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109 人間の証明

 どんな嵐よりも、どんな炎よりも、どんな雷よりも激しい怒号が響いた。

「ふざけんなよお前! 知性がないだと! どう! 見ても! あるだろうが! それが邪悪!? 現実を見てないにも程がある! 挙句の果てには救う!? お前らがやってんのはただ無為に生き物を殺しているだけだ!」

 再び息を吸い込む。もっと大声が出るように。もっと良く聞こえるように。

「いいか! オレの一番嫌いなもんを一つ教えてやる! 善意の押し付けだ! これほど無駄なもんは他にない!」

 その剣幕に押され、巡察使タミルは床にへたり込み、失禁さえしていた。

 彼女にとって彼は神話に登場する悪魔の王よりも恐ろしい存在だったに違いない。実際にはどこにでもいるただの女王蟻に過ぎないというのに。


 あ、やべ。やりすぎた。叫んだらちょっと落ち着いた。

「おっと失礼。ビビったか?」

「お、怯えてなどおらぬ!」

 その声を聞いて怯えていないなどとだれも信じはしないだろう。

「あっそ。で? オレはオレの持論を展開したけど何か反論はあるか?」

「わ、我らの信仰が押し付けなどと、そんなことは、あるはずはない」

 声はか細く活舌も怪しくなっている。追い詰められているのは明らかだった。

「何で?」

「聖典に我らの信仰はいつか必ず世界を救うと記されて……」

「はっ! いつか!? いつだよ!?  バッカバカしい! いつか、と必ず、という言葉は両立しない! いつかなんて言わずに今! 救えよ! それが無理なら計画を提出しろ! 方法を考えろ! 今のお前はできもしない公約を掲げる政治家以下だ! 頭の中のお花畑に蛆虫でも湧いてんじゃねえか!?」

「せ、聖典を愚弄するのか!?」

「愚弄するつもりはない。ただ自分の頭で考えろってことだ」

「聖典は絶対にして、崇高なる真実の書だ! そこには全て真実だけが書かれている! 穢れた悪魔の言葉になど耳を貸さぬ! 神と救世主の愛は必ず世界を救うのだ!」

 貸さぬ! と、言う割にちゃんと会話してる気もするけど、まあいっか。

「愛だのなんだのうるさいな。そんなに愛とやらが大事か?」

「無論だ! この世に生を受けた全てに愛は向けられている! そのために魔物を討伐し、救うのだ!」

 殺す=救うというのが馬鹿馬鹿しいけどそこを突っ込んでも無駄なのはもう学んだ。

「はっきり言うとさあ、他者への献身って意味ならお前らは蟻に勝つのは無理だぞ? 蟻には真社会性があるからな生まれた時から他人に、正確には女王蟻に奉仕することが決定している。教育されなきゃ博愛精神を十全に持ちえないお前らとは遺伝子からして違う」

 小春のように自我らしきものに目覚めているかもしれない例外もいるけどね。

「下らぬことを! 魔物が我らよりも愛にあふれているというつもりか!?」

「さっきも言ったけど、愛の種類によるんじゃない? 奉仕精神なら蟻の方がぶっちぎりで多いと思うけど」

「我らは神が作りたもうた最も気高く、美しく、愛に満ち溢れた、人だ! 貴様らに劣っているものなど何一つない! 我らは神に愛され、愛している!」

「愛、ねえ? 人を愛するってことがそんなにいいことか?」

「当然だ!」

「じゃあ、お前らの中に誰一人として他人を愛せない奴がいたらどうするんだ?」

「そのようなものがいるはずもない! 他者を愛せぬ異端者など罪人に他ならない! いたとすればそれは他者を愛せぬ悪魔に憑りつかれたに違いない!」

「違う、そいつは絶対に違うね。他人を愛せないことは罪じゃない。罪ってのは行動によって判断されるべきであってそいつの心情によって定められるべきじゃない」


 例えば子供を愛せない親がいたとしよう。それは悪人か? ノーだ。ただしその結果として育児放棄をすれば罪になるかもしれない。

 どれほどの悪人であっても犯罪を行っていないなら安らかに暮らす権利がある。

 聖人君子であっても他人を害すれば罪になる。

 法治国家ってのはそうあるべきだ。

 それこそ心の中が読めればまた別なのかもしれないけどね。


「生まれながらに悪しか為せぬ悪魔が世迷いごとを!」

「個人的な意見だけど生まれながらの悪人なんていないと思うぞ? 感情を抑えるのが苦手な奴や、他人を騙すのが好きな奴はいるけどさ、そういう個性って見ようによっては長所になるし、きちんと教育すればそれを調整することも不可能じゃないと思うけどな」

 天賦の才や生来の性質によって人生が決まってしまうよりも、努力や学習によって道行きは変えられるという考え方の方が好みだ。限界があると理解できないほど子供でもないし、蟻とヒトモドキじゃ埋めがたい溝はあるだろう。

「下らん! 貴様らは悪をなすと聖典にもある!」

 また聖典か。人の話を聞かなくなってきたな。

 どうやらタミルは調子を取り戻し始めたらしい。胸元に一冊の本をつぶれそうなほど抱き必死の形相で反論する。この本は多分聖典とやらだろう。

 お? もしかしてこの聖典を否定することができればこいつの心をへし折ることができるんじゃね? それはなかなか痛快だし、もしかしたら交渉に応じるかもしれない。ここは攻め方を変えよう。多分これじゃあ議論がいつまでたっても終わらない。

 さてどうしようか。……フム。

「なあ、お前らの教義では生物は神様が造ったんだよな?」

「当然だ」

「なら微生物……目に見えないくらい小さな生物なんて知らないよな」

「そんなものいるはずもないだろう」

 よし、ならこれでいくか。必要なものをとってくるように配下に指示する。


「おいこらタミル」

「私の名を気軽に……」

 牢屋に蓋を閉じたシャーレを滑るように投げ込ませる。

「……何だこれは?」

「酵母の培地だよ。そこには何もないな?」

「ふん。見ればわかる」

「オッケー。でもそこには酵母っていう微生物がいて今現在も増殖中だ」

 今やるのはその気になれば家でもできる簡単な酵母の培養だ。それをタミルに見せつける。

 酵母は増殖力が高く、たった一つの菌でも一晩あれば物理的に目に見えるほど増殖する。

「もし増殖すれば微生物、つまり聖典には書かれていない生物が存在することになる。見た目は白いぶつぶつみたいだな」

「よかろう。貴様の邪悪な魔法で私をかどわかそうというのだな」

「魔法じゃないけど……ま、そう思ってくれて構わないよ。そこに白いものができればオレの勝ちだな」

「いいだろう悪魔よ。私の信仰心は貴様などに負けはしない!」

 ものっ凄いフラグセリフだけど気にしない。

 酵母の増殖は神の在不在に関わらす発生する。仮に神とやらがいたとしても、結果は見えている。




 よし、腹減ったからなんか食う……? ちょっと巣の中の雰囲気が変? 何かに怯えてる?

「どうした? 何かあったのか? 千尋? 誠也? 風子?」

 幹部連中にテレパシーで話しかけても反応が鈍い。

「どうしたんだお前ら?」

「……前に進むべきか。アレはなんだ?」

「あれ? 何のことだ? 風子?」

「……貴様の先ほどの叫びのことだ。妾はともかく、他の物は怯えておる」

「へ? もしかしてさっきのオレのテレパシー聞こえてたのか?」

「うん」

「うむ」

「進んだな」

「ww」

 まじか。やば、怒鳴り声聞かれるってちょっと恥ずかしい。

「悪かったな。お前らに言ったわけじゃないから怯えなくていいぞ。それともうすぐ飯だから楽しみにしておけ」

 そういうと安心したのか空気が緩んだ。

 そっかー。オレがキレるとみんなビビるのか。確かにあんなに怒ったのは初めてだったからな。

「ねー、紫水。さっきのアレ、何?」

「小春? あれって叫びのことか?」

「うん。なんであんなに叫んだの」

「あれは怒ってたからだよ」

「怒る?」

「お前らにはわかんないかもしれないけどあまりにも理不尽なことを言われた時には攻撃的になったり、乱暴になったりするんだ。怖かったか?」

「怖い……うーん……危ないと思った」

 怒り、という感情は蟻にとって未知の物らしい。蟻にとって理解できないものだったから危ないと感じるのか。

 しかし、魔物であっても嘘を吐くことを覚えたように、小春ならいつか怒りを理解できるときも来るかもしれない。それがいいことかどうかはまだわからないけど。

「ねえ。怒るのは悪いこと?」

「いや? そうじゃないと思うぞ? 怒ることそのものは悪いことじゃない。何の理由もなく怒るのは悪いと思うけどな。それはただの八つ当たりだから生産性が無い」

 怒った後でもその理由を考えることは大切だ。無闇に当たり散らすような人間は品性に欠けすぎている。

「わたしも怒ったほうがいい?」

「うーん。どうだろうな。別に怒らなくてもいいし、そもそも怒ろうとして怒れるもんでもないからな」

 たわいもない話をしばらく続けていた。


 蟻に感情があるのか?

 地球ではほぼ間違いなく、大多数の人々が無いと答えるだろう。

 この世界ではどうか。少なくともセイノス教にとっては無いだろう。

 しかし、彼には間違いなく感情がある。だからこそ怒り、笑い、落ち込む。

 それは彼が人間であったことの証明。

 そんな彼を見て、触れて、蟻達に、魔物に、変化はあったのだろうか? それとも初めから魔物には……。




 ではご飯だ! 今回はおやつだ! しかしその前に! メープルシロップ獲得に成功したぞ!

 具体的には実験的に魔物接ぎ木式高速栽培の実験中であるサトウカエデの樹液を吸い出すことに成功した。さらに、樹液を海老の<水操作>で濃縮、洗浄! ぐつぐつ煮込んで殺菌アンドさらに濃縮!

 メープルゲット! 試食したところちゃんと甘かった。甘かったぞおおおおお!

 うひゃらひゃほーい。甘味だ。甘い。素晴らしい!

 でも実はうまくいった理由はよくわからない。

 季節とか温度の条件が上手くそろわないとできないはずなんじゃ? もしかしたら魔物の成長加速が上手く作用したのかもしれない。まあ良くわからんな。

 では今回はわらび餅……モドキを作ろう。


 ちなみにすごく簡単。片栗粉に水を入れてよく溶いてから鍋で水を飛ばす。

 焦がさないようにじっくりと慎重にかき混ぜる。薪だとこの辺りの火加減が難しいので注意しなければ。

 固まって透明になったら片栗わらび餅の出来上がり!

 そこに黒蜜代わりのメープルシロップをかけて横に干しリン、我慢できずに採ってしまったサクランボを添える。フルーツあんみつ風わらび餅かな?


 ではいただきます。

「「「いただきます」」」」

 食い物になると従順だよな。忙しくても食事の時間だけは必要だからこういう時礼儀正しいのは悪いことじゃない。

 ではお味見。おおう。美味いな。

 わらび餅より固いけど不愉快になるほどじゃない。これはこれであり。

 何よりメープルシロップのコクのある甘味がいい。サクランボはちょっと酸っぱいけどメープルがあればちょうどいい。ハチミツよりも先にメープルが手に入ったのは意外だったけど、この料理はハチミツよりメープルの方がいいと思う。

「おーい、お前らも美味いか?」

「はぐはぐ」

「もぐもぐ」

「……」

「wwww」

「もしもーし。皆さん? おーい」

 返事がない。ただのかかしのようだ。

「ちょっと? 会話しませんか? おいって」

 何度話しかけても答えはなかった。

 魔物は蟹ではなくわらび餅を食べるとあまりの美味しさに黙る。こうしてまた一つ無駄知識が増えていく。




 彼の預かり知らぬことだが、叫びは遠くのテゴ村にさえ届いていた。それだけではなく、近隣の村々にも遠吠えのようにかすかに届いていただけだったが、テゴ村の住人には家屋の周りをうろつく獣が吠え立てているように感じており、人々の不安を掻きたてていた。

「村長。さっきの声はいったい……?」

「私にもわからん。それよりもタミル様は無事だろうか」

「私たちに隠れているように命令し、単身魔物に立ち向かうとは……あの方こそ真の聖者です」

「いつまでこうしていればいいのやら……」

 村長の言葉は村人全員の総意でもあった。しかし、同時に誰もが答えようのない疑問でもあった。

「大丈夫だ! 今度も聖女様が助けて下さるに違いない」

 その言葉に誰もが顔を上げ、救世主の降臨も間近、とばかりに瞳を輝かす。

「おお! その通りだ!」

「聖女様に来ていただければ安心だわ!」

 口々に銀髪の聖女を褒め称える村人。普通に考えれば今現在リブスティの最中であるファティがここに来るはずはないのだが、心の支えとは少々の現実逃避をしなければ生みだせないのかもしれない。

 現在のテゴ村の住人は邪悪な魔物に襲われたか弱い村人だとみなすことができた。……少なくとも表面上は。




 ぐっすり寝て今日も早起き! ……でもな? 日が昇る前に起きるのはいくら何でも早すぎると思わないか?

 それでも眠い目を擦って何とか起き上がる。

「んぐう。緊急事態か?」

 急に巡察使タミルを見張らせていた蟻から連絡が入った。……嫌な予感しかしないけど。

「うん。死んだ」

 やっぱりかー。そういえば最近蟻は死ぬことをいなくなるって言わなくなったな。きちんと死の概念を理解したのかな?

「それでタミルの死因は?」

「自殺。額に<剣>を突き刺したみたい」

 またか。この世界の魔物は自殺しずぎじゃないか?

「何か言ってたか?」

「こんなはずではない、私の祈りが悪魔に負けるはずなどないとか言ってた」

 ちょっと心折りすぎちゃったか。しかしそれくらいで自殺するとはなー。ううむ、ちょっと罪悪感を感じる。


 自殺された以上、ヒトモドキと交渉するのは困難と言わざるをえない。もう一人捕まえてるし、建物に立て籠もってる奴なら何十人もいるから可能性そのものが消えたわけじゃないけどな。慎重にならないといけないかあ。

「それはそうとこいつの身体検査だ。死んじゃったなら調べても文句は言わないだろう」

 ガサゴソと死体を漁らせる。やっぱりまずは聖典だな。何書いてるかはわからないけどとりあえずどんな文字かを確認しよ、

「――――――――まじかよ」


 その本を一目見ただけで理解した。何故こんな文明が出来上がったのか。今までの違和感は一体何なのか。

 突如として神が降臨したわけでも悪魔が囁いたわけでもない。

 この本の表紙に書いてある文字が十全に読めはしないけど知っている文字だったからだ。

 漢字だけで構成された文字。

 そう、つまり、


 この本に書いてある文字は中国語だ。


 なぜ異世界で中国語が存在するのか? 考えるまでもない。

 いたんだ。オレ以外にも、ずっと昔に転生者がいたんだ。

 この国の文明、少なくともその一部は古代の中国人がもたらした。

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うちの猫は液体です 新作です。時間があれば読んでみてください。
― 新着の感想 ―
[良い点] まさかここで中国語とは想像できなかったな
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