60 盤上の問題
祐介の真横には根来が立っていた。
「犯人にやられたんだ。思い出してみろ。あの口寄せの言葉を……」
祐介の頭に、口寄せの時の言葉がよぎる。
「……見えるぞ……白に……黒の……そして……ご……ご……ご……私には見えるぞ……その人影が……」
なるほど、「ご」とは囲碁のことだったのか。それに白と黒。これは碁石のことだったのか。
祐介はそう解釈して、一歩、部屋に踏み込んだ。すぐに、碁盤の上に碁石が並んでいるのが見て取れた。これから、中盤戦に差し掛かろうというところであった。
「犯人と被害者は、ここで対局をしていたのでしょうか?」
「そうだろう。そこに碁石が並んでいる通りだ。その点から、犯人は絢子さんと顔馴染みの人物だったことが分かる。それに、囲碁が打てる人物だということも」
「対局の最中で、すっかり相手を信用しきっていた絢子さんは、突然、相手に首を絞められた……」
根来はその言葉に頷き、碁盤に近づく。そして、盤面をじっと見つめると、
「中盤戦に入ったばかりというところだろう。黒石があからさまに優勢だ。白石は全体的に押されていた……」
「まさか、碁で負けそうだったから、絢子さんを殺したというわけではないでしょうね」
それは祐介のブラックジョークだった。しかし、根来は笑わなかった。
「この碁盤や碁石は、元々、この部屋にあったものだ。知り合いならば、絢子さんが碁を嗜んでいたことは誰でも知っていたらしい。そこでだ、殺人事件が起こった翌日に、絢子さんを訪ねて、碁を打とうなどとする相手は誰なのかという話になる」
確かにその通りだ。よほど親しい人間でもなければ、囲碁を打とうなどという話にはならないだろう。
「碁石の指紋は調べましたか?」
「まだだ。少し待て」
「まあ、犯人が指紋が残った碁石を現場に残していったりはしないでしょうがね……」
そう言いながら、盤面を見つめる。祐介は、黒石の形に見覚えがあった。この堅固な打ち方は胡麻博士の打ち方とよく似ていた。しかし、まさか彼が……。祐介は、頭に浮かんだ考えを慌てて振り払った。
「しかし、来客があったのなら、なぜ善次さんがそのことを知らないのです?」
「善次は、自室に引っ込んでいた。呼び鈴はならなかったらしい。絢子さんと犯人は、善次に秘密で会ったのかもしれん……」
親のいる自宅で、恋人と密会したとでもいうのか。祐介にはよく分からなかった。絢子も子供ではないのだし、不倫でもなかったら、わざわざ秘密にする必要もあるまい。また、そのようなことであったら、なおさら、自宅で会うのはおかしい。
「とにかく、よくこの盤面を見ておけ。この一方が犯人であることは間違いないのだから……」
根来はそう断言すると、絢子の死体を見下ろした。
「絞殺だ。死亡推定時刻は三時前後といったところだろう。それとだな、台所に牛乳の付着したコップが置かれていた。絢子さんは、死ぬ前に一階に降りてきて、牛乳を飲んだらしい……」
「牛乳ですか」
それは祐介には、どうでもいいことのように思えた。
その後で、鑑識が盤上の碁石の指紋を調べた。そして、根来にすぐに報告をした。白石には絢子の右手の親指、人差し指、中指の指紋が残っていた。そして、黒石には尾崎蓮也の右手の親指と人差し指の指紋が残っていたのだという。
「なんだって……? 黒石に尾崎蓮也の指紋が……?」
根来の眼に、爛々とした炎が灯った。
「根来さん。指紋が残っていたとしても、彼が犯人とは断定できませんよ」
「ところが羽黒、そうもいかんのだ。考えてもみろ。絢子の部屋にあった碁石に、尾崎蓮也の指紋が残っていたということは、少なくとも、あいつはこの部屋に訪れたことがあるということだ。ところがね、善次の話では、尾崎は半年ばかりこの家に訪れていないんだ!」
「なんですって……」
これには、祐介も驚きを感じた。
いよいよ、根来の情熱は、不動明王の業火の如く、赤々と燃えたぎっていたのである……。




