47 五色温泉の日菜と絢子
絢子は一人で、五色温泉でのことを思い出していた……。これは絢子の記憶である。
絢子と日菜は、長い時間、暑い空気に包まれて、直射日光に当たっていたため、服の内側の肌がじっとりと汗をかいていた。
そのため、日菜が、
「あの、私、一人で温泉に入浴してゆきますから、お先、帰っていてくださいね」
言い出した時、絢子は、
「そうなの、わかった……」
と答えつつも、内心では惹かれるものがあった。
そして、日菜はカウンターの奥に引き込んでいるおばあさんを呼び出して、料金を支払った。ところが、絢子は、その時になって、やっぱり自分も温泉で汗を流したいと思い直したのであった。
「……ねえ、私も一緒に入浴していくわ」
と絢子は日菜に告げて、すぐさま、おばあさんに料金を支払った。
その時、日菜が困ったような表情を浮かべていたのが絢子の目に映った。絢子には、それがなんとも奇妙に思えた。
しかし、絢子は、
(この温泉の思い出に、一人で浸りたったのかな……?)
という程度の解釈をして、それ以上の追求をせずに、一応の納得をしたのである。
脱衣場に入ると、すぐさま、日菜は身につけている白いワンピースを脱いだ。
さらに、落ち着きのない不器用な手つきで、背中に手をまわし、自らの白いブラジャーのホックを外した。そして、肩から紐をするりと外して、それを脱ぎさると、籠の中に無造作に放り込んだのだ。
そして、彼女はやはり落ち着かない手つきで、履いているパンティの端をつかむと、膝下に引き下ろした。
それを足首から外して、右手で拾い上げると、やはり籠の中に放り込んだのだった。
その後、彼女は急いでいるような様子で、
「あの、私、先にお風呂に入りますね」
とだけ伝えると、絢子の返事もろくに待たずに、浴場に入っていったのである。
ところが、絢子は(そんなに、この温泉が懐かしいのかな……)と思ったぐらいで、特に不思議な気もしなかった。
遅れながらも、絢子は身につけている白いブラウスと、黒のスカート、そして下着を全て脱いだ。
こうして、一糸まとわぬ裸になった絢子は、湯気と熱気の立ちこめる浴場へと、悠々とした足取りで入っていったのである。
こういう時の絢子は、自らが芸術家であること、そして、ヌードモデルをしていたということもあって、堂々としている。
日菜がせかせかしていたのは、恥ずかしさがあったからだろう、と絢子は思った。
それに対して、絢子には自分のプロポーションに絶対の自信があったし、何よりも、ヌードを恥ずかしいものと思わないで、我が身を崇高な美術品だとわりきっていた。
確かに、彼女は全体に肉づきがよい体型で、西洋人みたいだった。くびれたウエストの下の、脂のよくのった大胆な腰つきが、甘美でエロティックな印象を与えるほどに美しかったのである。
絢子はどうかすると、ナルシストである。その証拠に、絢子は、西洋絵画に描かれているモデルの誰よりも美しいという自負があった。
絢子が、浴場に入ると、洗面台の前に座って髪を洗っている日菜の姿を見つけた。
(あら……)
ところが、それは絢子のナルシシズムを少しばかり打ち壊すような美しい光景だった。
見れば、白い泡が日菜の美しいうなじや首すじに垂れていた。また、その瑞々しい白い肌には、いくつもの水滴が浮かび上がって、それらが宝石のように輝いていた。
その可愛らしい日菜の横顔には、少しばかり深い影が差していた。
髪を洗うために、上に向けられた細長い腕。その脇の下から覗かせている、色の白い膨らみが、彼女の汗の粒をいく筋もしたたらせながら、風呂のほの灯りに照らしだされて、柔らかな輝きを放っていた。これがひどく艶やかだった。それから、その下のすっとした横腹、太もも、足の指先にいたるまで、なめらかな白い肌がずっと続いているのだ。
その少女は、まるで人魚姫のように美しかった。しかし、それは悲劇が起こる直前の美、つまりは断末魔の美であったのかもしれない。
絢子の記憶の中におぼろげに残されていた、十一歳の少女のイメージとはまったく違っていた。彼女はもう子供ではなかった。すっかり大人らしく成長していた。
なんとも、上品な色っぽさに満ちているようにも感じられたのであった。
それから二人は、浴場の湯船に浸かり、語り尽くせぬ昔話をしたのだった。それは、絢子の記憶の中の幼き頃の日菜の話であった。
「日菜ちゃん、あの頃はすごく小さかったのよ……」
「絢子お姉さんに、そう言ってもらえると、私も少しは成長したのかな……」
「ええ、私の絵のモデルになってほしいぐらいだわ……」
「そんな、モデルなんて……」
そう言って恥ずかしげに笑う日菜は、白い体を湯に泳がせていた。湯の中で、二本の美しい足が揺れている。
見れば、彼女のシルクのようになめらかな白い肌が、少しピンク色に火照っている。
日菜は、上気したように顔を赤らめて、大きな瞳をそっと絢子からそむけた。
そして、もう子供ではなくなってしまった体を隠すように、絢子にそっと背を向けた。やはり、恥ずかしさからだろう。
その時になって、ようやく絢子は日菜の背中を真後ろから見たのであった。美しい白い背中の真ん中に、大きな傷跡が残されていたのである。
「いいのよ、そういうヌードも美しいのよ……」
絢子は、日菜が、傷のせいでモデルを辞退せざるを得ないのだと伝えてきているように思って、慰めるためにそんなことを言った。
日菜は、恥ずかしげに笑うと、
「ありがとうね……」
と言った。絢子は、日菜の幼さの残ったその笑顔を見て、やっぱり、彼女はまだ子供なのだと思った……。
日菜が、なかなか湯から上がろうとしないので、絢子はだんだん湯にのぼせてきて、先に湯から上がると、脱衣場へと向かった。
日菜が、浴場から出てきたのは、その後のことだった……。
絢子は、そんな記憶をぱたりと閉じると、悲しげに窓から夜空を見上げた……。