99 落下狼藉
さてさて。
釣りにはエサが必要だ。言うまでもなくエサになるのは蟻しかいない。今蟻の人口は千を超えている。
無駄遣いは厳禁だけど出し惜しみはダメだ。それができたら誰も苦労はしないけどね。
敵役はカマキリが妥当だろう。肉食で蟻を襲う魔物だ。蜘蛛は適切じゃない、いや適切すぎるから駄目だ。
<糸操作>による蜘蛛のトラップは驚異的であるだけに鷲は警戒して蜘蛛には近づかないとにらんでいる。空を翔ける鷲にとっては鈍重な破壊力よりも搦め手が怖いはずだ。
少なくとも地球の鷲は急降下からの狩りを得意とする。トンボ程の旋回力は無い……と思いたい。
結論としてはやや開けた場所でカマキリが蟻を襲うふりをすればいい。
ただし、どうもカマキリの様子が気になる。日に日にエサを要求する頻度が増えている。蜘蛛も大食いだったけど、糸を作って消耗した体力を回復するために大量の食べ物を食べていた。
しかしカマキリは楽しむために食べているように感じる。どこぞの哺乳類じゃあるまいし、食べ過ぎてぶくぶく太るなんて勘弁してもらいたい。今のところ従順な態度だけど……さて。
いつ現れるかわからない鷲を捕らえるには根気がいる。演技を開始してから十日が過ぎ、カマキリも焦れ始めたころ、その瞬間は訪れた。
「紫水、来たよ!」
監視を命令していた小春から連絡がきた。すぐさま視界を共有!
すると大空に旋回する一つの影が! 監視役はよく見つけたな。
知っている人も多いだろうが猛禽類の視力は非常に高い。視力が10を超えることもあるらしく、さらにスコープのようにズームができるとも聞く。オレたちからは点にしか見えない大きさでも奴からはくっきりと姿を確認できているはずだ。
「まだ演技を続けろよ」
カマキリは蟻を追い回し、蟻は必死で逃げ続けているふりをする。
未だに鷲は旋回を続けている。まさか演技だと気づいたのか? この作戦はほぼ一発勝負だ。頭の回る魔物なら同じ罠に引っかかるとは思えない。
じりじりとオレの心も焦りを帯びる。小春も緊張してるのか言葉少なだ。
蟻とカマキリが木立の影に隠れようかという直前、黒い点は流星のように地面に迫ってきた。
緊張の一瞬だ。予定通りならぎりぎりまで引き付けた後、蜘蛛が<糸操作>で鷲を捕える手はずだ。そのほかにも手段は用意しているけどなるべく一発で決めたい。
緊張の一瞬。しかし、
ハンターとしての優秀さは生物によって異なる。鷲なら飛行能力とスピード、蟻なら数と連携力。カマキリの強みの一つは鎌だけど、それ一つじゃない。その体の柔軟さを強さとして挙げることができる。
この柔らかさによって思いもよらない場所に潜み、不意の一撃によって命を絶つ。だからカマキリに死角などない。真後ろだろうと、真上だろうと。
人間ならまずありえない方向に首が回る。カマキリの目ははっきりと頭上から迫る鷲を捕えていた。つまり、こっちが既に鷲に気付いていることに気付かれた。
「馬鹿野郎! まだ演技を続けてろって言っただろ! くそ! 撃て!」
上空へ再び逃げようとした鷲に対してオレたちの新兵器、蟻ジャドラム改を作動させる。
基本的な構造は蟻ジャドラムと一緒だけど、岩を四つに分けて小さくし、それらの間に蜘蛛糸による網を張った。重量が軽くなったおかげで転がすのではなく空を飛ばせるようになった、魔物捕獲用の投網!
しかし、それすらも避けられた。緑色の旋風が鷲の体を包み込み、急上昇していた鷲が沈むように蟻ジャドラム改の下を潜った。しかし高度が低すぎて木にぶつかる寸前だが、木々の隙間を巨体ですり抜けるように進み、またしても上昇する。
しかし上昇しきる寸前に、その巨体に小さな影が飛び掛かる!
「止めろ千尋!」
制止の声は届かない。蟻のテレパシーは空中にまで伝わらない。鷲の翼に飛び乗った千尋はしかし、すぐに緑色の光にはじけ飛ばされた!
落下していく体。それでも、すでに目的は達成していた。
ガクッと鷲の体が見えない壁にぶつかったかのように止まった。
すでに千尋は翼に細い糸を巻き付けていた。予め飛び掛かる前に木に蜘蛛糸を括りつけておきそれを鷲に巻きつけた。たかが糸と侮るなかれ。その糸は同じ面積なら鋼鉄を上回り、ジェット機すら止める蜘蛛糸。いかに鷲でも容易くは切れない。
落ちてきた千尋を仲間の蜘蛛が糸によって受け止める。
「無事か!? 千尋!?」
「無論じゃ」
ふー。冷や冷やさせやがって。
しかし、これで有利なのはこっちだ。
千尋がつけた糸を伝って蜘蛛たちが糸を更に巻きつける。今は飛びながらもがいている鷲もいずれはぐるぐる巻きにされた鷲が転がっているに違いない。鷲の一本釣り確定!
不意に鷲と目が合った気がした。遥か空を見続けた眼がこちらを睨む。そして、
(笑った?)
言葉はなくてもその表情を読むことさえできなくても、なんとなくそんな気がした。
一転して、鷲は急激に落下していく。糸に引かれているんじゃない。明らかに自分の意思で落ちていった。
木と鷲はみるみる近づいて――――木が折れる乾いた音が響いた。
「あ、の、野郎……またか! また自殺か!」
ネズミといい、なんで魔物ってのは自殺するんだ!
「急いで鷲の容態を確認しろ!」
落下地点に蟻と蜘蛛が急行する。……その間に問い詰めておかないとな。
「おいカマキリ。オレは演技を続けろと言ったはずだよな? どうして鷲の方を向いた?」
「ギ。アノママだとワシにオソワレルとオモッタ」
「鷲がお前を襲うことはない。お前みたいにでかい奴は運べないし、万が一反撃されたら重傷を負う可能性が高い。作戦を伝えた時にそう説明したはずだけどな」
「デ、デモオソッテクルカモシレナイ」
「確かにもしかしたら襲ってくるかもしれない。でもそれはあくまで可能性だし、もしも不満があるなら作戦を建てた時に言うべきじゃないのか?」
「ワカッタ。ツギはソウスル」
次か。この話題は一旦保留しよう。それよりも鷲だ。
蜘蛛の尽力によって鷲は木からすでに降ろされていたが、素人目に見ても致命傷だった。
恐らく肺と内臓……多分腸に傷がついている。枝が刺さっていたらしい。仮にここを生き延びたとしても敗血症で死亡するだろう。
……鷲はもう助からない。あれだけ時間をかけて実行された作戦の結果がこれか。上手くいかんなあ。
「おい、鷲。会話はできるか?」
「可能だ」
すっきりとした若々しい男の声だった。空中でなければコミュニケーションが可能のようだ。
「今のわざとだよな? 何であんなことした?」
「飛べない鳥は鳥ではあるまい」
虜囚の身を良しとはしないか。なんともまあプライドの高いことで。でもさあ、
「飛べない鳥って結構いるぞ。ドードーとかペンギンとか」
「……飛べない鷲は鷲ではない」
「言い直したぞこいつ! カッコ悪いぞ!」
「やかましい」
テレパシーによる会話の便利なところだ。意識がありさえすれば喉がつぶれようが腹に穴が開いていようが会話できる。
「こっちとしては大人しく捕まってくれると助かったんだけどな」
鷲は答えない。満足そうに笑うだけだ。
「ちっ。せめてご褒美出せ、ご褒美」
「そんなものあるわけないであろう。物を語るくらいだ」
物を語ると書いて物語か。
「何話せるんだ」
「空の大きさと日の赤さだ」
空を飛ぶ生き物の視点かあ。ちょっと聞いてみたい。飛行機に乗ったことくらいはあるけどそれでも人は空を飛べるわけじゃない。もしもオレが行ったことのない場所の情報が掴めるならかなり貴重な情報だ。
「オッケー。じゃあ話してくれるなら楽に殺してやるよ」
「……貴様は妙な奴だな。楽にしようなどと考える者はおらんぞ」
「? 捕虜を殺害するのにできるだけ苦しめないのは当然だろ」
人道的にも法律的にも当然だと思うけど。すでに勝負がついているなら無闇に苦しめてはいけない。当たり前のことだ。野生動物に言ってもしょうがない……いや、こいつが本当の意味で野生かどうかはわからないけどね。
「まあいい。では語ってやろう。とくと聞け」
それからどうやって空を飛ぶか、自分の巣には捕らえた獲物があるとか、山を越えた東には大きな平原が広がっているとかいう話をずっと聞いていたが、だんだん語気が弱まってきた。
その間に準備を、速やかに殺すための準備を整えた。
処刑用具、ギロチンを。
歴史に血塗られた名を轟かせるギロチンだけどその本質は機械的に罪人を処理できる人道的な道具だ。少なくとも人の手による斬首は腕に左右されてしまうため囚人を苦しめることも少なくなかった。
その代用品として誰でも簡単に処刑できる道具を求められていた。
オレが作ったのはギロチンと言っても鉄製ではなく石だけど、かなり大きくしたから多分首は斬れるはずだ。
「何か言い残すことは無いか?」
「無い」
「わかった。じゃあやれ」
石の刃が落ちる。重い刃がレールに沿って首を切るためだけに真下へと落下する。
一度轟音が響いたのち、速やかに静寂が満ちた。
誰一人として言葉を発さない。物言わなくなった鷲の首は微動だに
にいっと鷲の顔が笑った気がした。
息を呑む。まさか首だけになっても生きているのか?
……そんなことはなかった。鷲の首は静かに地面に横たわったままだった。
オレの恐怖が見せた幻覚だろうか。今の光景を振り払うように大声を出す。
「よし! 作戦は失敗だったけどよくやった! 鷲の巣が判明したからな! そこを確認してから巣に戻ってこい!」
号令をかけると整然と行動する。
鷲の死体は一度解体してからこの場で食べさせるつもりだ。生き物を殺したらそれを無駄にしてはならない。個人的な信条だ。というかそもそも無駄とか無意味なことはやはり嫌いだ。そういう意味ではこいつらの食いっぷりの良さは嫌いじゃない。もし今ご飯を平気で残している連中を見たら五、六発殴る自信がある。オレが食い物を確保するのにどれだけ苦労していると思ってやがる!
ワラワラと鷲の死体に群がる蟻。ばらばらになる鷲を見ながらも、さっきの鷲の顔が頭から離れなかった。