024 解けた呪い?
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「ほう。上手いものじゃないか」
サフランが柵に凭れてヒュ~と口笛を鳴らすと、駈歩だった白っぽい方のラバが、スピードを落としながら近付いていく。
「サフランさん!こんにちは。今日はお仕事、もう良いのですか?」
「ああ、今日は午前中に会長との仕事を終えて昼イチの客の相手までで勘弁して貰った。服売場の連中にはいつまでも私に頼りきっていては困るからな。それにしても、シャイニーちゃん。駈歩でも問題無さそうだな」
「ええ。この子、とてもお利口さんで、ウチの言う事を聞いてくれるから...」
通常の移動しか想定していない二人にとって、駈歩が必要になる事はそう滅多にないだろう。なので、更に速い襲歩(=ギャロップ)は先ず練習する必要もないし、ラバには人を乗せてのそれはキャパシティオーバーなのでやらない予定だ。シャイニーの順調な訓練にウンウンと頷くサフランは、それに引き換え...と、もう一頭の方を見る。
俺はこの時、茶色い方のラバがロデオよろしく跳び跳ね捲るのに必死になってしがみついていた。調教に付いていたおじさんは既に静めるのを諦めて安全圏に避難している。これ、振り落とされたらマジで死ぬ。ホント冗談抜きでマジで死ぬ!大事な事なので二度言った!
こんのヤロー!絶対落とされねぇからな!
「全く。いつまであんな事してるんだ?」
「そうは言っても、ミール、ルー君にはいつまで経ってもあんな感じで...どうしてなのか、ウチもよく分からなくて...」
「ふ~む。試しにシャイニーちゃんがあっちに乗ってみたら?」
「ええ...試そうとしたんですけど...ミールに乗ろうとしたら、ヤキモチなのかメーラが乗せないように邪魔を...」
ああ、と顔を顰めるサフラン。この二頭に拘ったが故の弊害か...と格闘する俺から目を離し、この二頭に決める要因となった少女にやれやれと目を向ける。その目は、この娘が我が儘を言わなければあれ程苦労はしなかっただろうに...と言っていたが、当の本人はそれに気付かない。しかし、それもこの娘だからこそか、と納得もしていた。何が、ではなくて何となく、ではあるが。
「...なあ、シャイニーちゃん。アレを止める手立てはあるのか?」
「まあ、無くはないです。疲れ果てるまでああして暴れるか...こうして...」
と、メーラに与えていた水桶とは別の水桶を柵の近くに置き、暴れラバの名を呼ぶ。
「ミール!お水よ~!いらっしゃい~!」
すると途端にヴィ~~~~ンとひと鳴きしてタッタッタっと寄ってくる。
背に乗る俺は助かったと胸を撫で下ろすが、ここで油断してはいけない。この駄ラバが柵越しに水を飲み出すまでは気が抜けないのだ。昨日、シャイニーがこうすると大人しくなる事を掴んだのだが、その後に三度は振り落されていた。そして昨日最後に落とされた時、体力の限界だった事も重なって腕に軽い擦り傷を負ったのだった。
「ああ、サフランさん。どうも。今日は少し早かったんじゃないですか?」
「...大丈夫か?トゥルース君。膝が笑ってるぞ?」
「あはは。今日は何とか一度しか振り落されずに済みましたから」
「...そ、そうか。頑張ったんだな。だけど...それ以前にコイツの機嫌を取る事の方が先じゃないか?」
「あ...そうか、その方が早いのか」
「おいおい、確りしてくれよ?これじゃあ、本当にこの牧場の住人になっちまうぞ?」
「あ~、それは勘弁ですね」
「まあ、頑張れよ。ま、それは置いておくとして、早くに見に来れたのは、ちょっとあってな」
サフランの顔が曇るのを、ちょっと?と俺とシャイニーが首を傾げる。
はて、何かあったのだろうか。
「今日も王宮へと石の売り込みに行ったんだけどな...食い付きが悪いどころか一目見る事もされないんだとよ。今まで、見せに行った宝石類は一通り目を通してた王妃ですら。レッドナイトブルーを欲しがっていた王女に至っては姿すら見せなかったってな、会長がそれに触れてみたんだけど、急に険悪な雰囲気になっておめおめと帰って来たんだ」
「えっ!?それって...」
「ああ。シャイニーちゃんが指摘していた、王族の呪いが起こって王女が行方不明になったのでは...と、会長やエスピーヌと意見が一致した。他の王女絡みの嗜好品も注文がハタと止まったのが決定的だ。それも隠しておけない程、王宮は混乱しているようだな」
「って事は、何?今後も暫く王族が石を買わない可能性が濃いって事?」
「ああ、そうだろうな」
「じゃあ、石を売る期を逃したって事?ま、まさか...返品って事は...」
項垂れるサフランに、俺は最悪のシナリオを頭に描く。事によっては宝石どころではない!と商談を白紙に戻すと言われるかも知れない。だが、そんな俺の不安にサフランは首を横に振る。
「ああ、それは無いよ。既に取引は成立しているし、あの石の大きさなら一般でも潤っている者なら買える値段で並べられるからね。ま、商会としてはより良い装飾を施して高く買って貰えるお得意様に買って貰えなさそうってだけだから」
「え?それだけ?」
「石が、宝石が、宝飾品が暫くの間、王族に買って貰えないだろうって事で、会長が暫くは儲けが減りそうだって酷く落ち込んでね。雑用を光の速さで片付けたかと思ったら、ヤケ酒を飲み始めていたよ。ただ、こういう時の会長はいつもなら例の呪いに要注意って事で私も会長から離れる事が出来ないんだけど、今は全くその兆候が無くてね。どうしたもんだか...エスピーヌはもしかしたら何らかで呪いが解けたのでは?なんて言ってるけど...」
こうして自由になれるから何でも良いんだけどね、と肩を竦める。
「...呪いが...解けた?そんな事が?」
「ん?シャイニーちゃん、気になるのかい?そうだな...実際、二人とも見ただろ?会長の呪いは」
サフランの説明によると、前にも聞いたように若い男子を見るとその者を性的に欲するようになると言う呪いであり、最近ではある程度は自己でコントロール出来つつあるが、何かしら深い繋がりがあった相手であったり、自己の喜怒哀楽が爆発した時等はコントロール不能に陥り易いと言う。ところが今回、お伽話クラスである王族の呪いに直面し、エスピーヌ他商会の経営陣との話し合いで静観するしかないと早々に結論を出すとそれほど多くなかった決済の書類をサッと片付け、早々に酒に走った。エスピーヌを巻き込んで。
それまでに店内で若い男の客とすれ違いもしたし、店員にも何度もアガペーネに襲われかけながらも勤め続けている若い男に酒を用意させていたにも関わらず、呪いの症状が全く見られなかったと言うのだ。念の為に、籠った応接室前に手の空いていた護衛を立たせてはいるが、今までであれば確実に発動していたであろう今回の状況であるにも関わらず、その出番は無さそうである。
これには商会の経営陣だけでなく、店員たちも首を捻るばかりであった。呪いが発動しそうな時は店内に素早く合図が流れ、最低でも客に被害が及ばないような体制が整えられる。今回もアガペーネが戻る直前に、客に知られる事なく警報が流されたが、一向にそのような事が起こる気配もない。それどころか平気な顔で酒やつまみを自ら調達していたのだから。厳戒態勢は一瞬で終わり、念の為注意を払う程度に収まっているが、これまでこんな事は無かった。警報が流れれば十中八九、護衛や経営陣が訓練通り客に知られる事なくアガペーネを拘束していたのだ。自己で押さえつけていたとしても、ここまで平気な顔で店内を歩いた事は今まで無かったのである。
それが今回は全く兆候すら現れない。もうこれは呪いが解けたのでは?という関係者の見方であった。勿論、油断は出来ないが、この様子であればもしかしたら...と思わざるを得ない。
「会長の様子が変わったのはこの牧場に二人を案内してからなんだよねぇ。それまでに何かあったのか、この牧場に何かあるのか...とは言え牧場には何度も足を運んでいるからそれは無いと思うけど、ほら、あの白猫の件もあるから」
「ああ、あの人の言葉を理解する猫...でも、その猫って何日も前からここに姿を見せてるんですよね?只の偶然じゃ...」
「ああ、直接は関係無いだろう。実際、牧場に入る前にはスッキリした顔をしていたしね。店を出た時はまだトゥルース君を見る目が妖しかったから、この牧場に入るまでの間に何かあったと思うんだよね」
サフランの言葉に、あの時の状況を思い出しながら頷く俺とシャイニー。
確かに牧場に入る前には、それまでのヌメっとした雰囲気は霧散していたのだ。それまでの間、エスピーヌと会話をしていた以外で気になった事は何もない。
「ま、今の所は再発しないって保証もないから、今後も注意は必要だろうけどね。ところで話は変わるけど、シャイニーちゃん。あれはどれだけ作れた?」
「え?あれ?あ、ああ。はい、取り敢えず三組だけ...」
「三組?生地は七~八枚くらい作れる量を持ってったのに?シャイニーちゃん、裁縫は得意だって言ってたよね?」
「ええ。でも、今いっぺんに作ってしまうと直ぐに合わなくなるかも知れないから...」
「ああ、育ち盛りだからかい?確かに直ぐ大きさが合わなくなるかも。どんな形で作ったんだい?後で見せて貰えるかな?」
「ええ。良いですよ」
サフランとシャイニーの不明瞭な会話に俺は首を捻る。裁縫?何か作ってたっけ?そんなところは見てないから知らなかったけど...
「何を作ってたんだ?シャイニー」
「えっ?ええっと、その、下着を...自分に合った胸当てを作ってたの。ついでに下も...」
頬を赤らめて恥ずかしそうに俺の問いに答えるシャイニー。あちゃ~、こりゃ聞いちゃいけない内容だった。シャイニーとしては誤魔化したかったのだろうけど、その資金源が俺だったから答えないと!と思ったのだろう。悪い事をしたな。
「トゥルース君、そこは聞いてやるなよ。気が利かないね」
「ええっ!?今の俺が悪いの?どっちかと言えば、俺の前でそんな事を聞いたサフランさんが悪いんじゃないの!?」
「ああん?私が悪いだって?そんなの会話の内容から察するのが良い男ってもんよ」
「そんな無茶な!」
俺とサフランが良い争いを始めたので、シャイニーが慌てて止めに入るのだった。
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