14 蟻の名前は
くすぶっていた火も消えヤシガニの死亡確認も終了。被害は思っていたよりも小さい。果樹園の被害はもともと廃棄予定だった樹がほとんどだし。蟻の被害も挟み伸ばしで最初に潰された一匹だけだ。それでも被害は出る。つまり結論としてはこういうこと。
「強敵と戦うとか意味ないな! ぶっちゃけ怖いし!」
えっ、1日前といってることが違う?ははは気のせいですよ。
いやだって効率悪いもん。強い奴と戦ったところで得るものは少ない。レベルが上がるわけでもレアアイテムがもらえるわけでもない。肉はもらえるけど今回は燃やしたからそれもなし。食料にすらならない! ただ、灰や殻は良い肥料になるから畑に蒔いておこう。そういえばヤシガニの殻も固くはなかったな。硬化が解除されたのか?燃やしたせいかもしれないけど。
うーんでも肉は欲しいんだよな。食卓には潤いが必要だ。
「家畜が欲しいな」
狩猟採集など未開人のやること。真の文明人なら安全で確実な畜産を営むべきだ。第一候補はドードーかな。弱いし、あほだし。ネズミはどうだろうな。すばしっこいからすぐ逃げそうな気がする。
他に必要なのはかまどだよな。火は武器としても文明的にも必須だ。罠もある程度仕掛けておいてもうちょい強力な武器も必要だ。スリングは威力があるけど命中率がいまいちだ。弓のほうが扱いやすいって聞いたことがあるから強力な糸があると何とかできるはず。
はー、何かもう異世界転生って感じじゃないな。原始的すぎる。
じゃあ逆にこの状況に向いてる人ってどんな人だろう? 興味がでたのでちょっと考えてみよう。
まず農業知識。これは外せない。何しろ中世以前の文明なら農業力=人口だ。農業が安定していれば食い扶持が確保でき、人口が増える。人口が増えれば戦力が確保できる。農業半端ない。
次に料理。異世界の食事が美味いとは限らないし、食品を加工する技術は食材を有効活用できることと同義だ。オレは食品栄養学とか発酵生物学みたいなちょっとマニアックな講義も受講してたからなんとかなりそうだけど。
次は建築関連だな。かまどの作り方とか普通知らねーよ。蟻の魔法がなかったら多分詰んでる。でも自作で窯焼きピザとか作ってる人もいるらしいから何とかならなくもないのか?
んー後は生物の知識とか。この世界の魔物はもしかすると地球にいるような普通の動物が何らかの原因で魔物に変化したものなのかもしれない。そうじゃないとここまで姿形だけでなく内臓まで似てるってことはない気がする。
うーん、ム〇ゴロウさんとかどうだろうか。でもあの人の本職はエッセイストなんだっけ。農業を発展させた人物って誰だろう。やっぱりダーウィンやメンデルかな? あの人達が遺伝学の始祖であり、農業、特に品種改良という分野の発展に大きく寄与したことは疑いようがない。ただ、純粋に農作物の栽培法を発展させて有名になった人物はパっと思いつかない。オレの知識が浅いだけか?治水事業なら古代の中国で歴史に名を残した人物が何人かいるけどな。
「解体したよ」
あーだこーだと考えている間にヤシガニの解体と穴からの搬出作業が終わったららしい。よかったね。これで外に出られるよ。やはりヤシガニからも宝石が見つかった。今度は黄緑、いや薄緑色か? 炎にさらされても燃えなかったらしい。ちなみにわずかに残っていた蟻の死体からも紫色の宝石が見つかった。
この宝石の色はオレが探知能力を使用した時に見える色と魔物が魔法を使用した場合に発生する光と同じだ。何か関係はあるんだろうけど……せめてこの宝石らしきものが何なのかわからないと……。いや、蟻からでてきた宝石もどきが本当にオレの知っている宝石なら確認する方法はある。
火を熾してから、紫色の宝石を火にかける。変化なし。
「火力が弱いのか? 息を吹きかけろ」
魔法で息を吹き込む棒なんかを作ってとにかく酸素を送り込む。火から紫色の石を取り出すと、ほんの少し黄色になっていた。
「当たりだ。こいつはアメシストだ」
アメシストは紫色の宝石であり加熱すると黄色く、シトリンに変化する性質がある。つまり魔物の体内にあるのは正真正銘本物の宝石だ。問題は何故そんなものがあるかってことだが、
「わかるかんなも―――ん」
体内に宝石がある生物なんて真珠位しかしらねーよ。そもそも地球には魔法を使える生物なんていねーよ。オレが知らないだけで実はいるとかないよな?
ふう、ちょっと落ち着こう。よし、落ち着いた。
そしてこの宝石は一種類の魔物に一種類しかない。例えばドードーの体内にある宝石は全て同一の種類だったように。このことは今までちょっと目をそらし続けてきた問題の回答にもなる。
魔物は一種族につき一種類の魔法しか使えないんじゃないか?
今のところ2種類の魔法を使った魔物はいない。ネズミはジャンプ板と加速床だったが、亜種みたいなもんだろう。少なくともジャンプ板と加速床のどちらかしかネズミは使っていなかった。オレの魔法はテレパシーと探知能力の二種類だと思ってたけど実際には一つの能力を応用していただけなんじゃないか。炊飯器でパンを作るようなもんだ。テレパシーや硬化は蟻以外も使える汎用能力みたいだし。魔物によって得意不得意はあるみたいだけど。
で、この結論が正しいとなると―――
「オレ、これ以上強くなれなくね?」
魔法の威力は体の強さで決まる仮説はヤシガニの魔法がかなり強力だったことで信憑性が高まった。使える魔法の種類は種族で決まるという説も今のところ反論できる材料がない。まだ未知の方法で魔法を強化できるのかもしれないけど……望み薄だよな。
よし。オレ強くなるのやめる。その代わり蟻達を強化して俺を守らせる。正直オレ戦いに向いてないな。ヤシガニごときにあんだけビビッてたんだから。真の王者とは自らの強さではなく他人をうまく使ってこそ王者足り得るのだ! なんて言ってみたけどやっぱ無双とかしてみたかったなー。
それもコレも事前連絡もなしでこの世界に来たせいだ!せめてアフターケアくらいしろ!こちとら普通の日本人だっつーの。物凄いチート能力でもない限り、魔物と戦うなんて一般人ができるわけない。チートどころか説明すらないなんてやはり神はいない。いたとしてもオレを一切助けない神様なんかを敬う理由なんかない。
いない神様よりここにある宝石だ。念の為に今まで採取した宝石を確認する。人間は白色透明。ぱっと思いつくのはクォーツ、要するに水晶だ。ドードーはタイガーアイかな?ネズミは……わからん。赤っぽいけどガーネットとか?ヤシガニもよくわかんないな。おいおい調べるか。しかしどうやって作ってるんだ? 宝石を作るにはかなりのエネルギーが必要なはずだけど……。
「女王、たいがーあいって何?」
ん、思考が漏れてたか。最近意識して会話を行わなくてもオレの思考を読んで質問してくることが増えた。蟻同士で連絡を取り合っているのか質問に対する返答は全員に伝播していることが多い。
「あーこの宝石っていうか宝石の名前」
「名前って何?」
蟻には名前と言う概念がないのか。オレも誰が誰なんて気にしなかったし、こいつらに「個」という概念があるかも怪しい。
「それぞれの物や人を区別するための記号みたいなもんだ」
「女王にもあるの?」
……当然オレにも前世の名前はあるけどここでそれを名乗っていいものか。正直もう人間に戻れるとは思えない。この世界の魔法は今のところファンタジーっぽさに欠けている。怪しい薬を飲んでもとの姿に戻れる、なんてことは起こらない気がするし、そもそもそんな余裕がない。ちょっとボタンを掛け違えただけであっさり死ぬ。本気で蟻として生きていくなら覚悟を決めないといけない。つまり、蟻としての名前が必要だ。
じゃあ何て名乗ろうか? この手にはタイガーアイとアメシスト。アメシストは多分オレの体にも埋まっている。これがいいな。ただそのままっていうのも芸がない。紫水晶、紫、違うな。音読みだとシスイか。紫水。うんいいな。山紫水明って言葉もあるしきれいな響きだ。
「オレのことは紫水って呼べ。それが今のオレの名前だ」
「紫水」「紫水」「紫水」「紫水」「紫水」
蟻たちは伝言ゲームでもするかのようにその言葉を繰り返している。
これ……ちょっと、いやかなり恥ずかしい。こちとら極普通の日本人だったので大勢の人間に名前を呼ばれたことなんてない。それが自分で決めた名前なんだからなおさらだ。
漆黒の堕天使(笑)なんて名前にしなくてよかった。悶絶死した自信がある。
本当に。死ななくて良かった。