171 海腹川背
目の前に広がる濃い青が、その向こうに白みがかった青と交わっている。
ここは海。改めてみると、やはり海は広い。そして太陽がまぶしい。この季節ならもう体は汗ばむ。ま、オレ自身は巣穴でごろごろしてるわけだけど。
ようやくここまできた。森の探索やらなんやらで予定が遅れてしまった。広い海をみるとやはり感慨深い。
もちろん海水浴や潮干狩りなどの遊びに来たわけじゃない。あ、いや潮干狩りはするけどね。貝欲しい。食べ物としてもだけど貝殻は結構利用価値が高い。海で採れる塩と合わせれば前やったアンモニアソーダ法でソーダや重曹が作れる。
それらと今ある大豆などから搾った油を組み合わせれば石鹸が作れる。魔物は割と体が丈夫だし、蟻はきれい好きだからそこまで衛生環境に気をつかわなくてもいいけど持っておいて損はないはずだ。腐るもんでもないしね。
「おーしそれじゃあ予定通りこの付近に巣を設営。そののち塩や貝殻の採取を開始。ただし未知の魔物が見つかった場合作業を中断してもいい。千尋、女王蟻をつけておくから他の魔物にも指示を出してくれ。……つまみ食いはほどほどにな」
「うん。いいよ~。貝とか魚もたまには美味しいね~」
花より団子と言わんばかりにがつがつ海の幸を食べる千尋。さっきまで海水の塩辛さに目を白黒させていたのが嘘のような現金さだ。こいつ最近は通訳は必要だけど蜘蛛以外の指示も出してくれるようになったから前線指揮官としてはかなり優秀なんだよなあ。
海の目玉はやはり塩。発酵製品がかなり充実してきたので大量の塩を必要とする。保存食全般に必要だし塩はいくらあっても足りない。魚も取りたいけど魔物が怖いからなあ。ハイギョみたいにでかい魔物がいる可能性は高い。後は海藻の類だ。昆布があれば出汁がとれるし、天草とかがあれば寒天を作って実験に役立てたい。
さあそれじゃあ塩の取り方だ。
いわゆる天日塩というのはざっくり言うと海水を干して塩分の高い砂を更に煮詰めて塩をとる。しかしオレたちはそんな面倒なことをしない。何しろこっちには海老の<水操作>がある。あれにはイオン交換のように水に溶けている物質と水を分けることができる。
確か海水から塩をとる方法は五十年くらい前からだったっけ。つまりこの時点で恐らく数百年分のアドバンテージがある。
というわけで塩とりはほぼ海老の独壇場。あっという間に数kgの塩の出来上がり! ついでににがりもゲット! 豆腐作れるぞ! まあ今までで作れたんだけどにがりは余剰品だからこの方が経済的だ。
ふはははは、ゲホっげほ。笑いすぎてむせるなよ。今日は瑞江に美味いもんを食わせてやろう。
魔法ってうまく利用するとものすごい産業的に利用できるな。上手く潮の満ち引きとかを利用すればもっと……あ、でもこの世界って月が地球よりも小さいから潮の満ち引きが小さい可能性もあるかな。
とはいえこれだけでも海に来たかいがある……だというのに邪魔が入る。
「紫水、やっぱり何かきたよ~」
「まあそうだよな。何の妨害もなしなんてありえないか。さあ、どんな奴だ? ワニ? 魚? 恐竜? いっそのことイルカが攻めてくるか? お前を消す方法くらい考えてるぞ」
「何なのかはよくわかんないよ~?」
まじで? オレたち結構戦ってきたと思うんだけど形容すらできないのか?
ふむ。近くの蟻と感覚共有。
…………まじで何こいつ。
いや、ほんとなに?
えーっと、足のある芋虫? あるいは豚とカバを足して上にアルミホイルをしわしわにして被せた生き物? 大きさはヤシガニより一回りか二回り小さいくらい。魔物としてもでかい部類に入るかな。触角みたいなものが足と顔の周りにあるから純粋な哺乳類じゃないのは確かかな。でもどっかで見たことはあるような気はするかなあ。
うーん。
考えている間にもそいつらはのそりのそりと海から砂浜に上がってくる。全部で五匹。どうも水陸両用生物みたいだな。陸上での動きは鈍そうだ。まあ、倒せそうではあるか。
問題は魔法だ。
こいつの魔法の詳細がわからないと迂闊に攻撃は仕掛けたくない。けど面倒なことにこちらに向かってきている。
それとこいつも探知能力が効かない。水中にいたからじゃなく、地上でもわからない。宝石がダイヤか何かなのか? あー、めんどくささが倍増しになってきてる。
「攻撃する~?」
「するしかないよなあ。最低でも塩とかの戦利品は逃がせる準備をしておけよ」
「は~い」
てきぱきと準備を整え、まずは小手調べとばかりに矢を放つ。ちなみにこいつらはまだ複合弓だ。
さあ、どうする?
ガスガスと突き刺さる矢。謎生物は痛そうに身をよじる。
結構硬いな。素の防御力は高いけど魔法を使った様子はない。攻撃向きなのか接近戦でしか効果を発揮しないのか……オレなら反撃に備えて矢を一旦止めたかもしれないけど、千尋はガンガン行こうぜ思考らしくそのまま攻撃を続ける。するとそのうち動かなくなった。
あれ? 弱くね?
なんかあっさり倒せちゃった。でもそれがかえって不安にさせる。オレのチキンハートを舐めるなよ? 戦況がいいほど余計に不安になる。だって今までボコボコにされたパターンって大体オレが油断した時だもん。それに弱い魔物程厄介な魔法を使うことが多い。
とにかくこいつの魔法が何かを確かめるまで安心できない。
「攻撃を続けるよ~?」
「オッケー。ただし慎重にな?」
その後も弓で攻撃するとまたあっさり倒せた。というかこいつら遅い。人間が歩く速度くらいでしか移動できないからあのでかさじゃどんだけ硬くてもただの的だ。続いて弱らせた相手に噛みついたり、わざと近づいてみたりしたけど攻撃も緩慢だ。
もしかしてこいつの魔法水中じゃないと効果を発揮しないのか? いや、それなら水中から敵がいるってわかってるのに出てこないよな。こいつら弱いぞ? 今まで戦った大型の魔物の中ではぶっちぎりで弱い。何がしたいんだ? うーん。
「千尋。こいつら弱いよな?」
「う~ん。凄く弱いねえ」
千尋もちょっと違和感があるらしい。つーかこいつまだ口調が満腹モードってどんだけ食べたんだ? いやいや今は気にするな。目の前の敵に集中。
「とりあえず捕獲するか。いけそうか?」
「わかった~」
千尋が部下の蜘蛛たちに命令を下す。やはり捕獲だと蜘蛛の魔法が役に立つ。
弓で弱った謎生物を蜘蛛が取り囲み、投網のように糸を投げる。糸に絡まった謎生物はもがき暴れるが糸をちぎるほどの力はない。後はドナドナすればそれで……あれ?
「千尋? どうかしたか?」
千尋から今までにない怒りを感じる。その表情も普段のふにゃふにゃした様子からは想像もつかないほど険しい。……というかオレも蜘蛛の表情がきちんと読めるようになったんだな。
「糸が動かせん」
「はい?」
「妾たちの糸が動かせん!」
ああそういうことか。蜘蛛にとって糸はとても大事、というか神聖な物だ。それが動かせなかったり無碍に扱われると非常に不機嫌になる。口調が変わるくらいに怒っているみたいだ。
多分謎生物は物質の構成に影響を与えるタイプの魔法を使う。だから蜘蛛の糸が動かせなくなった。
蜘蛛の糸は拘束としては十分効果を発揮している。後で取り除くのは苦労しそうだけど今はこれで十分だ。一匹捕獲。
残りは後二匹。繁殖用として二匹いればいいかな。雄雌見分けがつかないしそもそも性別があるのかどうかすらわかんないけど、とりあえずあと一匹は殺していいか。
「あー千尋? そろそろ正気に戻って仕事してくれ。二匹のうち一匹はまた捕獲してくれ」
「後一匹は殺してよいのだな!」
うわーい殺意が天元突破。まあ好きにさせよう。
今度は矢で弱らせた謎生物にラプトルが襲いかかる。ほいワンキル……?
あれ? <恐爪>が弾けた? 何度ラプトルが攻撃を仕掛けても魔法ではダメージを与えられない。
ラプトルたちも困惑して後退する。
ちょ、ちょっと待て!? こいつの魔法何なんだ!? 今までの戦闘を見る限りだと弓ではダメージが通ってるけど糸やラプトルだと……? まさか?
「海老! 誰でもいいから水を謎生物にかけてくれ!」
その指示に従って海老が魔法を使って水をかけるが、謎生物の体に触れると水は力を失って地面に落ちた。
今までの行動を見る限りだと、こいつの体に魔法が当たると魔法が効果を無くす。
間違いない。こいつの魔法は魔法無効化だ!
………………はい?
「何で魔法を無効化する奴が雑魚としてポップするんだよ!」
もちろん誰からも返答はなかった。