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73 神保町

 すみれはそんなことは知らなかった。つまり、御巫遠山が殺されたことなどつゆ知らず、高川先生が自殺したという自宅に向かって歩いていたのである。

 学者らしいことに、高川先生の自宅は神田の神保町の付近にあった。

 神保町は相変わらず、学生らしき人影に満ちていたが、残念ながら、書店内にはほとんどその姿はなかった。覗き込めば、学者らしい男性たちが、並んで本を読んでいた。

 すみれは時間を余していたので、古本屋に入店すると、店主は、いらっしゃいませの言葉もなければ、こちらに関心を抱いている様子もなかった。すみれは、ただ背表紙を眺めるだけで店を後にした。

 この喧騒の中で生きてゆくことは、すみれには想像もつかなかった。すみれの記憶の中の街は、いつだって前橋だけだった。東京に訪れる機会はほとんどなかった。だから、憧れてはいても、いざ来ると違和感を感じてしまうのだった。それが東京というものだった。


 そんなことを考えているうちに、先ほどよりもずっと静かな通りに出た。その先に、白い塀が続いている大きな居宅があった。それが高川先生の家だった。

 すみれはインターホンを鳴らした。六十代ぐらいの優しそうな女性が出てきた。

「お待ちしておりました」

 すみれは、おきまりの笑顔で対応した。笑顔には、少しだけ自信があった。澄ましていれば、美人だろうし、控えめに笑えば、可愛らしいくせに、すみれは大袈裟な笑顔を振りまく癖があった。それは、子供みたいで愛嬌があった。

 金持ちの家というものは、直に見ると、もう何が何だか分からなくなるものだった。どの家具が高いとか、色々、考えてしまうのだが、結局はどの家具も高いのだった。

 シャンデリアを見つめながら、すみれはその六十代の女性と少し会話をした。

「実はですね、この度、博物館の特別展の記事と併せて、高川先生の研究についての記事も載せたいんです」

 すみれは事務的に状況を説明した。

「そうなんですか、まあ、主人も喜びますよ……」

 その六十代の女性は、高川先生の妻で、登紀子と言った。最初はもちろん、高川先生の生前の話が中心となった。


「主人はね、何か隠し事があったようね」

 と高川登紀子が断言してきたので、すみれはてっきり不倫の話かと思った。

「隠し事をしていたのですか……」

「ええ」

「それは許せないですね。どんな女性か、つまり相手のことは奥様はよくご存知ですか?」

「女性? な、なんです? ちょっとよく分からないのですけど」

 すみれはしまったと思った。また、やってしまった。これは高川先生が不倫をしていたという話ではなかったのか。

「隠し事があったというのは、何故分かるのですか?」

「主人はヘビースモーカーで、吸わないのなら死んでもいい、というぐらいなんです」

「ええ。でもそれなら……」

「その主人がぴたりと煙草を止めてしまったんです」

「健康的じゃないですか……」

「それなら良いです。でも、主人は煙草を恐れていました。あんなに吸っていたのに、きっぱり止めてしまった」

「煙草を吸えなくなったとか?」

「そうかもしれませんね……。でも、よくは分かりません。主人は、煙草と灰皿を目に見える意味に置くのが嫌で、ついにはすべて捨ててしまいました」

 すみれは頷いた。そして、こう尋ねた。

「それはいつのことですか?」

「十六年前のことです」

 ……その時、すみれは十六年前に起こったことを知らなかった。

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