113 路傍の石
クワイの真相がようやく明らかになったところで今後の方針を定めよう。まず心の中でこっそり考えていた、ヒトモドキを今よりもいい生活を保障して離反でもさせようという計画は破棄だ。あの洗脳っぷりじゃそれは無理だろう。こと身内を裏切らせないということに関してカルト宗教よりも優れたものはそうそうないはずだ。
しかもそれは海老、デバネズミなどの家畜にも適用される。やりづらいことこの上ない。
あんな環境でもヒトモドキはみんな幸せなんだろう。例え死んだとしても楽園とやらに行けるから死ぬことを恐れないのか? うへえ、つくづくやっかいだなあ。
そしてテゴ村を占拠して数日。遂にヒトモドキと交渉を断念せざるを得ない事件が起きた。
サージが自害した。
「こはちひ。状況を教えてくれるか?」
「うむ。いつも通り話しかけておると突然サージが妾の糸に飛びついてきた。略すな」
「突然だったからびっくりしちゃった。多分蜘蛛の糸だって気付いたんじゃないかなあ。この悪魔めって言いながら死んじゃった。略さないで」
略称は不評のようだ。
昨日今日疑い始めたわけじゃないだろう。積もり積もった疑心が突発的な行動に移させたみたいだな。もう聖典の翻訳は大体完了しているし、辞書みたいなものも作ることができた。一応大まかな地図みたいなものも完成させた。ヒトモドキもテレパシーによって知識などを伝えることはできるらしい。あくまでも感情などの思惟を伝えることができないだけなのかもしれない。
この辺りがわかったのも間違いなくサージのおかげだ。できれば無事に返してやりたかったけど、もう無理か。
ちなみに何故こうもあっさり自殺するのかはやっぱり、セイノス教が関わっている。セイノス教では罪を犯した者は、貴石が悪石になると信じられているらしい。悪石は砕かなければならない。逆に言えば、例え罪を犯したものであっても体内の宝石さえ砕けば許されることになる。これこそヒトモドキが積極的に自殺する理由だ。
後にこれがちょっとした面倒ごとを引き起こすことになるが……それは別の話だ。
さてそこで問題だ。テゴ村の住人は殺すべきかどうか。
こいつらはオレの国民でもなければ人間でもない。なので殺しても何ひとつ問題はない。生かしておいても不利益しか生まない気がする。でもなあ。結構色々貰ってるからなあ。
農作物や情報、今のオレにとっては金よりも貴重だ。
流石にここまでの貴重品を奪っておいて用済みだから死ねと言うのはなあ。実際にオレたちが被害を受けたわけでもないし。ある意味においてはクワイの国民は洗脳教育の被害者だと考えることもできる。
まあ洗脳を解けるとも解きたいとも思わないけどね。被害者だからって誰かを傷つけていいわけじゃない。カルトの上手い所っていつの間にか被害者を加害者に変えることなんだよなあ。だからこそ取り返しがつかないところまで進んでしまう。落としどころが見つけられない。
ならまた誰かを捕えて交渉役にさせるか? 正直上手くいくとは思えない。また死んだらそれこそ未必の故意になってしまう。時間はそう多くない。
この村を訪れようとしたヒトモドキを追い返したので恐らく他の村に窮状が伝わっているはずだ。そのうちテゴ村を奪い返しに大軍が押し寄せることもありうる。
その時にオレたちの弓について話されると、単純に情報を与えるだけでなく、オレたちを悪魔扱いするだろう。そうなったら国家単位で追われる羽目になるかもしれない。
かといってやっぱり皆殺しにするのは……うーん。それじゃあいっそのことヒトモドキ側に決めさせるか。
王都では今まさにリブスティ最後の競技が行われていた。
だが誰も結果に注目してはいない。結果などもはや決まっている。彼女が、ファティがどうやって勝つか、興味を持っているのはそこだ。
彼女は例外的に頭首の子供の代理人でありながら最終競技の参加を許可された。もっとも彼女の活躍を考えればむしろ妥当だろう。もはやリブスティは銀髪の聖女を称える催しへと変わっていた。
誰もが彼女の一挙一動に注目している会場とは別に、冷ややかな空気しかない部屋でタストはある人物と向かい合っていた。
その人物は白い祭服に身を包み、わずかな装飾にも拘わらず豪奢な雰囲気を醸しだす。その服装に負けぬほど厳めしい顔つきをする彼女こそ、この国の宗教にして政治の頂点に立つ女性、教皇。その名をアチャータ・ヌイ・イージェン・ルファイ。つまりはタストの母親である。
ただし二人の間には親愛の情を見て取ることはできなかったが。
「タスト。 必ずあの銀髪の少女を我が家に迎え入れるのです。彼女の髪も剣も、賢皇の血筋たる我らルファイ家にこそ相応しい」
今までも暗にそう言われることはあったが、こうも面と向かって言われたのは初めてだ。もっとも母親と面と向かって会話すること自体滅多にない。こうして会う時も必ず目を伏せて直接顔を合わせないようにしなければならない。恐らく礼儀作法において最も厳しい場所がこの母の眼前だろう。
今回リブスティには代理を立てているにも関わらず、ここにいるのは通常の業務よりもここを優先させただけだ。間違っても息子の晴れ舞台を応援しに来たわけではない。
「もちろんです、母上」
あくまでも慇懃に答える。このルファイ家で彼の立場は極めて弱く、アチャータがいるからこそ多少の自由は許されている。逆にアチャータの目が届かない場所では常に軽んじられていた。しかし、今現在彼はこのクワイでは極めて重要な人物になってしまった。
銀髪の聖女と近しい男である。
そのために言い寄ってきた貴族は何人いただろうか。直接彼女に話しかけないのは、将を射んとする者はまず馬を射よ、という考えからだろうか。だがそんな風に彼にへつらう人は一日前からいなくなった。
恐らく目の前にいる母親が何らかの手を打ったのだろう。この駆け引きの上手さこそがルファイ家の頭首にして教皇である証だ。
「よろしい。上手くいけばあなたを相応しい職に就かせましょう」
この母は息子が神学を修めていることを快く思っていない。地球でいうなら江戸時代の女性が剣や弓の、それも明らかに実践寄りの稽古をするようなものだ。彼自身冷たい目で見られることは慣れてしまった。
どうも周囲にはそれが生意気にも神職を志していると思われているらしい。間違ってはいないが正しくもない。
「光栄です」
本当は、かつてのように学がないと蔑まれたくないだけだ。
重い足取りで観客席に戻る。
ルファイ家に彼女を迎え入れる。それは虚飾や見栄がそこら中に潜んでいる貴族の生活に巻き込むことである。
しかしそれ以上に彼にとって耐えられないのは自分以外の男と彼女がチェルコを行うことだ。独占欲だろうか。いや、そうとしか思えない。
「あさましいな。僕も」
どこまで行っても地球の人間だったころの感性と記憶を捨て去ることができない。彼女の幸せよりも自分の欲望の方が心を占める体積が大きい。本当に、
「おっす。暗い顔してるわね」
ティキーに話しかけられていた。いつの間にか観客席に戻ってきたらしい。
「何? 自分の母親に絞られでもした?」
「……まあね」
「……ファティちゃんね?」
黙ったまま頷く。おおよその会話の内容は察したらしい。声のトーンが低くなる。
「あんたんとこ、厳しそうね。それともあんたが男だから?」
「両方かな」
重い沈黙が二人の間を漂う。だがそれも数秒の間だった。
「ねえ。あんたから見てこの国の男女差別で一番不平等だと感じるのは何?」
「何だい藪から棒に」
「聞きたいのよ。こういうのは弱い側から見ないとわかんないでしょ」
表情はにこやかだが声は冷たい。彼女は予想以上に腹芸ができる女性のようだ。
「知っているとおもうけど一番はやはり、教皇には女性しかなれないことだと思う」
クワイではセイノス教が絶対的な権力を持つ。基本的には教皇から順に大司教、司教、司祭、修道士の順に権力が下っていく縦割り組織だ。司祭以上には決して男性がなれないので、事実上権力を掴むのは不可能だろう。
日本で例えれば男性は首相どころか県会議員にさえなれないようなものだ。明らかに憲法違反だ。
「……他には?」
「個人的な意見だけど、男性に親権が与えられないことだと思う」
「どういうこと? 養い親っていうのがあるって聞いたわよ?」
「養い親と親は明確に違う。例えば女性がみなしごを養子にしたとする。その場合その養子は女性の家名を継ぐことができる。でも男性が養子をとっても男性の家名は引き継がれない。それどころか法律……いや戒律上二人は親子だとは判断されない」
「つまり養い親は親じゃない。男は親になる権利そのものがないわけ?」
「そうだ。……それらは明確に戒律として定まっている。養い親になってもほとんどメリットがないから普通は誰もなりたがらない。だからこそこの国には父親という言語が存在しない」
例えば、その子供が銀色の髪でも持っていない限り、養い親にはなろうとしない。
「けど、こういう男女差別は地球でもあった。……君はそれを知っているんだろう?」
弱者から見ないとわからない。つまりそれは彼女が弱者だったことを意味する。
……再び沈黙のとばりが降りたが、唐突に口を開いた。
「……私はちょっと期待してたわ。男じゃなくて女が政治の頂点に立てばきっと世界は良くなるに違いない。差別なんてなくなるに違いないってね。でもそんなことはなかった。女は勇ましくあれ。男は家事と子育てで慎ましくあれ。そういうのを押し付けられてる。それどころか厳密にルールとして不平等になってる。何も変わってなんかなかった」
「それは多分この世界の文明がまだ進んでないからだよ。魔物なんかが闊歩する世界じゃ、安心して暮らせないからだと思う」
「安心な暮らしかあ。男女雇用機会均等法とか役に立たないって思ってたけど実際には見えないところで私らを守ってたのかもね」
「かもしれないね」
「あの子はその辺りを理解してるのかしら」
その辺りとは男女に関することではなく、この国そのものが正しいかどうかという疑問だ。
「……どうだろう。僕らはある程度成長してからここに来たけど彼女はそうじゃないから」
「言っちゃあ何だけど頭お花畑よね。あんた、その辺甘すぎない?」
「彼女とそう話をする機会があったわけじゃないからね。……何が言いたいんだい?」
「私が余計なお節介を焼いても口を挟むなってことよ」