永い帰宅
この時間の電車は疲れる。
仕事が終わって、満員電車を避けるために時間を潰してから乗ろうとすると、夜も更けて眠くなってくる。
電車の揺れがそれを助長してきて、座れている分余計に。
気付くと長いトンネルの中を電車が走っていた。
寝ていたらしい。
車内には私と、向こうの方でイビキをかいている中年サラリーマン1人。
またウトウトしてきて、寝たらまずいと思い、席を立った。
人の視線はないので、少しその場で体を伸ばし、屈伸したりした。
その時、隣の車両に目を向けると、赤いランドセルを背負った女の子がいた。
こんな時間に…?
隣の車両はその女の子一人で、その子はドアの横に立ち、ただただトンネルの暗闇を見つめていた。
「こんにちわ」
声をかけると、その子は、ビクッと肩を震わせ振り向く。
「びっくりさせてごめんね。こんな時間に一人だったから、お母さんとかはいないの?」
夜も11時を過ぎるというのに小学生が一人なのは誰が見てもおかしい。
女の子はブンブンと首を横に振った。
一人なのか…。
「こんな時間に一人は危ないよ?親が心配してると思うし」
けれど女の子は、無表情でこちらの目をじっと見つめるだけ。
「お名前は?」
沈黙が続くのは嫌だったので、名前を聞いてみる。
「筒野舞」
女の子はそうはっきり答えた。
「そっか、舞ちゃんっていうのね。私は静って言います」
つい、自分の名前も名乗ってしまう。
というより、女の子が喋ったことに少なからず驚いた。
なんとなく口を利くとは思わなかったのだ。
結局、どこに住んでるか、親はどうしてるのか、色々聞いてみても頚を横に降るだけだった。
昨日のあの女の子は大丈夫だったのだろうか、そう考えながら満員電車の中に揺られている。
昨日は最寄り駅を寝過ごしていたお陰で割りと危なかった。
満員電車は嫌だけど、しょうがない。
席に座ることも出来ず、つり革と一緒に揺れながら、それでも仕事の疲れも相まってウトウトとしてしまう。
そして気付くと人はほとんど居なくなっていた。
「えっ、うそ!」
つい声を出してしまう。
誰もいなかったから良かったものも、少し恥ずかしかった。
まさかまた寝てしまうなんて…。
そんな自分に自己嫌悪を感じる。
何となく隣の車両を見てみたが、ランドセルを背負った女の子は居なかった。
当たり前だけど、少し安心している自分がいる。
昨日のあの子、舞ちゃんは少し不気味だった。
まぁ、そんな連日も女の子が電車に乗ってるなんてことは無いだろうと、自分を納得していると、
ピリリリッピリリリッ
と、遠くで電話がなる音がした。
誰かが話しているのだろうか。
こんな時間帯だから、車内で電話しても咎められないだろうけども。
なんて思いつつ、反対側の車両を覗いてみる。
そこには女子高生らしき女子がケータイを耳に何か喋っていた。
こんな時間まで、夜遊びでもしてるのかしら。
スカートを膝よりも高い位置まで短くして、何が入っているのか割りと大きなリュックサック、楽しそうに友達と話してる姿をみると、高校時代の自分を思い出す。
ふと、振り返った女子と目があってしまった。
彼女はケータイを閉じ、こっちの車両に歩いてきた。
え、なになに。
「女性がこんな時間まで一人でいるのは危ないですよ」
その女子高生は、笑顔でそんなことを言ってきた。
いや、貴女に言われたくないですよ。
唐突に話し掛けてきた彼女に、私は驚いて何故か言葉がでなかった。
そんな様子を面白そうにして笑う彼女。
その笑顔は素直にかわいいと感じた。
「そこまで笑わなくても…」
「あ、すいません。口パクパクさせてるの面白くって」
笑いながら言う彼女に、そこまで嫌な感じはしなかった。
そしてまた、気付くと寝落ちしている自分がいる。
もう何度目だろ。
「もう何度目だろ」
また電車はトンネルを走っている。蛍光灯が勢いよく通り過ぎる光景を何回も見ている。
なんか、ずっとトンネルの中にいるような…。
「こんばんわ」
声のした方に向くと、そこには腰の曲がったお婆さんが座っていた。
「お久しぶりですね」
そう言うお婆さん。
この人と昔会ってたっけ。
ぼんやりした頭で考えるが、思い出せない。
「すいません。どちら様か分からなくて」
ゆっくり首を振るお婆さん。
「無理もないですよ。もう結構な昔ですから」
そんな昔…、私が小さい頃だろうか。
「貴女はいつまでここにいるつもりですか?」
ん?なんだ。なんと言った?
「いつまでって、最寄り駅までですけど」
お婆さんは私の目をじっと見てくる。
その目に何となくの見覚えがあった。
「………舞ちゃん?」
「最後に会ったのは、大学生の時でしたね」
お婆さんは昔を思い出しているような、懐かしむ感じで言う。
そうだ、このトンネルで、今まで何回も年の違う女性と会っている。
勢いよく流れる蛍光灯が通り過ぎる度に、記憶が蘇ってきた。
ランドセルの女の子、制服姿が初々しい中学生、スカートが短い女子高生、私服姿でほろ酔いになったいた女子大生。
「小さい頃、この電車に乗るとよく、寝落ちしちゃうですよ。それで、気付くといつもそこに貴女がいた」
お婆さんが静かに微笑む。
「昔からこの線路には都市伝説があるらしくって、終点ない電車、なんて呼ばれてたんですよ」
終電のない、電車。
「貴女は、最寄り駅で降りた記憶がありますか」
寝起きの頭に水をかけられたような、衝撃が走る。しかし、恐ろしくそれを理解している自分がいるのも確か。
そう、私はここで…。
お婆さんは席を立ち、私の前に来る。
気付けばトンネルは抜けていた。
見覚えの町並みが広がっている。
「そろそろ降りますか」
そう聞いてくるお婆さん。
私は、はい、と返事をして永い帰宅を終わらせた。
女性の姿は、ドアをくぐると消えていた。
久しぶりにこの町に戻ってきたら、また会えるとは思っていなかった。
昔ここで、何があったかはわからない。
普通の女性にしか見えなかった。
口をパクパクさせて驚いている彼女は、生きてる人間そのものだった。
彼女は、静さんはあの電車の中で何を考え、何を思っていたのだろう。
電光掲示板には、もう次の電車は表示されていなかった。