を苦しめているのか。
理由は実に単純。熊を討伐する騎士団であること知った周辺の村々から食料が送られてくるのだ。とくに銀の聖女が同行していることを聞くと山と積めるほどの糧食が送られてくる。
最初の内は呑気に喜んでいたが量が量だ。食べきれなくなり、やがては運びきれず一兵卒に大量の食料を預けることになってしまったことも今回の原因の一つだ。
とはいえまさか信徒からの贈り物で神の恵みである食料を打ち捨てる愚か者がいるとは予想していなかったが。
口ぶりから察するとカンツにとっても予想外だったらしい。ただ、普段から食料の徴発はしているらしい。
逆を言えば去年の騎士団であれほど食料が足りなかったのは恣意的な行為だということだが、今更それがわかったところでどうということでもない。
「カンツ様。ひとまずはこの村から人足を募って食料を運ばせましょう」
「それがいいでしょう。この先の村々に文を送りあらかじめ徴発する食料を決めておきましょう」
「かしこまりました」
二人は部屋を出た。一度決めたのならすぐさま行動にとりかかれるのは長所と言ってよいだろう。
(食料を徴発、か)
カンツはごく自然にそう言った。それが当然だと思っているし、断られるとは想像もしていない。事実そうだろう。まず断らない。誰もが楽園へ旅立つためなら出費を惜しもうとは思わない。
だがよく考えればわかることだ。そこら辺の農村にそんな貯えがあるはずないのだ。その食料は本来村民が今日を、明日を、来年を生きるための糧になるはずだったのだ。それを騎士団に渡してしまえばどうなるのか多少の想像力があればわかるはずなのだ。
だがしかし、例えそうなったとしても騎士団に、教都に、教皇に我が身を捧げることの方がはるかに重要なのだ。そしてその状況に上の連中は慣れ切っている。
あのくだらない奴らの為に清貧な信徒が身を砕いていいものか。
「いいはずがない」
独白は誰にも聞こえない。
「ルファイ家も、教皇も、貴族も今に見ていろ。必ずお前たちを引きずりおろし、真に平等な世の中を作ってみせる」
久しぶりに見たラグビーワールドカップが面白かったのでラグビー?の短編小説を投稿しました。