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その6

 ハルカがこっちの世界に来てしまって、二週間以上の日数が流れようとしていた。もう二週間と言うべきか、まだ二週間と言うべきなのかは微妙だ。

 二週間の間にハルカはいろいろなことを経験した。居住区を半径一キロメートルに渡って吹っ飛ばしてみたり、国立博物館で写本を盗んだり、ルーファスを殺人未遂してみちゃったり、爆発に巻き込まれたり、ろくなことがなかった。こう考えると、まだ二週間ほどしか経っていないと思えるかもしれない。

 そして、今ハルカは黒猫である。

 ネコになって二日が過ぎたが、この身体にも少しずつ慣れて来た。

「(でも、早く人間に戻りたい)」

 そんなことを思いながらハルカはルーファス宅の縁側でひなたぼっこをしていた。

「ハルカ餌だよぉ〜」

 遠くでルーファスの声がした。その声に誘われるままにルーファスの元へ四本の足で走って行く。

 ルーファスの足元まで来ると、ルーファスは手に持っていたお皿を床に置いた。お皿にはサラダとパンが少し乗っている。

「ハルカ、餌だよ」

「ネコ扱いしないでくれる?(餌って言い方ムカツク!)」

「だってネコじゃん」

「身体はネコでも、中身は人間なんだから」

 これでも最初のルーファスの態度よりはマシになった。ネコになっての初めての食事でルーファスは、なんと、ハルカにペットフードを出したのだ。当然ハルカは激怒して引っ掻いてやったが、ルーファスは素でそれをやったらしいので、すぐにハルカは怒りを押えた。――そんこんなで今に至る。

 出された朝食を食べながらハルカは思う。

「(ネコじゃなくって、人間の身体に入れてくれればよかったのに……でも死んだ人間の身体に入るのはちょっと気が引けるかなぁ〜、出目金よりはマシだけど)」

 ハルカと同じく朝食を食べているルーファスがハルカに声をかけて来た。

「たまには外出かけて来たら? ネコになってから外出てないでしょ?(運動不足は健康に悪いからね)」

「ネコだから外出たくないの(ネコじゃ、何もできないもん)」

 出たくないとは言ったものの、ハルカはやっぱり外に出かけることにした。少しは気分転換になるかもしれない。そう考えたからだ。

 外は冬の冷たい風が吹いていて少し肌寒かった。

 石畳の上をどこに行くでもなく歩くハルカ。横を人や馬車が通り過ぎて行く、ハルカに気を止めてくれる人は誰もいない。

 前方から灰色の毛を持ったネコがこちらに向かって来る。明らかにハルカに向かって歩いて来ていた。

 灰色のネコはハルカの前まで来て『にゃ〜ん』と鳴いた。もちろんハルカにはネコ語はわからない。

「(アタシに話しかけてるみたいだけど……何言ってんだろ?)」

 灰色のネコは、また『にゃ〜ん』と鳴いた。

「(だから、何言ってんだかわかんないんだって……とにかく、にゃ〜んって鳴いてみようかな)……にゃ〜ん」

 灰色のネコ沈黙。人間の『にゃ〜ん』は所詮人間の声のようだ。

 灰色のネコしっぽ立てる。怒っているらしい。

 灰色のネコ『ふーっ』と鳴く。かなり怒っているらしい。

 灰色のネコ、ハルカに飛びかかる!

「(マ、マジで!?)」

 ハルカ逃げる。

「(何で!? 何か悪いことしたアタシ!?)」

 ドリフトをしながら人の間を抜けて、急カーブを見事に曲がり、裏路地に逃げ込む。後ろを見ると灰色のネコはまだ追いかけて来ている。

「(しつこい!)」

 迷路のような裏路地を逃げ回るハルカ。そして、裏路地のお約束――行き止まり。

「(何で、行き止まりなのぉ〜!?)」

 ハルカ的ショック!

 後ろは壁、前からは灰色のネコがジリジリとハルカに詰め寄って来る。

「(コレってピンチ!?)」

 確認するまでもない。ピンチである。

 後ろに後退するハルカと壁との距離がほとんどなくなった。それに加えて灰色のネコとの距離も狭まっている。

「誰か助けてぇ〜!」

 悲痛の叫びをついついあげてしまったハルカの横で、木でできたドアがギィィと鳴って中から人の顔が現れた。

「誰かいるの?」

 優しい声。ドアから覗いているのは小さな女の子だった。たぶん五歳〜七歳くらいだと思われる。

 ハルカは女の子を見つめる。まさに仔猫の瞳で助けを請う。

 女の子は状況を理解したらしく、灰色のネコを追いやってハルカを助けてくれた。

「(はぁ……助かった……えっ!?)」

 ホッと胸を撫で下ろしていたハルカの身体が持ち上げられた。上を見ると女の子の顔が直ぐそこに迫っている。

「あなたどこから来たの?」

「(どうしよう? 人間の言葉でしゃべったらマズイよね。でも、ネコみたいにうまく鳴けないし)」

 女の子はあることに気がついた。ネコの首には首輪が付けられていて、それに付いているコインに何か文字が刻まれていた。

「ハルカ? ハルカって名前なんだね」

 首輪はカーシャがプレゼントしてくれた物だ。つまりカーシャもハルカのことをネコ扱いしているということになる。

 ニコニコ顔の女の子はハルカを抱きかかえたまま、家の中に入ってしまった。ハルカある意味軟禁?

 ハルカどうする? ハルカネバーエンディングに頭猛スピード回転!

「(どうしたらいいの? 逃げなきゃ! 逃げた方がいいの? てゆーか逃げるべきなのかな!?)」

 ハルカ大混乱!?

 女の子はハルカをソファーの上に下ろした。

「ミルク持って来てあげるから待っていてね」 

 と言って姿を消した。逃げるチャンス到来!

「(逃げなきゃ!)」

 ソファーから飛び降りて玄関に向かう。廊下を走りぬけすぐに玄関まで来たが、そこである重大なことに気づいた。

「(ドア開けられない)」

 そう、ネコに玄関のドアを開けることはできない。しかも、玄関から律儀に出ようと思うなんてハルカらしい。

 引き返そうと後ろを振り返った時、手にミルクの入ったお皿を持った女の子と目が合った。

「(ヤバイ)」

「どうしたの? 待っててねって言ったでしょ?」

 ミルクを溢さないように女の子はゆっくりとハルカに近づいて来る。

「(ごめん)」

 ハルカはそう思いながらも、女の子の横を猛ダッシュで優美に擦り抜けて階段を駆け上がった。

 二階になぜ逃げたのかはハルカもわからない。だが、これだけは断言できる二階に逃げたのは失敗だった。

「(自ら逃げ場をなくしてどうするの!?)」

 ハルカの混乱は増していた。混乱が増してたついでにドアの開いていた部屋に逃げ込むんだ。

「(どうしよう……そもそも、何でアタシ逃げてるの?)」

 そう、ハルカはなぜ逃げているのだろうか? ハルカもわかっていないことを他人はもっとわからない。

 階段を上って来る音が聞こえる。ハルカにとってこの音は、死のカウントダウンに等しいくらいドキドキするものだった。

「どこ行っちゃったの?」

「(アタシのこと探してるよぉ〜)」

 女の子の足音が近づいて来る。そして、止まった。

「こんなところにいたぁ」

「(……見つかった)」

 辺りを見回してハルカは逃げ場を探してみるが、――窓が開いているくらい。言うまでもないがここは二階である。落ちたら大変なことになる。

 逃げ場を失ったハルカは軽やかなネコの動きで窓枠に飛び乗った。

「(うわぁ〜、高いなぁ〜)」

 下を見てしまったハルカは背筋が冷たくなった。ネコであるハルカにとっては人間以上に高く感じられる。

 ハルカの乗っている窓枠と隣りの家の屋根は一メートルほど、ジャンプして飛べない距離ではない。

「(けど、落ちたらヤバイよね)」

 そう、落ちたらヤバイ。だが、ハルカは飛んだ。窓枠にしっかりと足を掛けて高く飛んだ。

 光り輝く青空の下を飛翔するハルカ。この日ハルカは鳥になった――。

 屋根にうまく着地して、ほっとしたハルカは、息をゆっくりと吐き出し肩を下げた。

「(よかった……落ちなくて……落ちなくて?)」

 ハルカ的大ショック!

「(どうやって降りたらいいの!?)」

 とにかく下に降りる方法を見つけようと道路沿いの屋根に移動して、下を見てみる。

「(誰か気づいてくれないかなぁ〜)」

 この辺りは商店が多く建ち並ぶ道で、この先をずーっと行くとお城の前に出る。そのため人通りは多い。だが誰もハルカに気がついてくれない。ロンリーハルカ!

「(誰か気づいて……気づいて……気づけったら気づけ……)」

 念じてみる。今のハルカはエスパー気分。

 道路を歩いていた剣士風の女性が屋根を見上げた。そこで黒猫が自分を見ている。ハルカの念が通じたのか? エスパーハルカここに誕生か!?

「(何だあのネコは……降りれなくなったのか?)」

「(あのひとアタシのこと見てる……助けてくれないかなぁ?)」

 剣士は屋根の下まで近づいて来て、何かを抱きかかえるような腕の形をした。

「(降りて来いってことなのかな?)」

「気をつけて降りて来るのだぞ」

「(降りて来いって言われても、ちょっと恐いな)」

「しっかり受けて止めてやるから、安心して降りて来るといい」

 ハルカは女剣士の言葉を信じて、屋根から飛び降りた。小さなネコの身体はやさしく抱きかかえられ、怪我をしないで済んだ。

「(よかった)」

 ほっとした表情をしているネコの顔を女剣士は不思議そうな顔して覗き込んでいる。

「おまえ、本当にネコか?」

「(ビクッ……す、鋭い)」

「マナの波動が、おまえのことを普通のネコではないと言っている(人間の波動が感じられる)」

「(逃げなきゃ!)」

 危険を察知したハルカは女剣士の隙を突いて逃げ出した。だが、女剣士は女剣士に在らず、女魔法剣士だった。

「逃がしはしないよ」

 魔法剣士の指から光のチェーンが放たれハルカの首輪に巻き付いた。

「うぐっ!」

 魔法剣士の指とハルカの首輪が繋がれ、そのままハルカは魔法剣士の足元まで引きづられてしまった。

「仔猫ちゃん、そう簡単には逃がしはしないよ」

 魔法剣士はハルカは抱きかかえると、首輪を見てはっとした表情をした。

「なるほどね、ルーファスの家に行こう」

「(えっ? ルーファスの家?)」

 首輪にはルーファス宅の住所が書かれていたのだ。しかし、ルーファスの名は書かれていなかった。この女魔法剣士は住所を見ただけで、そこに住んでいるのがルーファスだとわかったのだ。

 この女性はもしや、ルーファスの知り合いなのか?


 数分後、ルーファス宅に黒猫を抱きかかえた一人の魔法剣士が尋ねて来た。

「ルーファス、届け物だ」

 この声を聞いたルーファスは血相を変えてすっ飛んでドアを開けた。

「な、何で?(何で、何で、何しに来たの?)」

「これを届けに来た」

 魔法剣士の腕には黒猫が抱きかかえれていた。

「……ハルカ!?」

 名前を呼ばれたハルカは無言でルーファスを見つめた。

「(ルーファス、この人誰なの?)」

「や、やあ、よく来たねエルザ先輩」

 魔法剣士エルザ。ハルカをここまで連れて来たのは、この国はじまって以来の女性元帥エルザであった。そして、この女性はルーファスが魔導学院に通っていた頃の先輩でもあるのだった。

 エルザはハルカの首輪に付けていたチェーンを解呪して、床に下ろした。

「このネコ、人だな?」

「ハルカ、しゃべってもいいよ。この人知り合いだから」

「ルーファスこの人誰なの?」

「このひとはエルザ元帥。魔導学院での私の先輩だよ(この人のお陰で、いろいろと事件のこともみ消してもらってるんだよね)」

 昔からルーファスが騒ぎを起こすたびに、エルザがその後処理に当たってくれているのだった。

「あのエルザ、お茶でも飲んでいく?」

「いや、結構。仕事があるので今日はこれで失礼する」

 エルザは帰ろうとドアノブに手をかけようとした瞬間、ドアは後ろに引かれた。開かれたドアの先を見た彼女はある人物と目が合った。

「(カーシャ先生)」

「こんばんわ、ひさしぶりだな(何で、こいつがいる?)」

 エルザとカーシャは互いに目線を逸らそうとせず相手の目をじっと無言で見ている。微妙な緊迫感がこの辺り一帯に充満していく。

 黒猫であるハルカの毛が逆立った。

「(何か、身体がビリビリする……もしかしてこの二人のせい?)」

 もしかしてではなかった。カーシャは以前魔導学院で教師をやっていて、その時の生徒がエルザだったのだ。その頃からなぜかこの二人は馬が合わない。つまり犬猿の仲というやつだ。

 いつの間にかこの場から二人を残して、ルーファスとハルカは後方に逃げていた。本能がそうさせているのだ。

 カーシャとエルザはしゃべろうとしなければ、目を逸らそうともしない。この勝負、目を逸らした方が負けなのだ。まるで野生動物の戦い。

「そういえば、カーシャ先生はまだ事情聴取の最中でしたよね、住宅地が半径一キロメートルに渡って吹き飛ばされた事件(絶対あの騒ぎの元凶は、この女にあると思うのだが……たしかな証拠が掴めてない)」

「ああ、たしかにあの時ワタシはあの地区にいた。だが、そこにワタシのショップがあるので当然だろう?(バレたら、国を負われるだけでは済まんからな……ふふ)」

「カーシャ先生のショップが、最初に爆発が起きたと思われる中心地と考えられているのですが、その件についてお話をお聞かせ願いたい(あの時、学校を辞めさせるだけじゃなくて、国を追放してやればよかった)」

「さぁな(この女だけは許さん、学校を辞めるハメになったのも、店を営業停止にさせられたのも、この女のせいだ)」

 カーシャは以前に魔導学院で問題を起こした際、学院OBのエルザが焚き付けた学生運動によって学院を首になっており、数日前に起こった『ハルカ居住区を半径一キロメートルに渡って吹っ飛す事件』でも重要参考人として、取り調べを今も受けている最中で、カーシャの店は営業停止にさせられている。

「とぼけるのはいい加減にしてくれませんか?(これだけ多くの疑惑がありながら、なぜいつもしっぽを掴めないんだこの女は……?)」

「一週間以上も前のことだから記憶にないな(……ふふ、逃げるか?)」

「そうですか……記憶にないですか、仕方ありませんね。今度お会いする時は証拠を山のように持って来ますから、では(絶対しっぽを掴んでやる)」

 エルザは家を出て行く時、口元を少し歪めてバタンとドアを閉めて行ってしまった。

 エルザの出て行った室内は未だ緊迫した空気が流れていた。元凶は言うまでもない、もちろんカーシャだ。

 そのカーシャは、ゆっくりとルーファスとハルカの方を鋭い目つきで振り向いた。

「言うなよ絶対。ワタシが捕まった時は、どうなるかわかるな?(あ〜んなことや、こ〜んなことに加えて、そ〜んなこともするぞ……ふふ)」

 ルーファスは首を横に振っているんだか、ぶるぶる震えているんだかわからないような動きをして、首をコクコクと何度も縦に振った。声すら出ないほどに怯えきっている。

「ハルカもだぞ!(もし何か言おうものなら、ミミズの中にマナを移してやるからな……ふふ、楽しみ)」

 ハルカの毛は全て逆立ち、身体がぶるっと大きく震えた。

「あ、アタシはネコだから……人間の言葉しゃべれないから……に、にゃ〜ん(触らぬ鬼神に祟りなし……逃げるにゃ〜ん)」

 ネコになったハルカは、ネコを被ってこの場から逃げ出した。

 凍りつくルーファスを残して、カーシャは去って行った。――でカーシャはこの家に何をしに来たのだろうか?

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