57 アリバイ問答
五色荘の居間において、羽黒祐介と根来拾三が向かい合って座っている。これより、アリバイに関する論争が行われようとしていた。
「羽黒。尾崎蓮也が犯人であることは明らかなんだ。容疑者の中で、やつだけに犯行が可能だった。やつにはアリバイがなく、男性であり、そして殺害現場である三途の川の底からはやつの所持品の腕時計が見つかっているんだ……」
根来は、さも勝利したように、満足げに語った。ところが、羽黒祐介はこれについて、否定的な見解を示した。
「確かに根来さんの仰る通り、この状況では、尾崎蓮也はきわめて疑わしい人物に思われますね。その理由は、第一に、殺害現場から彼の腕時計が見つかったことで、第二には、彼にアリバイがなく、男性であるという点です。しかし、犯行が可能なのは本当に彼だけなのでしょうか? 僕には、この点が非常に疑わしく思えますね」
そう言った上で、祐介はアリバイに関するメモを再び取り出してきた。
*
絢子 (アリバイなし)
12:00〜12:50 口寄せの部屋、居間。
12:50〜13:40 日菜と五色温泉で入浴。
13:40〜14:30 自宅へ向かい帰宅
・善次 (アリバイあり)
12:00〜12:30 口寄せの部屋、居間。
12:30〜13:35 彼岸寺を出る、自宅、移動
13:35〜14:00 松岡(兄)宅
14:00〜14:30 帰宅
・月菜 (アリバイなし)
12:00〜14:00 彼岸寺の別室で睡眠。
・信也 (アリバイあり)
12:00〜14:00 口寄せの部屋、居間。但し、四回外出している。
14:00〜14:30 自由時間
・胡麻博士 (アリバイあり)
12:00〜13:00 口寄せの部屋、居間。
13:00〜14:30 里田百合子と共に五色村資料館へ。
・里田百合子 (アリバイあり)
12:00〜13:00 口寄せの部屋、居間。
13:00〜14:30 胡麻博士と共に五色村資料館へ。
・法悦和尚 (アリバイあり)
12:00〜14:00 口寄せの部屋、居間。
14:00〜14:30 自由時間。
・尾崎蓮也 (アリバイなし)
12:00〜13:00 口寄せの部屋、居間。
13:00〜14:30 彼岸寺を出る。帰宅
・哲海 (アリバイあり)
12:00〜13:00 口寄せの部屋、居間
13:00〜14:30 寺務所へ
(13:40〜14:00)寺務所で、ジャジー松岡と電話。
*
「今回、三途の川の底から尾崎さんの腕時計が見つかったということは、それ即ち、尾崎蓮也さんが犯人だということを意味しているのではありません。あの時、彼岸寺にいた何者かが、彼の腕時計を盗んで、犯行現場に意図的に残していったのだとも捉えられるのです。もちろん、尾崎さん自身が犯人だという可能性も捨てきれませんがね。いずれにしましても容疑者は、この時、彼岸寺にいた九人に絞られるのです」
「確かにその通りだ」
根来は、少し不服そうではあったが、仕方なく頷いた。
「この九人の中で、アリバイがないのは、尾崎蓮也さん、絢子さん、月菜さんの三人だけです。したがって、犯人はこの三人の中にいるというのが常識的な判断でしょう。さらに、犯人は橋の上で日菜さんを絞殺した後に、その死体を手すりの上まで持ち上げて、川に放り込んだのだと思われます。だとしたら「犯人は腕力のある男性だ」と推理ができます。つまりは、三人の内、唯一、男性である尾崎蓮也さんこそが犯人だという論理が成り立つわけなのです……」
「いかにも!」
根来は、さも嬉しそうに声を上げた。
「ところが、先ほども言いましたように、日菜さんがはじめから橋の手すりの外側に立っていたという場合、犯人は、彼女の体を持ち上げる必要がなくなります。この場合、女性が犯人だという可能性も出てくるのです。つまりは、絢子さんや月菜さんにも、犯人の可能性が出てくるわけです」
「……まあな。しかし、その状況は不自然だと思うが……」
ちょっと困惑したように、根来は曖昧な返事をする。
「ええ。確かに、その状況には不自然な点があります。ですから、これは、あくまでも可能性の問題です。しかし、この可能性があることによって、尾崎蓮也犯人説の根拠が揺らいだことは間違いありません。その上でさらに問題となるのは、その他の人間のアリバイです」
「そうだ。みんなにはアリバイが成立している……」
祐介は、すかさず首を横に振る。
「ところが、僕はそうは思わないのです。まず、前提として押さえておきたいのですが、今回、犯行時刻と推定されているのは、午後一時四十分から二時までの二十分間ですよね。さらに、五色温泉から殺害現場まで被害者が移動した時間を含めると、午後一時五十分から二時までの十分間こそが、犯行が行われた時刻と推定されています。しかし、こう考えたらどうでしょう? 殺害場所が実は、もっと彼岸寺や五色温泉と近い場所だったとしたら」
「……つまり、彼岸寺の庭あたりで日菜さんが殺されたのだと?」
そう言う根来の言葉には、腑に落ちていない響きがあった。
「……ええ。その場合、十分の移動自体は想定しなくても良いことになります。信也さんなどは四度、月菜さんの様子を伺うと称して、居間から退室していますよね。だとしたら、彼にも犯行が可能だったということになります。そして、彼は、二時以降になると自由になり、この時間のアリバイを持っていません。まさに、彼には、二時以降になってから、日菜さんの遺体を三途の川まで運ぶ時間的余裕があったわけです」
「なるほど。だとしたら、信也には犯行が可能だな」
これには、根来も頷かないわけにもいかない。
「次に、哲海さんのアリバイも疑問を感じます。彼のアリバイの中身は、電話による音声だけのものです。声が似た人物に自分を演じさせたり、内線などを駆使して、別の場所からかけていた可能性も否定しきれません」
「その点については、あらためて電話機の履歴を調べてみよう……」
根来の声には、完全に元気がなかった。
「また、善次さんも、午後一時三十五分からのアリバイはありますが、それ以前のアリバイはないのです。実際の死亡推定時刻は、午後一時から二時までということですから、彼にも犯行は可能だったわけです」
「しかし、午後一時四十分まで、日菜さんが生きているところを、絢子が目撃している。彼女の証言によってそれは確認されている……」
「ええ。確かに、日菜さんは午後一時四十分まで生きていたと言われています。しかし、その証言をした絢子さんは、善次さんの娘なのですから、この証言はどこまで信じられるか、正直、僕は疑問だと思いますね……」
……このようにして、祐介は、それまでアリバイがあると思われていた、さらに三人の容疑者のアリバイを、仮説的にも崩したのであった。




