174 喜望峰の角に
「紫水。こちらにも発見したぞ」
「ご苦労様。もうちょっと探してみてくれるか?」
「うむ」
謎生物改めクマムシが生きていたことが気に入らないのかやや機嫌が悪い千尋だが仕事はきちんとこなしてくれる。
マストらしき物を発見した場所を重点的に探すと他にも船の部品らしき構造物や腐った食料品や海藻らしきものが詰まった樽を見つけた。
食料品はともかく海藻は何に使うつもりだったんだ? 食うのか? それとも出汁でもとる気だったのか? 水をかけるとまた生命活動を開始したのでとりあえず調べてみようと思う。どうもこれも魔物みたいだし何か役に立つかもしれない。
これらはどれも見つかりにくいように隠されていた形跡があるし、タンニンか何かの防腐剤を使って加工しているようでもある。
少なくとも昨日今日船を作り出した奴らの仕事じゃない。
調べるうちに疑念は否応にも増してきた。なんでこんなところに船があるんだ?
こういう時はいつ、どこで、誰が、何故、どのように、をはっきりさせた方がいいかな。
いつかははっきりとはわからない。周囲の状況や木の劣化具合から十年は経っていてもおかしくないけど百年は経っていないかもしれない。流石に千年前ではないはずだ。つまりエルフがこの船に乗ってここにやってきた可能性は低い。奴らは千年前にここに来たはずだ。
どこで。木の種類を見る限りそれほど特異な何かは見当たらない。しかしマストの大きさからかなり大きい船だということは予想できる。多分外洋に出るための船だ。この国の漁業がどんなものかわからないけど少なくともこの辺りに漁村は見当たらない。プレデターXや魔法を無効化できるクマムシを恐れていれば当然だ。そうなるとこの国の造船技術は高くなさそうだ。
少なくともサージはこの海の向こうに何があるかということを考えたことさえないようだった。つまり、この国の外で造られた船……? 誰がという疑問に答えたも同然だな。そもそもクワイの連中がこの船を造ったならわざわざ隠す必要がない。
何故、どのように。……ここからはほぼ推測、いや妄想だ。
まず何らかの目的をもって外国人がここに来た。あるいは流れ着いてきた。そいつらはそれなりに高い造船技術を持っていたけど座礁してしまった船を修理することはできなかった。その船をこの国のヒトモドキなどに見せるわけにはいかなかったので隠すことにした。燃やさなかったのは帰る望みをほんの少しだけ信じていたからか。しかし残念ながら希望は潰え、乗組員たちは全滅してしまった。
そして最大の疑問、ここに来た目的は何なのか?
地球で最も帆船での航海が好まれたのは多分大航海時代だ。
新発見という名の大義名分を以て放埓の限りが尽くされた時代。その最たる人物がコロンブスだろうね。彼は敬虔なクリスチャンだったらしいけど、彼の行為をお認めになるとはいやはや神というのは存外懐が深い。
ま、それはともかく外洋を渡航するのは中世の技術力では極めて困難だ。船が沈没したり、資金繰りに困ることは珍しくなかったらしい。ましてや魔物がいるこの世界ではその難易度は跳ね上がる。
そんな苦労をしょい込んでまで何故ここに来たか。
ただここで明らかに船を隠匿しているのが気にかかる。例えば海賊よろしく無法者ならそんなことは気にするはずがない。大航海時代の一獲千金を夢見る船乗りの思考とも一致しない。
わざわざ船を隠すという行為には強い意志を感じる。暗殺者の懐に忍ばされたナイフのように、草むらに潜む蛇のように、カレーにこっそり含まれる隠し味のように。
伸るか反るかの大博打を打たずに確実に任務を遂行しようとする冷たくて固い意志。
もう結論を言おう。こいつらこの国、いや大陸を征服するための偵察だったんじゃないか?
エルフはどこかから来たはずだ。それがこの船の持ち主の先祖との競争に負けた結果で、そしてそいつらが順調に文明を発展させて新たな獲物を虎視眈々と狙っていたとしたら?
わ、笑えない。ただでさえ銀髪という目下最大の脅威がいるところになんでそんな奴が現れるんだ。
「のう」
何とか海洋魔物の攻撃をかいくぐれる連中だぞ? 弱いわけないじゃん。やっべえ。幸いまだ帆船を作れる程度の文明だ。まだ十分追い付ける、追い抜ける。
「のう、紫水よ」
そのためには早めに文明を進めないと。
「聞いておるのか!」
「え!? あ、ごめん聞いてなかった」
いかん。集中していて千尋に話しかけられていることに気付かなかった。
「そんなにあの柱が見つかったことが気にかかるか」
「まあな。アレがあるってことはもっと進んだ文明を持った奴がいるかもしれないことの証明だからな。それで何かあったのか?」
「うむ。今度はこのようなものが見つかったぞ?」
そう言って千尋は手を、いや糸を開く。そこには黄緑色のドロっとしたものが付着した黒っぽい石のようなものがスーパーの袋に詰められたジャガイモくらいには大量にあった。ぱっと見た所では何の変哲もない石だ。
が、次の言葉に今日何度目なのかわからない驚愕が襲った。
「これは貴様が言っておった金属ではないのか?」
「な」
オレが絶句して固まっている間に千尋は石ではなく金属をぶつけるとカンッと心地いい音が響いた。
そしてその金属同士が惹かれ合うようにくっついた。つまり磁力がある。
「き、金属だあ!? え、まじで!? どこで見つけたんだ!?」
「そこの川で拾ったようだのう」
「よっしゃ! その川を重点的に探すぞ! と、その前にこいつが何かを特定しないと」
が、それは意外な形であっさり判明した。
金属に付着していたものもついでに調べるために加熱するとすぐに変化があった。
「このドロッとしたものは硫化鉄(Ⅲ)か? ちょっと熱したらすぐに酸化鉄らしき金属と硫黄に分解されたし」
硫化鉄(Ⅱ)と硫化鉄(Ⅲ)は全く別の物質だ。化学式はそれぞれ、硫化鉄(Ⅱ)がFeS、硫化鉄(Ⅲ)がFe2S3だっけ。
ちなみに硫黄かどうかは炎色反応が青だったので確率は高い。
やっほい! 硫黄と鉄だ! ふははは! あーはははははっは。すげえなおい! もしもこれが大量に産出されたら一気に文明が進むぞ!
磁力もあるから発電だって不可能じゃない! 流石に磁力が弱すぎるけど……いやないよりましだ。
「何としてでも見つけろ! とにかく探せ! 応援を送るからちょっと待ってろ!」
海に辿り着いて一日。これ以上ないほどの収穫があったけどこれなら十分期待できる。不安も増えたのがいただけないけどな!
賢明なる皆様方ならおわかりだろう。この明らかな違和感に。
実は硫化鉄(Ⅲ)という物質はほとんど天然に存在しない。何故なら極めて不安定な物質で容易に酸化鉄と硫黄に分解されるから。つまりこれらの物質はついさっきなぜかそこに置かれたということ。
その違和感に気付かなかったのはあまりにも舞い上がっていたからに他ならない。
この硫化鉄は自然に採掘できないために、誰かが作り出したはずの物質で、これを持っていた何者かはここを先ほど通っただけですでに離れてしまっていた。
だからこれ以上ここを探しても何か見つかるはずはなかったのだ。