98 錬晶術
ガラスの物質としての優位性はいくつかある。
透明で、形を整えやすく、酸や高温に強い。そして非晶質、つまり原子配列が規則正しくないため、様々な物質を混ぜてガラスの性質を変えたりできる。
まあ今すぐ必要というわけでもないので、今回は実験的な要素が強いかな。ソルベー法が上手くいくのかも含めて実験だ。
おらちょっとワクワクしてきたぞ!
さて、ガラスを作るにはまず砂を溶かす融剤が必要だ。ただガラスを作るだけなら植物、特に海藻を焼いてできた灰を使えばいい。多分そっちの方が簡単だ。
ただ今回はもっと先を見据えた科学、いや化学的手法でガラスを作る。
必要なのは珪砂、炭酸ナトリウム、炭酸カルシウムこの三つだ。
珪砂に関してはこの世界ならではの方法ですでに代用品を入手済みだ。魔物の体内にある宝石、例えば鹿やヒトモドキにはクォーツがある。これを珪砂の代わりにする。どっちも二酸化珪素なので問題なし。
でもガラスを本格的に生産するためにはどっかから珪砂を入手しないといけない。一々魔物を殺していたら効率が悪いからな。探せば多分どっかにあるし、別にそこら辺の砂でもやれんことはない。
次は炭酸カルシウム。
貝殻などを集めればいい。海が近くにないとしんどいんだよなこれ。しかし、マンパワーですべて解決! ごめんね! 後でなんか美味いもん作るから許して?
次に炭酸ナトリウム。
こいつはソルベー法、またの名をアンモニアソーダ法で作る。高校の時本気で暗記したからな。記憶してるぞ。
この方法の優れている点はとにかく無駄がない。安い、つまりどこにでもある物で作れることだ。塩がないからこの方法は使えなかったけど、今ならちょっと頑張れば作れるはずだ。
ちょっとややこしいけど、一気に行くぞ。ついてこれるか!?
まず名前の由来でもある、アンモニアの作成。
こいつは人間の場合尿に含まれるけどごくわずかしかない。なので発酵させる。こうすると尿素がアンモニアになる。まあ他にも色々方法はあるけどこれが一番後々の為になると思う。
蟻の尿が人間と同じかどうかはわからないけど魔物の内臓は哺乳類寄りのため多分人間に近いはず。尿に前作ったコンポストの一部を入れる。コンポストの中には発酵菌があるはずなので多分いけるはず。
問題は一つ。
「紫水。臭い」
そう! アンモニアは臭い! 理科の実験とかでよくわかってると思うけど臭い! 嗅覚の感覚共有をカット! カット! カットォォ!
アンモニアは水に二酸化炭素を溶かしやすくする役目がある。取得したい炭酸ソーダそのものにアンモニアは含まれないけど必要だ。この辺がアンモニアソーダ法のややこしいところだけどな。
そして炭酸カルシウムを熱分解! 酸化カルシウム、またの名を生石灰ゲット。更に二酸化炭素が放出されるのでできるだけ採集! 二酸化炭素も後でいる! ……んだけど上手くいかなかった! まあしゃあない! 次!
生石灰、に水を加えて消石灰(水酸化カルシウム)ゲット! やや危険物なので目に入れたりはするな!
発酵尿液に岩塩を入れてかき混ぜる! 溶けねえ! 忘れてた! 岩塩は水に溶けにくい! 一旦製塩してからやり直し!
溶液完成! 二酸化炭素を吹き込む! 息を吹いたり、壺の中で木を燃やして二酸化炭素を集めたり、
「紫水、臭い」
「我慢しろ! 炭酸水素ナトリウムとアンモニウム塩ゲット!」
炭酸水素ナトリウムはいわゆる重曹だ。料理、洗濯に役立つ万能物質。正直これだけでも十分役立つ。
まあ今回は炭酸ソーダを作りたいので重曹を加熱! これで炭酸ナトリウムである炭酸ソーダゲット! 目的達成!
しかし! アンモニアソーダ法の凄いところはむしろここから。
アンモニウム塩はそのままでも肥料として使えなくはないけどこのままならアンモニアを消費してしまう。そこでさっき作った消石灰とアンモニウム塩を反応させる。
これでアンモニアを回収し、さらに塩化カルシウムを作成できる。
つまり、アンモニアソーダ法はどこにでもある塩と貝殻を消費するだけで重曹や炭酸ソーダと塩化カルシウムを手に入れられる方法だ。
エコだよこれは!
塩化カルシウムは豆腐の凝固剤とか除湿剤に使われる。まあ今の状況だと使い道があんまりない。そのうち役に立つかもしれないのでちゃんと保存しておこう。
「紫水、これで終わり?」
「材料はすべてそろったぞ小春。後は、熱だな」
ここからがむしろ本番だ。
ガラスを作るためには1200℃以上の高熱が必要。ただ単に木材を燃やしただけじゃ届かない。
まず窯を作って粉々にしたクオーツ、炭酸ソーダ、炭酸カルシウムを入れる。
後は窯に火を入れて酸素を送るしかない。地獄の酸素供給マラソンスタート!
「きつい」
「危険」
「汚い」
はい3K宣言頂きました。煤とかでめっちゃ汚れるから汚いのも事実だよな。途中足踏みポンプみたいなものを作って少しだけましになったけど焼け石に水。人海戦術で対抗するしかない。
もしも鷲がいれば風の魔法なんかで空気を大量に送り込めたかもな。くそう。
「ごめん。とにかく頑張れとしか言えない」
しかも当然火を扱う仕事だからめっちゃ熱い。汗もドバドバ。木材もガンガン消耗する。これがあるから今までやりたくなかったんだよ。蟻は木材ですら食べられる。今の状況は食材で暖をとっているのに等しい。もったいない。
まだ木の流通網が発達していない時代では、ガラスの生産場所は転々と場所を移していったらしい。木があまりにも大量に必要だから辺り一面はげ山、野原にするつもりでなければ産業として成り立たなかったようだ。同じようなことは鍛冶職人にも言えるとか。
昔は自然と調和していたとか環境破壊を行っていなかったなんて思っている奴は認識を改めた方がいい。人間の文明はどうあがいても自然を壊す。それを完全に避けるのは多分無理だ。
ま、今のオレには関係ない。森を燃やし尽くして生き延びれるならそうするさ。
そしてようやくオレンジ色の火がそのまま液体になったような粘度の高い溶融したガラスができた。
「お疲れ! ごはん食いながらで構わないからもうちょっとだけ頑張ってくれ!」
みんな疲労困憊だけど後ちょっとだ。
冷えて固まったガラスに<錬土>を使わせる。ちょっとドキドキする。
「お? おおおお? おおっ!?」
紫色の光がガラスを覆っている。実験成功! 珪酸化物なら多分<錬土>は全て有効!
さらにガラスを飴のようにこねることもできる。宙吹きなんかしなくてもガラスを簡単に成型できる。凄い! どんなガラス職人よりも蟻の方が優秀だ。蟻が地球にいたら空き巣し放題だな。
ただちょっと透明度が足りないかな? 酸化鉛とか酸化マンガンがあればもうちょっと透明にできるけどないもんはない。
早速道具を一つ。形を変えて虫メガネのようにする。これで太陽がある間は火を点けるのがすごく楽になる。もっと早くガラス作っといた方がよかったかな。でも木がもったいない。難しいねえ。
おや? 蟻がガラスを見ている。
「どうした?」
「これ何個作るの?」
ああ、そういうことか。確かにこいつら疲れてるからな。これを大量に作るのは気が重いだろう。
「せめてこれの十倍は欲しいな。実験するならフラスコなんかはいくらあっても足りないし、レンズがあれば火を点けるのも楽になるからな」
何やら不満げな視線を感じる。うーむ。もっと楽に作れたらいいんだけど、ガラスの作り方なんてこれ以上ショートカットするにはもっと化学物質が必要だ。
しかし蟻はクオーツ粉末を握りながら俯いている。
「おい? 吸い込んだりするなよ? 毒性はないけど肺に入ったら体に悪いぞ?」
何やってるんだこいつ。
「できた」
「できた? 何が?」
「ガラス」
「は?」
握った手を開く………………ほんの小さなガラスがあった。
?????????????????????????????????????????????????????????????????????????????????????????????????????????????????????????????????????????????????????????????????????????????????????????????????????????????????????????????はい?
「紫水?」
「お主、どうかしたのか?」
小春と千尋がオレの様子を訝しんでテレパシーを飛ばしてくるけど気にしていられない。
「はっ、はああああああああああああ!?!?!?!?!?!?!?!?」
大声を出したオレにビクっと身を竦ませるけど気にして(以下略)。
まじで何で? え、ガラス?
「どうやったんだ!?」
「クオーツの粉末をガラスと同じにした」
「で、できるわけな……いや、石英ガラスか?」
さっきの実験の通り、普通ガラスは珪砂に炭酸カルシウムと融剤を混ぜる。しかし別に珪砂や石英を加熱するだけでもガラスは作成可能だ。それは通常よりも珪酸化物が多いガラスで石英ガラスなどと呼ばれ、半導体などに用いられるとか。
ただし、ガラス作成に必要な温度は2000℃を超えたはず。
蟻がそれに匹敵するエネルギーを生みだしたのか? いやそもそも<錬土>って何なんだ? 原子配列をいじってるのか? ガラスを見てからガラスを作ったってことは原子配列を解析することさえできるってことか? ガラスは液体の性質を持った固体だから、相転移すら操れるのか?
ふう。
ふう。
ふううううう。
「わっかるかそんなもーーーーん!!!!」
あ、全員びっくりしてる。すまん。でもこれオレじゃなくても見る人が見れば白目をむく現象なんだ。
具体的にどうやって、を考えるのはやめよう。ぶっちゃけオレの頭脳を明らかにキャパオーバーしてる。
ここはどうやったらもっと楽にガラスが作れるか、に焦点を絞ろう。
まずクオーツの粉末だけの場合と、炭酸カルシウムに炭酸ソーダを添加した場合ではどっちが楽にガラスを作れるかを試そう。
結果としては後者の方が迅速にガラス化できた。
なるほど。ガラス化に必要なエネルギーを無視できるわけじゃないんだ。
つまり超高温に熱した場合と同じ現象を魔法によって引き起こすことができる。エネルギー保存の法則を無視しているわけじゃない。
しかしたった一匹の蟻がそれだけのエネルギーを出せるのか?
待てよ? 例えば100gのクオーツを2000℃に熱するのと1gのクオーツを2000℃に熱するのでは必要なエネルギーは当然違う。
普通に火で加熱するなら100gも1gもそう変わらない。1gだけピンポイントで加熱する方法なんて現代科学無しならほとんど存在しないからだ。
だがしかし、蟻の魔法はごくわずかな物質にエネルギーを集約させることができるなら?
一応大雑把に1gのクオーツを2000℃上昇させるエネルギーを計算してみるか。
熱量の大雑把な計算は、比熱✖質量✖温度変化
石英の比熱……知らねえよそんなもん。水が4.2J/gで、鉄が0.4J/gぐらいか。流石に鉄より比熱が小さいことはないだろうから0.6J/gくらいかな?
0.6✖1✖2000=1200J
んん? 意外と少ないな。計算間違ってないか? ええと、1馬力が740Jくらいだっけ。
蟻が0.2馬力だと仮定したとしても8秒あれば1gガラスにできるエネルギーが溜まる計算だ。
超適当な計算だし、実際にはエネルギーの無駄があるに決まってるけど、ほんの数gなら魔法でガラスを作ることはエネルギー的には不可能じゃないみたいだ。
ちなみに蟻は一分あれば1gくらいの石英ガラスは作れてるみたいだ。魔法ってスゲー。
………………うん。
「どうかしたの?」
「小春。何やら落ち込んでいるようだからそっとしておいてやるべきだのう」
千尋。その気遣いはむしろオレに効く。
べ、別に必死で材料集めたりしなくてもよかったとか、初めからこいつらにガラスを作れって命令しておけばよかったとか、現代科学の敗北じゃねとか思ってないしー。
ガラスの現物無しだとこいつらだってガラス作れなかったみたいだから決して無駄じゃないしー。
お、落ち込んでなんかないし。重曹や炭酸ソーダは絶対そのうち役に立つから。
魔法を上手く使えば大幅にコストを削減できるってわかっただけでも大収穫だから!
話題変えよう! 話題変更!
えーと、あれだ、製紙技術!
前からヒトモドキの製紙技術に疑問を持っていたけど、これは一つの解答じゃないか?
例えば樹の繊維を操作する魔法を持った魔物がいれば、かなり効率よく紙を作れるかもしれない。
が、製鉄技術が発達していない理由がさっぱりわからない。
例えば鉄を<錬土>みたいに自在にこねられる魔法があったとしよう。もしそうならその魔法に対抗するためにむしろ製鉄技術が発達してもおかしくない気がする。
銅を操る魔法なら製鉄で対抗できるし、鉄を操る魔法なら青銅器で対抗すればいい。
鉄も銅も両方操れる魔法は多分無理だ。魔法は対象になる物が多いと著しく効果を下げる。一つの魔法しか使えない魔物にとって魔法の性能を下げ過ぎるのは危険なはずだ。
うーん。やっぱりヒトモドキ以外の文明を見てみないことにははっきりしないか。でも、やっぱりこの世界の文明はどこかおかしい気がするな。何故かはわからないけど。
色んな実験をして忘れてたわけじゃない。忘れてたわけじゃ…………はい。
すみませんでした! 忘れてました! もうすっかり鷲のことなんて忘れました! これでいいか!?
でさあ! こういうのって忘れたころにやって来るものなんだよ。
つまり、鷲・襲・来!
ヤシガニとたまたま遭遇した蟻が必死で逃げているといきなり襲ってきた! とっさの出来事だったから碌に行先を探ることもできなかった。
しかし、ここで鷲の行動パターンについてある一つの仮説を立てることができた。
まず孤立している奴を狙う。一人でいるやつの方が狩りやすいのは当然だ。
そして敵の巣を襲う場合は無理をしない。ヒトモドキの村を襲ったがあっさり撤退したことからの推測だ。
そして、鷲が襲うのは他の魔物と争っている魔物じゃないのか? 少なくとも今年はそうだった。一部のゲームを遊んでるとわかるけど、敵を倒すコツは他の敵と戦っている敵を攻撃することだ。いわゆる漁夫の利って奴だ。
鷲も魔物である以上知能は高く、原始的な罠には引っかかる可能性が低い。もっと凝った罠じゃないと。例えば、わざと戦っているふりをすれば奴を釣れる可能性はある。