016 離れたくないよ
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...どうしてこんな事になってるんだろう。
...意味が分かんないよ。
ルー君に婦人服売り場に放り込まれたウチは、数人の係員に囲まれると試着室の方へと拉致された。そして現在、七着目を試着中。途中でサフランさんが加わった事で試着予約された服の数が一気に増えており、今もハンガーラックにずらずらと増殖中。
...意味が分かんないよ。
「ほら、シャイニーちゃん。ゆっくりしてらんないからね。この後、牧場に行く予定があるんだから。のんびりとしてたら今日中に終わらないよ!」
ハンガーラックに更に5着くらい追加しながらサフランさんが声を掛けてくる。チラリとウチの着ていた服を見ると少し顔を歪めて、これはボツだねとぼやいている。うん、ウチもこれは趣味じゃないから意見が合ってホッとした...じゃなくて!
...意味が分かんないよぉ。
「はい、次はこれに着替えて!」
「分かりました...じゃなくてっ!サフランさん!ウチ、何も聞いてないんですけど!何故また試着させられているか分かって無いんですけどっ!」
当たり前のように新しい服を受け取ったウチは、今の状況を確認すべくサフランさんに問い詰める事にした。この人なら何かしら知っているかも知れない。でも返ってきた答えにウチの疑問は晴れる事が無かった。
「さあ。私はシャイニーちゃんの夏服を数着と、涼しい所に行った時の為の上着を一着選んで欲しいと言われただけだよ。スカートじゃなくパンツルックって条件付きだけどね。でも、それじゃあつまらないから、パンツルックにスカートの重ね履きって手もあるんだよね」
...意味が分かんないよぉぉぉ。
でも、ルー君の係員さんへの要求は分かった。これ...また服を買って貰うパターンだよ?確かにこれから夏になるから、今の服じゃ暑いって分かるけど...そんなの、ウチは古着で充分なんだよ?態々新しい服を買う事なんて無いんだよ?意味が分かんないよ?今すぐルー君を捕まえて真相を聞いておきたい...んだけど、ここから逃げ出せないよぉ。たぶん、いるのは三階。さっき、そう言ってたから。階段ひとつ先にいるって分かってるのに...ルー君が遠いよ。たぶん、三階の用事が終わっても紳士服売り場に行くんだろうって分かってるよ。分かってるけど、行けないよぉ。直ぐそこなのに、遠いよぉ。無駄遣いは駄目なんだよぉ。ルーくぅん!
それから何十着と数えきれない服を着させられ、抜け殻のようになったウチ。
目の前には6着の服が篩に掛けられて残っていた。それと、この事態を引き起こした原因の人物も。手には昨日見たのと同じ袋と、新しい荷物用の大きな背嚢が。
「...るぅくぅん、タスケテ。もうウチ...タエラレないよ?」
思わず弱音が出ちゃったけど、仕方ないんだよ?だって普通は数着の試着でも疲れるのに、サフランさんが加わって数十着の試着を熟したんだからっ!一度味わってみると分かると思うよ?一度味わってみようか?一度味わってみようよ。ね?
何?目のハイライトがどうしたって?モデル職の人だってこんな短時間でこんなにも熟さないと思うよ?モデル職?モデルって何だっけ?
「...ニ...ー、ニー!?シャイニー!!」
「...ぇ?あ、あれ?ウチ...あれ?」
「ニー、どうしたんだ?疲れたのか?」
顔を顰めて覗き込んでくるルー君...だけれど、ち、近いよっ!顔が近いよっ!あ~。ルー君の手がひんやりして気持ち良い...って、いつの間に額に手が!?おでことおでこじゃなかったのがちょっと残念だけど...って、残念って何!?ウチってば、どうしちゃったの!?ひゃ~!!顔が熱いよっ!!
「う~ん、熱を出した訳ではないみたいだけど...お酒でも残っていたのか、疲れなのか...この後の移動は大丈夫かな?」
「ウ、ウチは大丈夫だよ!」
「...本当に?無理してないか?」
じっと目を見て聞いてくるルー君...だからっ!ち、近いよっ!顔が近いよっ!頷こうとしたけど、これだけ近いとおでことおでこが衝突事故を起こすよっ!ウチは辛うじて、うんと顎を引きながら返事を返すのがやっとだよ!
「う~ん、そうは見えないけど...まあ熱は無さそうだから、大丈夫って言うんならそれを信じるけど...もしそうでなければニーは宿で留守番だから、な?」
「ええっ!や、やだっ!ルー君に付いてくっ!ウチを置いてかないでっ!」
やだやだやだやだやだっ!!一人っきりだなんてやだっ!置いてかれるなんて、また捨てられるなんて、やだっ!ルー君と一緒じゃなきゃやだぁ!!
「...ニー。心配すんな。今日はまだ王都からは出るつもりは無いよ。牧場で買い物したら結構良い時間になるだろうから、移動はしないつもりなんだ。その...夕べはおかしな格好で寝てただろ?風邪でも引いてないかと心配していたんだ、具合が悪いなら宿でゆっくりしてれば良い。その間に俺は用事を済ませてくるから」
「それでも!それでもウチはルー君に付いてくっ!それにウチは大丈夫だからっ!」
必死だった。何がそうさせたのかは自分でもよく分からない。いや、ウチが捨てられて孤児院に入っていたのが原因なんだと思う。
孤児院を放り出された日に、偶然ルー君と出会った。それからずっと安心して寝られる温かい場所を与えてくれた人が、他の誰でもないルー君。もう、あの頃のような辛い生活には戻りたくない。
その為にはウチも強くなるしかないのだけれど、たぶんウチにはそれは叶わないと思うんだ。ルー君はそんなウチを黙って受け入れてくれる。
本当はそれに甘え続けてはいけないんだろうけど、たぶんウチはもうルー君なしでは生きていけないと思うの。ルー君に依存しているって自覚しているけど、もうルー君と離れる事なんて考えられないの。いつかルー君に好きな人が出来ても、お手伝いさんだろうが愛人さんだろうが、何でも良いから、ルー君のすぐ傍にいたいの。ルー君の役に立ちたいの。ルー君はウチの...ウチの恩人なんだからっ!
「...やっぱり今日のニーはおかしいな。どうしよう、牧場に行くのは明日にするか...」
ルー君が縋る様に抱き付くウチの頭をポンポンと優しく手を置いて撫でてくれるので、少し落ち着いてきたのが自分でも分かる。うん。ルー君の言うように、今日のウチは少しおかしいかも。すると、それを見ていたサフランさんが戸惑いの声を掛けてきた。
「...なあ、トゥルース君。シャイニーちゃんと何かあったのか?ちょっと尋常じゃないだろう、これは」
「いや、俺も詳しくは聞いて無いんですけど、たぶん孤児院で色々とあったからだと思います」
「...本当に?昨夜、酔ったシャイニーちゃんをどうにかしたんじゃないだろうね」
「えっ!?い、いや!俺は何も!あの後、直ぐに二人とも寝たからっ!」
慌てるルー君に、本当に?と疑いの目を向けるサフランさん。ウチもルー君を擁護しようとするんだけど、嗚咽しちゃって巧く喋れない。
「でも今、おかしな恰好で寝てたってところで言い淀んでたけど...何があったんだ?何をしたんだ?」
「いや、何もなかったからっ!お、俺からは何もしてないからっ!本当に直ぐに寝たからっ!」
ウチの耳元でルー君の焦った声が繰り返し響く。...そうなんだ。やっぱりルー君は何もしなかったんだ。ちょっと残念|(?)だけど、ホッとしたよ。やっぱりルー君は信じて良い人だったんだよ。でも...その言い方は拙いかも。
「...俺からは?やっぱり何かあったのか?あったんだね?吐け。きっちり吐き出せ。寸分たがわず吐き出すんだよっ!」
ドスの利いたサフランさんの声がルー君に降り掛かる。ああっ!このままだとルー君が悪くなっちゃう!ウチが悪いのにっ!!
「ま、まって!サフランさんっ!グスッ...ルー君は何も悪くないのっ!ウチが悪いのっ!!寝る時にウチが...ふへっ!?」
と言い掛けて、ふと周囲の目に気付く。ひゃっ!そう言えばここはお店の中で、係員さんたちがウチの服選びに集まってたんだった。それに...他のお客さんたちまでウチの大声で何事かとこちらを見てるよっ!!注目を浴びてるよっ!!うひゃ~~~ぁ!恥ずい!恥ずいよぉ~~!!それにこんな注目されている中で、昨夜の事は恥ずかし過ぎて言えないよぉ~~~!!
「ん?寝る時に何だって?シャイニーちゃん?何があったんだい?って、顔が真っ赤じゃないか!やっぱり何かあったんだな?何か辱めを受けたんだな!?」
「ちっ!違うからっ!断じて俺は!何もしてないからっ!!」
ウチ越しにルー君を睨みつけるサフランさん...怖いよぉ!何とかサフランさんを宥めると、やっと落ち着いてきたので、ちょっとここでは...と周囲の目がある事を示唆すると、漸くその事に気付いたサフランさんが折れてくれた。
「まあ、それは後で問い質すとして...先ずは服選びだね。トゥルース君、数着って聞いてるけど、具体的には何着だい?」
「ええっと...着替えを含めて...夏服を3着くらいかな?そんくらいあれば足りるかなと...」
「...6着。」
サフランさんがルー君を睨んで一言、ドスの利いた声で言うと、ルー君が、え?と顔を上げる。
「上は6着。今、ちょうど厳選した夏服が6着ある。これ全部だね。あとパンツ2本、キュロットパンツ2本。それとスカート2枚。それと上に羽織るもの一枚。文句ある?」
「うっ!...いえ、ありません」
サフランさんの言い様に、ルー君はあっさりと同意するけど...。
「いや、駄目ですっ!買い過ぎです!無駄遣いです!!ウチ、そんなにもいりません!」
それをウチが否定する。だって...ウチの服で、そんなにもルー君に頼る事なんて出来ないよ!今でもルー君に負担を掛けてるんだし、これ以上は...。それに、どうしてこうなったのか、ウチは知らないんだよ?ルー君、ウチに対して怒ってたんじゃないの?どうしてウチの夏服を買う事になったの?
...意味が分かんないままだよ。
「いや、元々トゥルース君はシャイニーちゃんの服を買おうとしてたみたいだし、どこかやましい所があるみたいだからね。こんな時くらい貢いでもらっときな」
サフランさんがウチの方に向きつつ、ルー君を睨みながら、そう言ってくる。貢...ええっ!!男の人が女の人に貢ぐのって、女の人がそれに見合うくらい良い人とか、男の人に下心がある時くらいじゃないの?ウチの場合は文無しの遺児だし、顔に酷い痕があるから良い女とは程遠いし、下心があるなら昨夜に何かしらされていた筈。どれも当てはまらないよ?なのに貢ぐだなんて...益々、意味が分かんないよ。
「まあ枚数は予定外だけど、何れは買おうと思ってたんだ。なら品揃えの良いここで買う方が良いだろ?」
「えっ?でも、ウチは何も役に立ってないからこんなに沢山新品を買って貰う訳には...」
「いや。この仕事を続けていくなら格好もある程度は整えないとって思い直した。いつまでもみすぼらしい古着ばかりでは足元を見られちゃうから。ほら、俺だって服を何枚か新調したし。似合ってないかも知れないけど」
そう言いながら着ている服とソレの入った袋を見せてくるルー君。一緒に行くのならこれは命令、と付け足すルー君はやっぱり良い人だと思う。渋々それを受け入れたウチは、目新しい服を着るルー君を改めて見る。
清潔感ある真っ白なシャツにピンとした印象の良いスラックス姿。何か落ち着いた大人な男の人という感じ。格好良いな。それに感じの良いサマーベストを羽織っていて、肩に薄らと濡れた様なシミが...。そんなちょっと間の抜けたところがルー君らしい。
...濡れた様なシミ?
「ああっ!ウチ、ルー君の新しい服にシミをっ!!」
「え?シミ?あ、本当だ。ああ、さっきニーがくっついて来た時のか。まあ、仕方ないな。その内に乾くだろうし、気にしなくて良いよ」
「だ、駄目ぇ!乾いちゃったら取れにくくなっちゃう!」
大変!直ぐ拭かないと!そう思ってウチは手拭いを取り出すと、手をそのベストの中に潜り込ませてその痕にポンポンと当てて拭き取る。うう~、泣きたくなってきたよ~。
何とかシミが分からなくなる位に拭き取れたよ。これからは気を付けよう。そう思いながら、ふと周囲を見ると...え?何?みんなの目が...。 何か注目されたままナンデスケド?
「...本当に何もなかったんだよね?間違いないよね?もし何かしてたらただでは置かないって言っておいたよね?」
「本当に本当ですって!ああ...だから気にしなくて良いって言ったのに...」
その後、着ていた服以外を袋に詰めて貰い、支払いをして貰った。
...今更だけど、本当に買って貰って良かったのかな?88000ウォルだって聞こえたんだけど。それだけあれば食費2ヶ月分...いや4ヵ月分あるかも...。 というか、婦人服売り場が凄い事になってる気がするんだけど...。 この階にいた女性客みんなが集まっちゃってないかな、あれ。
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