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穢れた月の夜に  作者: 山和平
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終幕 ~五月十一日 晴れ~

「なあ、頼むよ有紀。これ渡してくれるだけでいいからさあ」

 一組に通う同い年の従弟に超古典的な封筒を渡されて、井之浜有紀は遠慮の無い不機嫌な表情を浮かべた。

 ウンザリするのは何もこの従弟だけのせいじゃない。

 同様の頼み事がこれで十人目ともなれば幾ら面倒見のいい彼女でも嫌気くらい差すと言うものだ。これもクラス委員と言うそれなりに男子にも女子にも顔が広いジョブに着いているからか。

「言っておくけれど、競争率高いわよ」

「知ってるよ。昨日の帰りの靴箱見たかよ。ギッシリで郵便ポストだってあそこまでいかないって。読まずに棄てられたって文句は言えねえよ」

 そんな異常な話も食傷気味だ。

 暁月学園に突如発生した古典的ラブレターの嵐。

 それは突然現れた一人の転校生に起因する。彼女は昨日、有紀と同じ二年七組に転入して一躍注目の的になった。

「自分で手渡したら? その方がインパクト強いんじゃない?」

 もっとも、そんな度胸なんか無いから有紀に預けるのだろう。

 大体、手渡しだって競争率が低い訳ではない。

 二年七組前の廊下は一瞬にしてナンパストリートになった。

 あちこちに男子が陣取って彼女のお出ましを待ち構えている光景は滑稽で不気味過ぎる。

 理由を知らないと何かヤバイ病気でも流行っているんじゃないかと思う。

「とにかく頼むぜ。じゃあな、俺クラブハウスに寄って行くから」

 従弟はそう言い残すと、手紙を半ば押し付けるようにして野球部のクラブハウスに走って行った。

 そろそろ夏の大会のレギュラーが決まかどうかの頃にこんな事をやってる暇があるのかと少し危惧を覚える。

 ちなみにだが、有紀が預かる十通の内、従弟を含め九通が運動部。

 暁月学園の運動部には奥手が多いのだろうか。

 あと一通はクラス委員集会で少し面識があった吹奏楽の一年女子。「お姉さまに渡して下さい」と言われて背筋が寒くなった。男子どもの物と違って女の子らしいファンシーさ溢れる手紙だけど、その危険性はピンの抜かれた手榴弾にも匹敵する気がする。

 何と言うか、怨念とか執念みたいな物がとぐろを巻いている感じがしないでもない。

「………やめときゃいいのに」

 有紀は心の底で更に呟く。

 ………あれは絶対、違う生き物だ、と。


「詩絵里・H・アストラギアです」

 自己紹介だけで担任の八幡マリ亜がこめかみを押さえるほどに、クラスは一気に沸騰した。その沸騰速度たるやIH調理器など足元にも及ばない。

 クォーターを名乗る彼女のスタイルは、制服を着ていてもこのクラスにいる女子生徒の誰よりも優れているのは一目瞭然。

 更に目を惹き付ける整った美貌。ボブカットよりも少し短いシャギーの入った銀髪。その中に少しだけ、青みの掛かった黒髪がメッシュ状に数本入ってアクセントになっている。

 頭髪検査で文句を付けられそうだけどクォーターレベルの混血だとたまにそんな風に天然メッシュが入るらしい。

 瞳は薄い碧緑で宝石のようだ。外見に関しては非の打ちようが全く無い。

 また、勉強面でもズバ抜けている。

 理数系は秀才レベル。文系では博識を見せつけ、操る言語は最低でもテトリンガル以上。

 体育でもそつのない運動能力と想像以上のナイスボディを見せて男子はもちろん女子もどよめかせた。

 それほどの完璧超人でありながら、彼女はあっと言う間にクラスに打ち解けてしまったのがまた驚きだ。社交力が有るのか、カリスマがあるのか。あるいは妖しげな術でも使うのか。

 とにかくこんな彼女に肩を並べられる男なんて、この学園内には年齢制限を外してもいないんじゃないかと思われる。

 実際理想が高いのか、興味が無いのか、誰からの申し出も丁寧に断わっている。

 ………でも、有紀は知っている。

 彼女の瞳には、どんな人間にも興味を抱かない無情の輝きがある事を。

 彼女はたぶん、周囲に居る誰にも興味を持っていない。彼らを人間として見ているかすら怪しい。

 もう一度言おう。

 アレは人の形をした別の生き物だ。文字通り別世界から来たのかもしれない。

 馬鹿馬鹿しいと思いつつも、そんな戯事を頭の一部で否定できない。

(かぐや姫が実在したんなら、きっとこんな感じだったんじゃないだろうか?)

 異界の美貌に狂わされて人生を踏み外していく者たち。

 竹取物語では一応帝が本命と言う話になっているけれど、本当は全てを狂わせる異形の美女の話だったのではないだろうか。

 有紀は手紙に目を落とした。これを彼女に渡しても、返事は百パーセント有り得

ない。

 読まれもしないにあんみつ一杯。

   *

 放課後の夕陽が差し込む廊下を歩く銀髪の少女。二房の前髪だけ僅かに長く瞳に掛かっていて、時折廊下を流れる初夏の風に僅かに揺らぐ。

 数日前まで彼女の髪は黒だった。明るく賑やかなムードメーカータイプの少女だった。

 だが、今はもう彼女の事を覚えている生徒は存在しない。

 そこにあるのは静寂と叢雲を纏う月。美しくも静かに佇み、そして月が星の輝きを纏わぬように他のあらゆる物を寄せ付けない。

「………道化芝居にもならないわ」

 それに付き合っている自分もまた道化以下だろう。

 第十二聖衛騎士団は団長であるゲオルグ・ルーベンの『殉教死』により事実上活動停止。

 ほどなく彼女も含めて騎士は他の騎士団に移籍するだろう。

 従士は人事課任せだろうか。新しく第十二聖衛騎士団が再編成されるのは間違い無いが、それはルーベンの側近だったマリ亜には十中八九関係の無い話である。

 剣也は入院していた病院内から姿を消した。

 奇跡としか言いようが無く、辛うじて命は取り留めたものの、脳を含む身体全体に致命レベルのダメージを受けていて、現役はおろか実生活に戻れるかも怪しい、 と言うよりもせいぜいもって数日と言う話だったのだが。

 何があったかは大体予想が着いたので放置する事にした。死亡扱いにすると行動に支障が出るから、その辺の情報には手を加えておいたが。

 〝彼女〟の編入手続きは西ミナトがほとんど行なった。

 と言うか、記憶処理も含めて、この街に陽凪詩絵里と言う少女が居た事やノスフェラトゥの犠牲になった少女たちの情報の類は全て書き換えられている。

 事件が起きたと言う事すら、一部の当事者を除いて覚えてはいない。

 二十万人の記憶を書き換えると言う想像を絶する事を、ミナトは一人であっさりと行なった。

 詩絵里の両親は、自分たちに娘が居たと言う事も忘れ、この街の中で、以前よりも少し程度の良い新築物件で生活している。他の犠牲者家族も似たようなものだ。

 最低限の報告を東方教会本部に送った後、マリ亜は全ての仕事を放棄して、人事が決定を下すまでこの遊戯に付き合う事にしたのだった。

 彼女の行動を目で追う事を止め、マリ亜は屋上への階段を登った。

 暁月学園の屋上は木々が植えられ芝生を置かれ、簡易的な屋上庭園として造成されている。

 昼休みは食事などで多くの利用者が居るが、放課後ならせいぜい不届きなカップルが居るか、居ないかだ。

 マリ亜は自殺防止用の鼠返し状の返りを施されたフェンスの向こうに広がる、作り変えられた街を見渡した。

「作られた平穏、か。まるで芝居の舞台だな」

 《穢れた月の夜》は異次元の時間だ。

 いや、ルーベンの言葉を真実とするならば、あれこそ真実の時間なのかもしれない。

 時間的なロストは存在せず、まだ迷い込む人間は少ない。

 むしろ《穢れた月の夜》が拡大した事で活性化した食屍鬼のコミュニティへの対処など、アンダーグラウンドな話は増加している。

 とは言え、《穢れた月の夜》が人々にもたらした影響は、決して少なくはない。

 ここ十日程、世界中で原因不明の失神昏睡者や錯乱者が出ている。

 日本時間五月八日の夕方に爆発的に増加し、明けた翌日にはほとんどが元に戻ったが、中には発狂して病院に運び込まれたまま未だに出てこれない者もいる。

 たぶんその彼らはもう現実に帰れない。

 恐怖に浸かったまま狂い続けるか、あるいはこの世界ではないどこかに魂を飛ばして無常の現実を忘れるのか。

 どちらにせよ彼らはもうこの舞台で何も知らず踊り続ける事はないだろう。

 それらが《穢れた月の夜》の影響である事は目に見えている。

 感受性の強い者やある種の感覚に優れた者が《穢れた月》の存在を認識した事による現象。

 実際それで混乱が起きて経済、行政、流通など社会のありとあらゆる場所に少しずつ被害が出ている。

 人間が構築した現代社会は、人間が適切に運用しなければ簡単に壊れてしまう砂上の楼閣だ。

 極端な話、現代の世界を壊すのに破壊を目的とする核兵器も人を殺すBC兵器も必要無い。たった千人を行動不能にさせる病があればいい。

 実の所、これは予想されていた事だった。過去観測された《穢れた月の夜》で発生する現象として文献に記録されているからだ。

 しかし、ここまで大きな事になるとは関係者の中でも誰も予想していなかっただろう。

(………何かが近いのかもしれないな)

 五月八日の事件自体が、何かの前哨であると思えてくる。

「ここに居たのか」

 後ろから声がした。

 振り返る必要も無い。予想の範疇だった。男子生徒が一人、彼女の方に歩いてくる。

「その顔で私の前に出てくるな。不愉快になる」

 隣に来た、ここに居てはならない少年に言葉を吐いた。

「こればかりはどうしようもないからな」

 狩野剣也がそう答えた。

 ………いや、それはすでに剣也ではない。中味は別の物に成り代わっている。

「………あいつが決めたのか?」

「ああ。信じるかどうかはともかく。そう言われた。今は、俺の中に溶け込んでいる」

「………きっと頭の打ち所が悪かったんだな。アーメン」

「それは元からさ。東方教会に所属する者は多かれ少なかれ狂っている」

 《剣也ではなくなった者》はそう呟いた。

 しかしなぜか、それはマリ亜に剣也の言葉だと認識させる呟きだった。

 彼はやはり自分の意思でそうなる事を望んだのだろう。ベッドの上でただ漫然と死を待つだけの生よりはずっとマシだと考えたのかもしれない。

 東方教会とはそう言うものだ。

 安らかな死など望まない。どんなモノに身をやつそうと、吸血鬼を狩り殺す事が優先されるのだから。

「それで、私に何の用事があるんだ? 別にその姿を見せる為じゃないだろ」

 その問いに、言葉が止まる。

「………ゲオルグ・ルーベンが最後に聞いた言葉に興味はあるか?」

「………それは、彼女が話した言葉か?」

 あの時、ルーベンが一瞬取り乱したのを目視で確認している。

 言葉までは聞こえなかったが、それが異変であった事は理解できる。

 そしてろくでもない話なのは明白だ。相応の話でなければ、あのルーベンが一瞬とは言え取り乱すなど有り得ない話だからだ。

 彼女にしては珍しく、しばらく迷う。これは自分の運命をどちらに傾けるかの重要な選択肢だ。

 それでも、マリ亜はそれを聞いておかなくてはならないと思った。

「聞こう」

「あと六ヶ月だ」

 アト六ヶ月。

 その言葉の意味を理解するのにかなり時間を必要とした。

 まるで無限の静寂が自分の周囲を支配したように感じた。実際はほんの僅かな時間なのだろうが、マリ亜は気の遠くなるような永い沈黙の錯覚を覚えた。

「…………何が、だ?」

 答えなど決まっている。だが、それを否定したい自分もココに居る。

「あと六ヶ月。ちょうど百八十日目の夜が、この世界の終わりだ」

 無責任で悪趣味な大予言の解釈よりも尚性質の悪い、わかりきった答えが返される。

「その夜、《穢れた月》が永き星辰の眠りより羽化し、この世界は終焉を迎える。その前に俺も含み、アストラギアたちは最後の戦いを挑むが、それに勝っても負けても《地球エデン》と言う幻巣世界は終わりを迎える」

 「馬鹿な」とか「信じられない」とか、言葉で否定する事は容易い。

 だが、本当に戦う事に優れる者は冷静な現実主義者だ。

 それ故に現実と虚偽の嗅ぎ分けは特技と言ってもいいレベルを持つ。第一、この相手が自分に嘘を語る理由は無い。

 そして現実と言う物は真実であるが故に、時として猛毒にも匹敵する破壊力を秘めている。

「………本当に、真実は残酷か」

「知らない方が幸せだっただろうがな」

 伝える事は伝えたとばかり、少年は別れの言葉もなく立ち去った。しかし、それはもう残されたマリ亜にはどうでも良い事だった。

 耳の奥に、ザラザラと言う音が響いて鳴り止まない。多分、それは流れる時間の音だ。

 彼女は認識してしまったのだ。滅びへと流れていく時間を。

 あと半年。

 六ヶ月。

 百八十日。

 四千三百二十時間。

 十一月六日。

 この世界は消滅する。

 ザラザラと音が響く。深山の流れる清流のせせらぎにも似たその響きは、心地好くも寒々として恐ろしい空気を世界に満たす。


「………私も狂うしかないか。………いや、もう狂っているか」

 真実を得て尚前を向く者は、狂気を拠所にするしかない。

 あのルーベンよりも遥か前を行く為に。

 舞台に上がると決めてしまった以上は踊り続けなければならない。

 狂気の舞踏を、自分が狂っていると理解しながら。


 炎の様な夕焼けが世界を染め、街を焦がし始めている。

 それは、そう遠くない未来、朱い赫い赤い紅い緋いあの《穢れた月》に呑み込まれる姿と重なって見えた。


 世界は燃えるように腐っていく。


                                    〈了〉


少女小説ラブコメ風かと思いきやクトゥルフ。ヒロインが二人の美少年に挟まれる展開と思いきや神話生物はそんなに甘くない。

ネタ元は悪魔城ドラキュラなど。

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