67 煎餅と根来
祐介は布団に入り、眠気に襲われながらも、まったく眠れなかった。何しろ、目の前には根来が胡座をかいているのだから。事件が起こるかもしれないという緊張感が、否応なしに漂っていたのである。
そんな時だった。根来ははっと何かを思い出したように立ち上がった。
「そういえば、すみれが変なことを言っていたな」
「なんですか?」
祐介は、目をこすりながら尋ねた。
「八年前の事件と同じ頃に、高川とかいう学者が自殺しているらしい」
「御巫遠山の知り合いですか?」
祐介が尋ねると、根来は腑に落ちないような表情で「うん、どうかな」と言った。
「とにかく、捜査線上に上がって来なかった人物だ」
「また、すみれさんが調査をしているんですか?」
根来はちょっと困ったように笑うと、
「俺の娘だからな……」
と言った。
根来は、携帯電話を出すと、すみれに電話をかけた。しばらく、着信していたが、ピタリと止まって、
『私です』
という声がした。
「俺だ」
『お父さん?』
「お父さん以外に俺はいないだろ」
祐介は耳を疑った。どういう理屈なんだ、それは。
『そりゃそっか。まあ、いいや。それでね。何の用?』
「高川の件、調べたのか?」
『うん、まあね。高川って人が勤めていた天正院大学に行ったの。そしたらね。訳わかんないの。ねえ、胡麻博士って人、いるでしょう?』
「さっき、廊下にお札を貼ってたよ。それが何か?」
『うん、その人がね。天正院大学の教授だったの』
「そりゃ、驚くべき話じゃないか。本当か、すみれの見間違いか読み間違いじゃないか?」
『本当だって。まあ、それで明日、高川さんのご遺族に取材することになったからさ。そっちも、胡麻博士って人に、高川先生のこと、聞いておいてよ』
根来は深く頷いた。
「分かった。聞いてみるよ。だけど、すみれ」
『何?』
「無茶だけはするなよ。すみれはいつも働き過ぎだからさ。もっと、自分の時間を大切にしなよ」
『大丈夫だよ。お父さん。私、無敵だから』
そう言うとすみれは電話を切った。根来は、その「無敵」という向こう見ずな台詞のせいで、余計、不安になったらしく、立ち上がって、おろおろと周囲を歩き回っていた。祐介は、布団のまわりをぐるぐる歩き回られて、とても眠れない。そこで、布団を頭から被ったのだった。
「根来さん。何だったんですか?」
祐介は、布団の中からごにょごにょ尋ねた。
「無敵だってさ」
「無敵?」
「ああ、すみれは無敵だって言ってた……」
祐介は、あまりにも話が見えてこないので、布団から顔を出すと、
「高川さんのことなんですけど……」
「ああ、その高川が勤めていた天正院大学にすみれが訪れたらしいんだが、どうも、そこが胡麻博士の勤めている大学らしい」
「何ですって?」
根来は頷くと、紙袋から醤油を焦がした香りがただよう煎餅を一枚取り出して、ばりっと音を立てて、噛み砕いた。
「ミッシングリンクは胡麻博士だったってことさ。しかし、俺はその高川って先生の自殺が、事件と関係あるとは思えないがな」
「胡麻博士に聞いてみるんですか?」
「ああ。明日な」
「今、行きましょうよ」
根来は答えずに、ペットボトルのお茶を飲んでいた……。




