40 尾崎蓮也のアリバイ
御巫日菜、月菜、信也の三人の祖父に当たるのが御巫遠山である。その教え子だという尾崎蓮也が姿を現したのは、その直後のことであった。
尾崎蓮也は、知的な顔つきであり、黒縁眼鏡が似合っていた。年の頃は、三十代半ばというところだろう。
「尾崎さんですね」
「ええ、しかし、妙な事態ですね」
蓮也は少し、冷ややかな口ぶりだった。
「ええ。あなたの口寄せの後の行動を知りたいのですが」
「一時頃までは、皆さんと一緒にいましたが、ちょうど一時を過ぎた頃に、彼岸寺を出て一人で自宅に帰りました」
「それを証明する人は……」
「彼岸寺を出た時刻は、皆さんが私の姿を見ていることでしょうから、容易に証明できるでしょう。しかし、自宅には誰もいませんでしたし、帰宅途中にも誰とも会いませんでしたからね……」
すると、尾崎蓮也には一時以降のアリバイがないということになる。
「……なるほど。そうですか」
粉河は少し満足げに頷いた。
「アリバイはない、とでも言うのですか?」
蓮也は、何か嫌な気配を察したものらしく、不安と不信感のこもった声の調子で尋ねた。
「いえ、そう言うつもりはありませんが……」
「そうですか。それなら構いませんがね。私には日菜さんや月菜さんを殺すような動機は何もないのです。その点だけは、勘違いしないで頂きたい」
それは、どうだろうか。粉河にははっきりとしたことは分からない。しかし、アリバイのない人物という点では、尾崎蓮也は確かに疑わしく思えてくるのであった。
「それで、あなたの先生である御巫遠山さんは今……」
「先生は、御巫の屋敷でお休みになっています。今ではすっかり体を壊してしまって、ご自宅に閉じこもっているのです」
蓮也は、悲しげな顔をして言った。
「あなたと御巫家の関係は……」
「私は、学生時代の頃からずっと御巫先生の側にいました。そして、今は先生の体調が良くなるのを待っているところなんです……」
御巫遠山も歴史学者なのだが、彼に憧れて蓮也は歴史学者になったのである。
「そうですか。そうですか……。ところで、御巫遠山先生は、どういったことを研究されているのですか?」
「御巫先生は、江戸時代の農村を研究されています」
蓮也は、あまり詳しいことは喋りたくなさそうな、冷ややかで控えめな声のトーンで、簡潔に述べた。
蓮也はそれからしばらくの間、事情聴取を受けた後に退室した。彼がいなくなると、すぐにアリバイがないということが問題となった。
「おい、尾崎蓮也にはアリバイがないようだな……」
根来は、粉河にそっと言った。
「ええ、今のところ、関係者の中でアリバイがないのは、絢子さん、月菜さん、尾崎蓮也さんの三人だけです。残りは哲海さんだけですから、もしも、哲海さんにもアリバイがあったら一番疑わしいのは、尾崎蓮也さんになります」
「まてまて……。別にこの中に犯人がいると決まったわけじゃねえだろ。それに、八年前の犯人は「女性」だという話じゃねえか。今回の事件も同一犯なら、むしろ、一番怪しいのは、女性でありアリバイがない、絢子さんか月菜さんのどちらかになるじゃねえか」
根来は、すぐに粉河に反論した。
「根来さん。その「八年前の事件の犯人が女性」というのは、月菜さんが口寄せ中に口走ったことではないですか。そんなものは証拠になりませんよ。それに、犯人は日菜さんを橋から川に落としたのですから、それなりに腕力がないといけません。犯人は男性と考えるべきです」
「粉河……。お前は腕力、腕力というが……女性の腕力はそんなに馬鹿にできんぞ。実は、俺の同級生に女子プロレスラーになったやつがいるんだ……あいつ、名前、なんて言ったかな」
根来のそのしみじみと語る表情は、あきらかに学生時代を懐かしむ感情が込み上げてきているのを窺わせた。
粉河は、そんな場合じゃないだろう、という風に顔をしかめた。
「……この村に、そんな女子プロレスラーみたいな腕力を持つ女性がいますかね。とにかく、月菜さんや絢子さんには、人を橋から川に突き落とすような腕力は備わっていませんよ」
「まて、粉河。橋が問題なんだ、橋が……。橋の手すりが実際にどれほどの高さなのかを確認するんだ。古いアーチ橋だから、そんなに高くないんじゃないかな……。それに、日菜さんは華奢な体型なのだから、男女問わず、持ち上げるのはそんなに困難ではないと思えるんだが……」
そうして、根来は、久しぶりに粉河を論破したぞ、と言わんばかりの満足げな微笑みを浮かべたのだった……。