その7
ある日の昼間、ソファーの上で昼寝を楽しむルーファスの腹にネコパンチが喰らわされた。
「うっ!(最近よく殴られる)」
「ルーファス起きて!」
目を擦りながらルーファスが自分の腹のところを見ると、そこには黒猫ハルカが乗っていた。
「起きた?」
「起きたよ(ネコのクセして、何であんなにパンチ力があるの?)」
少し怒った様子のハルカは、軽やかにルーファスのお腹からフローリングの床に飛び降り、ルーファスの顔を睨んだ。
「ねえ、アタシが人間に戻る方法を探してくれてたんじゃないの?(昼寝してるなんてヒドイよ!)」
「あ、うん(そうだったんだけど……いつの間にか寝てた)」
だらんとソファーからはみ出たルーファスの片手の先には、床に開いた状態の魔導書が落ちていた。読んでいる途中で寝てしまったに違いない、決定的な証拠だった。
白い目でルーファスはハルカに見られている。
「だから、さっきまでは一生懸命だったんだけど……(寝てた)」
「寝てたんでしょ?」
「だって……(眠かったんだもん)」
「ルーファスはいいよ、アタシの身になって考えてみてよ! 家には帰れないし、ネコにはなるし、アタシの人生返して!」
「私だって、ハルカが家に帰る方法と人間に戻る方法を考えてるよ!(でも見つからないんだからしょうがないだろ……)」
「ふんっ!(へっぽこ魔導士!)」
機嫌サイテーのハルカはさっさとどこかに行ってしまった。もちろんしっぽは立っていた。
「しっぽ立てるなんて……わかりやすいな」
「ホントにわかりやすいなあの娘は」
「わっ!(……カーシャか)」
ソファーに腰を掛けているルーファスが横を見るとそこには、カーシャもソファーに何時の間にか腰を掛けて落ち着いていた。しかも、手にはうさしゃんティーカップが……落ち着きすぎ。
「こんばんわ、この頃寒い日が続くな(ついでにワタシの心も猛吹雪……ふふ、ギャグが寒い)」
「いつも思うんだけど、不法侵入だよね?」
「安心しろ、玄関から入っている(ノックはしてないがな)」
玄関から入っていても不法侵入は不法侵入だ。カーシャが一日で犯している罪は数知れず。
「玄関から入っても不法侵入は不法侵入でしょ?」
「不法滞在よりはマシだろ?」
「意味わかんないよ」
カーシャの言い訳は意味がわからなかった。
「ところでルーファスヒマか?(ヒマでなくとも強制だがな)」
「まあ、ヒマって言ったらヒマだけど……(それより、何でカーシャは毎日毎日うちに来るの? 私よりヒマなんじゃないの?)」
ホントにカーシャは毎日毎日何をしてるのか? 答えは簡単、店が営業停止にされてしまったのでルーファスをいびりに来てるのだ。ダメじゃんカーシャ。
なんとも言いがたい悪魔の微笑を浮かべてルーファスを見つめるカーシャの瞳はスゴク濁っていた。よからぬことを考えているのは明白だった。
「(嫌な予感がする)」
「戦争しに行くぞ」
「はっ! どこに!?(戦争って何!?)」
カーシャのビックリドッキリ仰天発言にルーファスは度肝を抜かれた。
「魔導学院に乗り込むぞ!(ふふ……おもしろいことになるぞ)」
「乗り込むってどういうこと?(戦争って!?)」
「実際全面戦争になるかはわからんが、おまえと『ワタシ』があの学院に乗り込めば、追い出されるの必然。最悪戦争だな」
「戦争っていうのは言い過ぎでしょ?(たしかにカーシャが学院に戻ったら、追い返されるだろうけど)」
「わからんぞ、ファウストならワタシに喧嘩を吹っかけて来ると思うが?」
「たしかに(ファスト先生ならありえるな、あのひとそういうの好きだからな)」
ファウストとは、以前ルーファスが通っていた魔導学院の教員で、悪魔系の術を得意としていた人物だ。学院ではカーシャに次ぐトンデモ系の狂師で、危ない実験や魔術が好きな先生だった。カーシャが学院をクビになった今は学院一のトンデモ狂師はファウストに違いなかった。
「ねぇ、二人とも何の話ししてるの?(ルーファスやけに顔蒼いけど?)」
いつの間にかハルカが二人の前まで来ていた。ネコになったハルカはカーシャに次ぐ忍び足を手に入れたらしい。
「こんばんわハルカ。おまえも一緒に来い、元の世界に帰る方法と人間に戻る方法両方の手がかりが見つかるかもしれん」
「ホ、ホントですか!?(……カーシャさんの言うことは信用できないけど)」
カーシャの信用はガタ落ちだった。当たり前と言ったらそれまでだが……。
「本当だ。優秀な魔導士たちがこの国で一番集まる所に行く(学院時代のルーファスはへっぽこだったがな……ふふ)」
「そんなところがあるんですか?(じゃあ、今まで何で連れて行ってくれなかったんだろ?)」
ハルカがふとルーファスの顔を見ると、彼は今までハルカが見た中で一番うかない表情をしていた。
魔導学院はルーファスにとってあまり行きたくないところだった。なぜならば、恥ずかしい思い出しかないからだ。
「ではさっそく魔導学院に行くとしよう。ハルカはこの中に入れ」
カーシャはそう言うと、どこからか携帯用ペットハウスを出してドアを開けた。
「丁重に運んでくださいね(この前にカーシャさんに運んでもらった時はヒドかったからなぁ〜)」
ペットハウスに入る寸前ハルカはルーファスの顔を見た。ルーファスはまだうかない表情をしている。
「何でうかない表情してるの? ルーファスも早く準備してよ」
ハルカに言われ、ルーファスは重たそうに腰を上げると、空気よりも重そうなため息を落とした。
「はぁ〜。……行くのヤダな」
これは心からの本音、まさに心の叫び。ただでさえ行くの嫌なのに、カーシャは殺る気満々。ルーファスはだんだん頭が痛くなって来た。
誰が頭が痛くなろうとカーシャには関係ないことらしく、ハルカをペットハウスに入れたカーシャはルーファスに足蹴りを喰らわせて、ペットハウスを差し出した。
「これ」
「私が持つの?」
と聞きながらもすでにルーファスはペットハウスを受け取っていた。ここにあるのは女王様と下僕の構図、長年カーシャに尻を敷かれているルーファスの悲しい習性だった。
「行くぞ」
すでにカーシャは玄関を出る寸前だった。
カーシャの移動速度は異様に速い。だが、カーシャが素早く動いているのを見た者はこの世に誰も居ない。まさにミステリー。カーシャは謎多き女だった。
ガイアと呼ばれるこの世界には魔法を使える者が普通に存在している。
そして、このアステア王国には魔法を教える学校が存在する。
この国には普通教育を九年間受けることが義務付けられているが、普通教育にプラスして魔法を学ぶこともできる。魔法教育を受けるかどうかは個人の自由だが、ほとんどの者はこの教育を受けている。
九年間の義務教育を終えると、その上に専門各種の学校があり、試験などを受け授業料等を払い入ることができる。その中に魔導士と呼ばれる魔法を使い仕事をこなす職業に就くための学校ある。
人々の病気を治す魔導士もいれば、天候を自在に操る魔導士、中には工事現場で石畳みの道路や建築全般に携わる魔法大工もいる。魔導士が生活に根付いているだ。
ルーファスも魔導学園で九年間勉強したのちに、滑り込みでクラウス魔導学院と呼ばれるエリート学校に進学することができた。恐らくルーファスは人生の運を全てここに注ぎ込んでしまったに違いない。
ルーファスは今そのクラウス魔導学院の事務室にいた。
「あのぉ〜、ここの卒業生のルーファスというものですが、ちょっと用事があって来たんですけど?(何か意味も無くドキドキするなぁ)」
ルーファスの応対に当たったのは二十代後半くらいの綺麗な女性だった。ルーファスいわくだが。
「(ルーファス……ルーファスってもしかして、へっぽこ魔導士ルーファス?)ルーファス様ですね。学園内に入るには腕に腕章を付けて頂く決まりになっておりますがよろしいですか?」
この腕章は、来客を識別する以外にも騒ぎを起こそうとした者に罰を与えるための秘密が隠されている。
「あ、はい(この腕章知ってるよぉ〜、あんまり付けて欲しくないな)」
「では、腕を出して頂けますか?」
ルーファスが腕を出すと、女性はルーファスの腕に魔法を架けて、紅い腕章を作り出した。
「学院を出る際はここで腕章を解呪しますので、必ずここに戻って来てください」
「は、はい、わかりました。えっと、それから、ペットのネコも学院内に入れても平気ですか?」
「構いませんよ、ペットはそのままお入りください」
学院内に入って行くルーファスにお辞儀をする女性の後ろで静かな声がした。
「ワタシにも腕章をしてもらおう」
女性は思わずビクッとして後ろを振り向くと、そこにいたのは不敵な笑み爆発のカーシャだった。
「カ、カーシャ先生!?(な、何でこの人が!?)」
カーシャは腕をさっと突き出した。
「早く」
「あ、あのカーシャ先生は学院内に入れるなと言われておりまして(ブラックリストのトップに名前が載ってる人がわざわざ正面から尋ねて来るなんて)」
「……宣戦布告……宣戦布告だ。表向きにはクビではなくて依願退職となっているハズだが?(せっかく教員どもにワタシが来たことを教えてやろうという心遣いだったのだがな……しかたない)」
カーシャの手のひらがさやしく女性の目元を多く隠した。ふっと女性の意識が飛び、床にゆっくりと倒れてしまった。
「勝手にお邪魔させてもらうぞ(ふふ……教員ども待ってろよ……特に、ヨハン・ファウスト!)」
魔導学院はただ今授業時間で、廊下は静けさに満ち、時折教室から生徒の声が聞こえる程度だった。
廊下を歩くルーファスは、辺りをキョロキョロ見回しながら過去の痛い思い出に浸っている。
「懐かしいな(そう言えばここでローゼンクロイツの毒電波攻撃を受けて、腹痛を起こしたんだった……いい思い出少ないな)」
「悠長なことをいっているヒマはない……ワタシの不法侵入は既にバレている」
「!?(……いつの間にか横にいるよ)」
ルーファスがビクッとして横を振り向くと、カーシャがルーファスの歩調に合わせて歩いていた。
「事務の融通が利かなくてな、腕章を付けていない」
「……ってことは?(教職員が侵入者を探してるってことか……侵入者がカーシャだって知ったら大変なことになるなぁ)」
腕章を付けずに学院内に入ると、すぐさま学院内全体に張り巡らせれているセンサーの役割をしている魔法に引っかかり侵入がバレてしまう。
廊下が急に騒がしくなった。怒号怒号怒号の足音。大勢が侵入者を探して走り回っているのだ。その足音を聞いた二人は近くにあった教室のドアを開けて乗り込んだ。
急に扉を開けられた教師及び生徒一同の視線は、一気にカーシャとその配下(?)に注がれた。
カーシャは生徒たちに片手の手のひらを向けて魔力を貯めているのを見せ付けた。
「動くな!」
教室ジャックだった。生徒たちは動きを止め言葉を失う。だがこの場で一番唖然としてしまったのはルーファスだった。
「……な、何てことするの!? 人質取ってどうするの、私たちはただハルカを元に戻すために来たんでしょ、騒ぎを起こしてどうすんの!?」
「ふふ……ハルカのことは二の次だ(まずはワタシの復讐からだ)」
この会話を携帯用ペットハウスの中から聞いていたハルカの表情が曇る。中からは外のようすが見えないので余計に不安が募る。
「(……もしかして、外はスゴイことになってるの?)」
『もしかして』ではなかった。スゴイことになっていた。
この教室にいた女教師は新米らしく、カーシャとの直接の面識はなかった。だが、この学院ではカーシャとそのオプションのことは有名で、この新米教師にも二人の侵入者が誰なのかがわかった。
「カーシャさん……あの物騒な真似はよしていただけません?(な、何でよりによってこの教室に……(泣)」
新米教師就任以来最大の危機だった。
カーシャが新米教師に視線をふと向け、生徒から気をそらした瞬間、生徒の一人がカーシャに向けて魔法で作ったエネルギー弾を発射した。だが、この場においての勇気ある行動は全体の命を危険にさらす。
エネルギー弾はカーシャの手の甲によって軽く弾かれ教室の天井に穴を開けた。穴の空いた天井から見える青い空を見上げるカーシャの口元は歪んでいる。
「ふふ、ワタシに撃ったのはおまえか?(ピンクのブタの刑だな……ふふ)」
氷のように冷たい目をしたカーシャは、彼女に魔法を放った生徒の瞳を見つめて、あることを念じた。
すると見つめられた生徒の身体は見る見るうちに縮んでいき、その身体はピンクの短い毛で覆われて、周りの者たちが声をあげた時には、ピンクのブタに変身してしまっていたのだった。
「他にブタにしてほしいものはいるか?」
生徒たちは一斉に首を横に振った。そして、なぜかルーファスもおびえた表情で首を横に振っていた。
ちなみにネコになったハルカに人間になる魔法をかけることも可能だが、それは根本的な解決にはならない。
カーシャのこの魔法は時間制限があり、時間が経てば元の姿に戻ってしまうのだ。それと見た目はピンクのブタであっても中身は人間であって、簡単に説明するとピンクのブタに『見えているだけ』なのだ。つまり、ハルカに魔法を架けても、人間に見えるネコでしかないのだ。
壁の砕ける爆発音を聞きつけた男教師が教室に乗り込んで来た。この男、全身黒づくめである。
「うるさい! 私の授業を妨害するのは誰だ!(……カーシャ?)」
教室に怒鳴り込んで来たのは、隣りの教室で悪魔召喚の実習授業を行っていた、ヨハン・ファウストだった。
カーシャとファウストの間でピリピリした空気が流れている。しかも運の悪いことにルーファスは二人のちょうど真ん中に立っていた。
「(……ついてない)」
そうルーファスはついてない。
ファウストの身体からは目でもわかる黒いオーラが悶々と出ている。カーシャからも目には見えないが肌で感じられる冷たいオーラが出ている。まさにこの場は只今一色触発中だった。
本能で今までにないほどの危険を察知した新米教師及び生徒たちは、そーっと、できる限りにそーっと、音を立てずに教室を出て行った。だが、この場に取り残された人物がいる。言うまでもないルーファスだ。
「(……な、何で私を置いてみんな逃げるのぉ〜!?)」
可哀想なことに、二人のトンデモさんに挟まれたルーファスは、身動き一つ許されなかった。
不幸なことにルーファスが動けないということは、ペットハウスの中にいるハルカも動くことができない。しかも、ハルカには外の状況がわからない。
「(な、何、この嵐の前の静けさみたいなのは!? ヤナ雰囲気がするんだけど、ここから出してくれないかな……)」
不安でいっぱいになるハルカ。だが彼女は無力だった……ネコだから。
ネコでなくとも、この場では誰もが無力だった。
沈黙を続けていたファウストの口が開かれた。
「ひさしぶりですね(まさか、ここで再びこの人に出会うとは)」
「ファウスト先生も相変わらず黒だな(腹の中身も真っ黒だ)」
緊迫し、再び沈黙がはじまる――。
カーシャVSファウストの構図がわかりやす〜くできあがっている。
その二人に挟まれてしまったルーファス+ネコ一匹。彼らは非常に焦っている。特に冷や汗をかいているルーファス、焦りすぎ。
「カ、カーシャもファウスト先生も仲良くしてください(巻き添えで殺される!)」
空気がキン! と冷えた。カーシャの瞳は妖々と冷たく輝いている。
「ふふ、まだ……(まだ、何にもしてない)」
ファウストの周りの空気が急激に圧縮され、一気に解き放たれることにより風が巻き起こった。教室に吹き荒れる強風にルーファスは反射的に顔を腕で覆った。
強風で筆記用具が空を飛び、椅子がガタガタ揺れ動き、備え付けの机までがきしむ中、カーシャとファウストだけは平然と立っていた。しかも、ファウストは不適な笑みを浮かべている。
「私たちはまだ何もしていませんよルーファス。ねえ、カーシャ『先生』?」
その場で身動きできないルーファスは思った。
「(思いっきりしてんじゃん!)」
ルーファスのそんな思いなんてどうでもよく、新たな波が押し寄せようとしていた。そっちの方が大事だ。
無表情でファウストを見ていたカーシャの眉がピクッと動いた。
「ファウスト先生。ワタシはもう『先生』ではない(……ワザとだな……ふふ、おもしろい)」
「なるほど、そうか今は先生ではなくて、ただの一般人だった、これは失礼。カーシャはここを『クビ』になってから非合法の魔導ショップをやっていらしたそうですが、今は営業停止らしいですね。困ったことがあるならいつでも相談に乗りますよ」
そう言いながらファウストは鼻で笑った。いちいち突っかかる言い方で、完全のカーシャを見下していた。
だが、ルーファスにしてみれば、二人は同じ穴のムジナ。どっちもどっちだった。
今ここにいるムジナは互いのことを見下している。自分の方が格が上だと思っているのだ。そーゆー人種だった。
部屋の空気が一層冷たくなったような気がする。――気のせいではないようだ。ここにいる巻き込まれちゃったルーファスはそれに気がついた。
「あ、あの〜、……教室に霜が張ってるんですけど?(気温が零度切ってるってことでしょ?)」
ガタガタと寒さと『何か』で振るえはじめたルーファスの言うとおり、教室の壁や床には霜が発生していた。その発生源は言うまでもないカーシャを中心にしてだ。
カーシャの眉がピクッと動いた。その瞬間、床、壁、そして、天井から巨大な氷針が幾本も突き出した。
「はぶっ!(な、何!?)」
ルーファスはあられもない声を上げて、紙一重で氷の刃を『つ』や『大』の字になったりして避ける。そして、氷に挟まれて『と』の字になって動けなってしまった。冷や汗も凍ってしまっている。
カーシャとファウストは氷の刃が顔すれすれ数ミリのところを通るが、顔色ひとつ変えず身動きも全くしていなかった。
氷が少しづつ溶けはじめた。この現象の中心はファウストだ。彼の身体から漆黒の炎がオーラとして放たれているのだ。
嫌な戦い方だ。微妙でネチネチしているし、直接攻撃は微妙だがまだない。だが、ファウストがついに仕掛けた。
「そうだ、カーシャに貸した一〇〇〇ラウル返して貰ってないのですが、返済期限が切れているのはご存知でしたか?(契約の名のもとにカーシャを冥府に送ってさしあげますよ……クク)」
「一〇〇〇ラウル、知らんな(……チッ、覚えていたのか)」
カーシャは確信犯だった。確実に借りたお金を踏み倒す気だったらしい。
「シラを切っても意味はありませんよ。ここにちゃんと契約書があります(シラを切るのは予想済みだ)」
そう言ってファウストは、どこからともなく契約書を出し、カーシャに見せ付けた。それの一節にはこう書かれている、『契約を破った場合は魂を持って償う』と。それはつまり、契約を破ったカーシャは殺されるということだった。
契約書を見たカーシャはしばし沈黙。
「…………(焼くか)」
沈黙して考えた結論はわかりやすかった。『焼く』、つまり、契約をなかったことにする気なのだ。
カーシャの右手が凄いスピードで動いた。
「ルーファス避けろ!」
「えっ!?」
いきなり避けろと言われても、そう避けられるものでもない。
カーシャは声と同時に炎の玉を放っていた。それは契約書に向かって放たれたものだったのだが、途中の障害物に見事ヒット!
「あちぃ〜っ!」
ルーファスが炎上。炎の玉はルーファスの服に引火してしまった。すぐさま彼は床にへばりついた。それはなぜか? 床は氷が溶けて水浸しになっていたからだ。
シュ〜っという音を服から立てながら立ち上がるルーファスを見てカーシャが小さく呟いた。
「チッ……外したか(契約書を燃やしてしまおうと思ったのだが)」
言うまでもないが、カーシャは自己中である。
「契約書を燃やそうとしましたねカーシャ? そういうことをする悪い子はお仕置きですね(クク……悪魔でも呼び出しましょう)」
悪魔の笑みを浮かべるファストの持つ契約書が風もないのに揺れた。それも激しく、激しく揺れ、中から巨大な影がこの世界に召喚された。
契約書の中から現れた悪魔は、赤黒い身体を持ち、丸まった背中から漆黒の翼を生やしており、金色の目でカーシャをギロギロと見ていた。
危険を察知したルーファスはしゃがんだ。彼の判断は正しかった。カーシャの口元が歪んだ。
「ホワイトブレス!」
氷系の高位魔法をぶっ放した。カーシャは教室内で強力呪文をぶっ放したのだ。
一般に使われる魔法であるレイラ・アイラに関しては魔法を発動させる際に、その魔法の名を言う必要は基本的にないが、それ以外の魔法――ライラに関しては魔法を発動させる際に魔法の名前や詩を口に出す必要がある。そのことからライラは別名『神の詩』と呼ばれている。
今カーシャが放ったのは正真正銘のライラだった。
ブォォォッッッ! 濃縮された吹雪が悪魔に直撃して、悪魔が凍る。おまけにルーファスの心も凍る。
「カ、カーシャ! 何すんだよ!(死ぬかと思ったぁ〜!)」
だが、ルーファスの言葉にカーシャは何の反応も示さず、その場から消えた。次にカーシャが現れたのは凍ってしまって身動き一つしない悪魔の目の前だった。
「ふふ、儚く散れ!」
カーシャの回し蹴りが悪魔に炸裂! 粉々に砕け散る悪魔。砕け散った氷が煌くその先でファウストは微笑していた。
「なかなかやりますね。ですが、カーシャが死ぬまで悪魔はいくらでも出ますよ。早く一〇〇〇ラウル返した方が身のためですよ(私としては、この方がおもしろいですがね……クク)」
「一〇〇〇ラウルなんて借りた覚えはない!」
カーシャはきっぱりはっきり断言した。『嘘は認めたが最後』これがカーシャの信条なのだ。
契約書が激しく揺れ、中からたくさんの影が召喚された。
「覚悟なさいカーシャ!」
「ヤダ」
室内は只今、ホラーハウス状態。悪魔で満員だった。
カーシャ逃げる準備OK。
「逃げるぞルーファス!(流れ解散〜っ!)」
カーシャは自らに運動能力を一時的に二倍にするクイックという魔法をかけて走り出した。ルーファスも逃げる必要はないように思えるが、クイックで逃走。
廊下を走り抜けるカーシャとルーファス。
ルーファスが走ると、持っているペットハウスが激しく揺れる。中にいるハルカは当然ご立腹。
「ルーファス、もっと丁重に運んでよ!(……ったく、何が起きてるのよ?)」
「ハルカごめん、追われてるから」
「(追われてる?)」
廊下を走る二人の後方からは大勢の悪魔が追いかけて来ていた。
カーシャは後ろの悪魔に向けて魔法を連発。廊下の壁や床は大変なことになるが、悪魔の数はいっこうに減らない。
外の大騒ぎに気づいて教室にいる生徒たちは廊下の外を見るが、皆直ぐに見なかったことにする。なぜならば、悪魔たちを従え先頭を走っているのがファウスト先生だったからだ。この先生がすることに関わってはいけない。これがこの学校を無事に卒業するための暗黙のルールだった。
ルーファスたちを捕まえようとしているのはファウストだけではなかった。彼らの名は風紀委員。学校の風紀を乱す者を罰するのが役目である、生徒たちの集まりだ。
風紀委員がルーファスたちの前に立ちはだかる。その数一〇名ほど。
「止まりなさい!」
風紀委員が叫ぶが、当然カーシャの性格を考えればわかるが、止まるわけがない。しかも、今日のカーシャはご機嫌だった。
「ふふ、おもしろい……今度はピンクのうさぎしゃんだ!」
カーシャは風紀委員たちを鋭い目で〈視た〉。魔力のこもった魔瞳で見つめられた風紀委員は次々にうさぎしゃんのぬいぐるみにその姿を変えていった。しかも、このうさぎしゃんのお人形、動いてしゃべることもできるらしい。
「うわぁ〜、にげろぉ〜!」
プリティなピンクうさぎしゃん人形は、ピョコピョコ歩いているのだが走っているのだがわからないような動きで逃げていった。
「ふふ、カワイイ」
カーシャはうさぎしゃん好きである。自分より魔力の弱い者であれば簡単にうさぎしゃんに変えられてしまうのだ。
後ろからはファウストが引き連れる悪魔たちが追いかけて来ている。その数は明らかに増えていた。
カーシャが突然立ち止まり後ろを振り向いた。ルーファスもちょっと先で立ち止まりカーシャを見つめた。
「どうしたの?(聞くまでもないような気がするけど……)」
「逃げていてもラチがあかない……ふふ、殺るぞ(力を使う時が来たな)」
「やるって、手荒なマネは止めた方がいいと思うけどなぁ(って言っても無理か)」
「ふふ……(滅却)」
滅却ってカーシャは何する気なのか!
カーシャは自分の両耳にしていた蒼い宝玉イヤリングを外した。刹那、カーシャの身体が蒼白き光を発しはじめた。その輝きは冷たく辺りを包み込み気温をぐっと下げる。
そして、カーシャの瞳は黒から蒼に変わり、唇は赤から紫に変り、髪は漆黒から白銀に変わっていった。ルーファスは驚愕した。
「何で、その力を使えるの!?(だって、その力を使ったら、カーシャは!?)」
「ふふ、だいぶ休養したからな。ワタシはチカラを取り戻した!」
氷の魔女王がここに復活した。
走るようにして廊下が凍りつく。カーシャを追いかけて来ていた悪魔たちも次々と凍りついていく。その中でファウストだけが漆黒の炎を身にまとい平然と立っている。
「ほう、カーシャの真のチカラですか、それは?(……少々厄介だ)」
カーシャ砲撃準備OK!
マナがカーシャの身体に集められていく。――もう誰も止められないのか?
「カーシャいい加減にしてよ!」
ドゴ!
「あうっ!」
「ぐっ!」
ゴォォォッッッーーー!
何が起きたか説明しよう。まず、カーシャは学院ごとふっ飛ばすくらいのマナを溜めて撃とうとした。それをルーファスが止めた。その止め方というのが、持っていた物でカーシャをぶん殴ったわけなのだが……持っていた『物』、そうペットハウス。ルーファスペットハウスでカーシャを殴る。その時の効果音が『ドゴ!』、そして、ペットハウスの中にいたハルカが『あうっ!』と叫んで気絶。殴られたカーシャは『ぐっ!』と言ってバランスを崩しバタンと床に倒れた。撃とうとしていた魔法は中途半端なまま、天井を突き破り上空に放たれた。以上説明でした。
床に大の字で倒れたカーシャの髪の毛の色は元に戻っていた。打ち震えるカーシャは何かを小声で言っている。
「……ル……ファス……(死!)」
気迫とともに立ちがるカーシャ。その目はキレていた。
氷ついた廊下に残されたファウスト&ルーファス&一匹。緊張が張り巡らされる。
無言でお得意の不適な笑みを浮かべるカーシャの手が動いた。動いた! 動いた! そしてまた動いた!
カーシャの手から放たれる氷の刃がそこら中に突き刺さる。ルーファスは紙一重で避けるが、明らかに刃はルーファスに向けて放たれている。
「カ、カーシャ、落ち着いて!(殺されるぅ〜)」
「ふふ……(死!)」
キレちゃったカーシャの容赦ない攻撃は続く。狙われているのはルーファス。ファウストはただ見ているだけで何もしようとしない。
「(クク……おもしろい光景だ)」
この人は心の中で楽しんでいるようだ。
氷の刃に追われ逃げるルーファスは、凍りついた廊下をツーッと滑りファウストの前まで来て助けを請う。
「ファウスト先生助けて!」
「私に助けを請うか……契約を交わすならよかろう」
「ええ、助けてくれるならなんでも(……いや、何でもはマズイ、この先生と契約を交わすのはマズイかも)」
「よかろう、私がおまえを助ける代わりに、ハーピーの羽を代償とする。これが契約書だ」
ファストはどこからともなく契約書と羽ペンを出し、ルーファスに突きつけた。
「(ハーピーの羽か……)」
ハーピーとは海に棲む鳥人で、その美しい歌声で船乗りたちを惑わす怪物だ。この羽を取って来るのはなかなかの至難の業である。だが、カーシャから身を守ると考えると安い物だった。
ルーファスは羽ペンを受け取り、契約書にサインをした。
「クク……契約成立だ。契約を破った場合は命を代償とするから覚えておけよ」
実際はルーファスの寿命は少し伸びただけかもしれない。だがルーファスには選択の余地はなかった。
カーシャは口元だけ笑っていて、あとは無表情というカーシャスマイルを炸裂させながら、ゆっくりとルーファスの元へ歩み寄って来る。
「ルーファス、ワタシを殴った罪は重いぞ(……ふふ、こ〜んなことや、あ〜んなこと、そ〜んなことをした挙句にピンクのクマしゃんに変えてやる!)」
善からぬことを考えるカーシャの口元はいつも以上に歪んでいた。だが、ルーファスがあの時カーシャをぶん殴っていなければ、死傷者が多数出たことは明白な事実だった。
ルーファスをさっと押しのけファウストが前に出た。
「契約の名の元にカーシャ、あなたを冥府に送って差し上げますよ(THE ENDですよ)」
「ふふ、なかなか言うなファウスト。おもしろい……ワタシに勝てる気なのか?(こいつはピンクのチンパンジーの刑だ)」
「勝てない勝負はしませんよ(歳を誤魔化しているような、おばさんには負けはしませんよ)」
「それは奇遇だ。ワタシも勝てない勝負はしない主義だ(黒づくめの服から心の中まで真っ白に凍らせてやる)」
先手必勝、カーシャが最初に仕掛ける。彼女の身体から、レイビームと呼ばれる魔法が放たれた。
レイビームは白く長い帯のように幾本も発射され、蛇が身体をくねらせるようにしてファウストに喰らいつくが如く襲い掛かる。
ファウストは魔法で防護壁を作りそれを難なく防ぐ。この時点では互いに本気を出していない。レイラとアイラと呼ばれる簡単な魔法しか使っていない。
だが、今度はファウストが仕掛けた。しかも、ライラと呼ばれる強力魔法で――。
「ダークフレイム!(魂をも焼き尽くせ)」
漆黒の炎が渦を巻きカーシャに襲い掛かる! カーシャはそれを魔法を放って打ち返そうとする。
「ライトクロス!(小癪な!)」
雷光が漆黒の炎を突き抜けかき消し、そのままファウストに襲い掛かる! だが、ファウストは臆することなく呪文を唱える。
「デュラハンの盾!(甘いですよ)」
雷光は魔法壁に弾かれ廊下の壁を突き抜けどこかに飛んでいってしまった。きっと、どこかで被害者が出たに違いない。
二人の戦いは終わりそうになかった。――だからルーファスはそーっと逃げることにした。この時ばかりはカーシャ以上の忍び足で――。
後ろから爆発音が聴こえ、爆風が背中を強く押すが、ルーファスは決して振り返らなかった。何が起ころうとルーファスはもう他人のフリ、巻き込まれるのはごめんだった。
ルーファスがいなくなったことにも気づかず、二人の戦いは加熱し続く。だが、ルーファスには関係ないことだ。彼はもう自由と言う世界に羽ばたいたのだから。
戦場(カーシャVSファウストの現場)から、そーっと逃げ出したルーファスはある先生の研究室のドアの前に立っていた。その横には携帯用ペットハウスから出たハルカがいる。
ルーファスが魔導学院に来た理由はハルカを元の姿に戻すことと、元の世界に戻すための手がかりを見つけるためである。カーシャは暴れに来るのがメインだったみたいだが、ルーファスは断じて違う。
目の前にあるドアに思いを馳せるルーファス。ドアフェチなのではなく、思い出があるからだ。
「学生時代ここのドアを壊して、パラケルスス先生のホムンクルス盗みに来たんだよ(あの時は大変だった)」
「器物破損に窃盗、ルーファス昔はワルだったの?(意外だなぁ)」
「ち、違うよ! ドア壊した(蹴破った)のはローゼンクロイツっていう私の友達だし、ホムンクルスを盗んだのも理由があって、カーシャに盗むように言われたから……」
昔からルーファスはカーシャにいいように使われていたらしい。つまり、学生時代からルーファス<(小なり)カーシャの構図ができていたということだ。ルーファス、かんばれ!
「ところで、そのホムンクルスって何?」
「ハルカを元の身体に戻すことができるかもしれない魔導具、詳しくは中で話すよ」
コンコンとノックをしてルーファスは部屋の中に入った。
「失礼します」
とお辞儀をして、ルーファスが顔を上げるとそこには初老の男が立っていた。
「おお、ルーファスか、ひさしぶりじゃな」
笑みを浮かべる老人にルーファスは近づき握手をした。
「おひさしぶりです、パラケルスス先生」
「魔導の勉強は今もちゃんとしているのかね?(実力ならば、学院でもローゼンクロイツの次じゃったからな)」
「もちろんです、でもまだまだ力不足で苦労してますけど……」
そう言ってルーファスはドアのところにちょこんと座っているハルカを見た。
「あのネコがどうかしたのかね?」
「それがですね……。ハルカちょっと来てくれるかな?」
しなやかな足の運びでパラケルススの前まで来たハルカは頭をちょこんと下げて挨拶をした。
「こんにちわ、ハルカっていいます」
パラケルススはハルカをじーっと〈視て〉それが何であるのかを言い当てた。
「ふむ、今はネコの姿をしているようじゃが、マナは人間のものじゃな? どういうことか説明してくれないかね?」
――ということでルーファスは、ハルカを異世界から召喚してしまったことから、終いにネコになってしまった経緯を全部一通り話して説明した。
初老のパラケルススは深くうなずいた。
「それでわしは何をすればよいのじゃ?(察しはついておるがの)」
「先生にはハルカのホムンクルスを作って貰えないかなと……?」
ハルカも熱い眼差しでパラケルルススを見ている。だが、ハルカはホムンクルスがなんだかわかっていない。
期待は裏切られると大きなショックを受ける。
「この子のホムンクルスを作る材料が一つだけ手に入らんでな。ホムンクルスは作れんのじゃ」
「ああ、やっぱり(肉体が滅びてるもんね)」
「ええ〜っ!」
ハルカだけショック!
ショックは受けたが、まだハルカはホムンクルスがなんだかわかっていない。
「ところでホムンクルスって何?(なんとなく話合わせてたけど)」
「え〜と、ホムンクルスっていうのは……先生、説明お願いします」
ルーファスは困るとすぐに近くにいた人を見つめて助けを請う習性がある。助けを求められたパラケルススは大きなガラスの筒を指差した。
部屋に幾本もあるガラス管の中は液体のような物で満たされ、下から小さな気泡が上へ上がっている。そして、時折大きな泡が人の形をした物の口から吐き出される。
ホムンクルスを見たハルカは至極もっともな見たまんまの質問をした。
「人間?(人体実験!?)」
「あれがホムンクルスじゃ。簡単に説明すると人間の形をした入れ物じゃな」
人間の入れ物と説明されて、ハルカようやく納得。
「ああ、なるほど。そのホムンクルスでアタシの身体を作って入るのか……でも、アタシのホムンクルスを作れないってどういうこと?」
ルーファスは最初からわかっていたらしく、簡単な説明をはじめた。
「ハルカのホムンクルスを作るには、ハルカの肉体の一部が必要なんだよ。でも、肉体はもうないからね(パラケルスス先生ならどうにしてくれると思ったけどやっぱり無理みたいだな)」
ハルカショック!
「やっぱり、人間に戻れないの? あのさぁ、今思ったんだけど、ネコじゃなくってそっちのホムンクルスに移してくれるかな?(人間の方が動きやすいし)」
「それは止めておいた方が無難じゃな」
ハルカの意見はパラケルススに即答で弾かれた。ちょっと納得のいかないハルカはパラケルススに詰め寄った。
「どうしてなの?」
「マナ移しの儀は大変難しい魔術でな、移された本人のマナに過度の負担を与え、それに加え君をネコの身体に移せたのは奇跡に近い。つまり、何度もマナ移しの儀をすることはお勧めできないのじゃ」
「そうなの?(ってカーシャさんは簡単にやってのけたけど、もしかしたら失敗してかかもしれないってこと……ってことよりも、だったら最初から人間の身体に入れてくれればよかったのに!)」
人間の身体ではなくネコの身体に入れたのはカーシャの趣味と言えばそれで終わってしまうが、本当の理由は急を要していて、完全な状態で保存してある肉体がネコと出目金しか手元になかったからだ。完璧な保存状態でない肉体を使うと儀式に失敗する可能性が高くなる。
もうハルカは大ショックだった。人間には戻れないし、元の世界にも帰れないし……。最悪を極めている。
「もう、一生この世界でネコとして暮らすのか……(お母さんとお父さん、友達……みんな心配してるよね)」
目に涙をにじませるハルカを見てルーファスは何も言えず、パラケルススは何か言い方法がないかと一生懸命頭を悩ましている。
「髪の毛一本でもあればよいのじゃが……」
パラケルススの言葉を受けてルーファスが意識せずにハルカに止めを刺した。
「私の家は全部一度倒壊してしまったから、髪の毛すら残ってないな……」
ハルカ的大ショック! ルーファスの発言、それは絶対人間に戻れません宣言をハルカに突きつけたのと同じだった。
「(どうせ、アタシは一生ネコのまま……)でも、せめて元の世界に戻りたいな……元の世界に……元の世界のアタシの部屋だったらアタシの髪の毛一本くらい落ちてるかもしれないけど?(望みは薄いけど)」
ワラをも掴むような発言だった。
たしかに髪の毛一本くらいなら落ちてるかもしれない。元の身体に戻る手立てが絶たれてしまった以上、今は元の世界に帰ることだけでも……ネコのままで?
ルーファス&ハルカはいいアイデアをもらうべく、パラケルススの方を同時に振り向いた。
「ハルカを元の世界に戻す方法ありませんか?」
「お願いします!」
お願いされてもとパラケルススは困ってしまった。パラケルススは今学院の教頭をやっているほどの魔法の使い手だ。しかし、それでもできないことは山とある。魔法は万能ではない。
「わしにもこの子を元の世界に送り返す手立てはわからんな。普通の召喚だったらできるだろうが、どこの世界との知れない住人となれば話は別じゃ」
「ルーファス帰ろ。パラケルススさんありがとうございました」
ガックリと肩を落としたハルカは重い足取りで部屋を出て行ってしまった。
「待ってよハルカ!」
「力になれんで悪いな」
「いえ、ありがとうございました」
ルーファスはパラケルススに頭を下げて急いでハルカを追った。